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V-Lowマルチメディア放送って、本当に普及するのだろうか(2)

さて、前々回に紹介したITproの「V-Lowマルチメディア放送が切り開く、全く新しい放送サービスとライフスタイルイノベーション(後編)」が11/22付で掲載された。
早速、ざっと読んでみたのだが、予想通りそこには目新しいことはほとんど何も書かれていなかった。
思うのだが、放送業界って、どうしてこんなに的外れな話しか記事にならないのだろう。
いえ、そこに書いてあることが間違いだとは思わない、それも事実なのは確かだ。
だが、その話をする前に、もっとしないといけない話はないのか、と思ってしまう。


防災無線がどうの、地域の情報網がどうのこうのという話はもちろん大事だが、その唯一のソリューションがV-Lowマルチメディア放送というのはどうなんだろう。
それが重要なら、他にもソリューションあるだろう、第一、防災無線の位置づけは今後どうなるのだと言いたくなる。
私は災害時の放送には、マルチメディア放送が最適とは少しも思わない。
理由は簡単だ。
マルチメディア放送端末が、今のラジオ以上に便利になるはずがないと考えるからだ。
アナログラジオほど、災害時に有用なものはないと私は信じている。
AM放送だったら、ゲルマニウムラジオでも簡単に聞くことができる。
しかも電気をあまり消費しない、1本の乾電池で1ヶ月以上は持つ。
マルチメディア放送端末がそんな簡単な構造であるはずもないし、また電池だって1週間持つことも怪しいのではないか。
全然簡便じゃない、それをもろ手を挙げて支持する気には私はならない。
それなら、普通のテレビ放送で十分ではないか、インターネットで十分ではないか、何故にマルチメディア放送なのだ、と。


この間、V-Low周波数帯は、マルチメディア放送ありきで進みすぎていた、今さら後ろへは戻れない、そう思っている人たちがこの流れを必死で作り出そうとしているのではないか。
だいたい、この周波数帯にデジタルラジオを持ってくるという発想は、イギリスの事業的成功を基にしたのではなかったか。
今や、イギリスではラジオはデジタル化され、それが活況を読んでいる、それを日本にも適用しようとしたのではなかったか。
それが、何だかわけのわからないままに終息したDRP(デジタルラジオ推進協会)を生み、これまた何ともいいようのない3セグデジタル放送を生んだのではなかったか。
これらは、お世辞にも成功したとはいえない試みだった。
一体、どれぐらいの金をかけたのか、そんな金があるなら、もっと他にやることがあったのではないか。


ラジオって、そんなことを近年繰り返している。
私がいたミュージックバードを筆頭としたPCM放送、BSラジオ、そしてデジタルラジオ放送、どれも死屍累々である。
ついでに言えばセントギガもそうだったし、モバホ!も同じ経路をたどった。
ITproがモバホ!の終了を語る時にこう書いていた。

どんなに先進的なサービスを開発しても、商品プランや品ぞろえが充実していなければ、消費者の認知は得られない。

そう先進的なサービスは重要だ。
だがそれを消費者に刺さるための方法論が、今までのラジオ業界にはない!
一体、放送局も、それを後押しする広告代理店も、関連大企業も何を思ってこんなビジネスを展開してきたのだろう。
放送に対して、何故か国も自治体も企業も甘すぎるのではないか。


成功するかどうかわからない放送事業に、何故にこれぐらいのたよりない根拠で予算をばらまけるのか。
消費者の認知を得ることに、どうしてかくも楽観的立場をとれるのか。
私には疑問だらけのことなのだが、それが放送業界なのである、ラジオの現実なのである。


ということでV-Lowマルチメディア放送について、また愚痴のようなものを書いてしまった。
次回は、もう少し建設的なことに時間を費やしたいと心から思っている。

近況、そして簡単な感想~動き出した?マルチメディア放送 及びラジオ大阪の話

ブログを日記のように毎日書こうと決心した記憶があるが、気づけば1ヶ月近くが過ぎ去っていた。
頭の中に課題があり、それをまとめるまでは、他のことはまとまって考えられないという状況。
それも、他人がからむので、「何を毎日わけのわからないことを書いているのだ、そんな時間があったら、懸案を早く片付けろ・・・。」なんて気配も感じたりする。
もちろん、他人と言っても、私に一方的に命令できる人は年を経るごとにどんどん減っていて、何がなんでも処理しないといけないわけでもない。
でも、そういう人たちから電話がかかる度にビクッとする。
言葉は丁寧でも、そこには有無を言わせぬものがある。
あ~あ、気が重い。


その関連でお会いした方から、マルチメディア放送の話を聞かされた。
そう言えば、今どうなっているのだろう、V-Lowマルチメディア放送は。
FM東京は着々と放送スタートにまい進しているらしい。
福岡では、新しいマルチメディア放送ビジネスが進行している。
NTTdocomoがアンドロイド系スマートフォンにチップを埋め込むなんて話も聞こえてきたりして。
新しいビジネスが生まれるのか、何か微妙。
経済産業省が普及のための予算を確保したとか。
そうか、経産省予算か、総務省じゃないんだ・・・。
正式な発表って、あったのかな、現場で進んでいる状況は聞かされても、何がオーソライズされているのか最近はあまりフォローできていない。
どうも、従来のラジオ的なビジネスモデルではなく、SNS的なパーソナルなビジネス戦略が考えられているようだが、そうなるとラジオじゃないなあ、なんて思ったりして。
それゆえ、経産省、なのかな。
詳しい人、フォローよろしく。


近況、その2、10/25の私のツイート

ある関西在住の元レコード会社の人と話した。ラジオ大阪はえらいと。聴取率は1%以下というのに、黒字を計上している。数字の上では全く聞かれていないラジオ局が一番聞かれていると豪語しているFM802とさほど遜色のない売上を達成している、どう思う?と言われた。あなたはどう思う?


あまり聞かれていないラジオを売る営業マン、普通苦労しているだろうと思いますよね。でも、ラジオのファンの方ってクライアント側におられるのです。そのクライアントをどれだけ持っているか、それがラジオの営業マンの腕なんです。いいんです皆が聞かなくても、そのクライアントが聞いてくれるなら。


ラジオってね、気持ちなんですよ、ものすごくプリミティブな。それがリスナーに伝わるかどうか。だいたい、皆に伝わるなんて考えない方がいい。自分の伝えやすい方に伝わればいいのです。共有できる空間を作れるかが勝負なのです。抽象的なものに向かって声を上げる愚を悟るべきです。


テレビは視聴率本位ですが、ラジオは多分そうじゃないんだろうと思います。ただ、そんな発想が時代に合わないのも事実ですが。 RT @makotowalk ラジオって聴取率では計れない地元との密着力があってコミュニケーションの糸口としての媒体力があるんじゃないかなぁと思います。



で、こんなことを思いました。
聴取率が低くても、クライアントに刺さっている放送局。
聴取率がナンバーワンでも、クライアントに前ほど刺さらなくなっている放送局。
つまり、クライアントに刺さるか、刺さらないか、それに影響するには、聴取率は低すぎるのではないかと。
全体のSIU(セットインユース)が低ければ、いくらダントツ一位と言っても、宣伝媒体として無条件に支持されなくなっている、クライアントに。
だから、営業力というか、クライアントのニーズにうまく対応し、それをリーズナブルな価格で売れば、聴取率が低くても買う人はいるということだ。
そうでなければ、ラジオ大阪の売上は考えられないのではなかろうか。
(ちなみにラジオ大阪の2011年決算20億、FM802同25.6億だそうです。)


繰り返すが、ラジオはテレビのようにマジョリティに向かって訴求するメディアではないのではないか。
マイノリティに向かって、そのサブカルチャーを補強するような情報を提供するメディアでよいのではないか。
そして、それがクライアントに刺されば、何とか商売は成り立つのだ。
それは、10/22の本欄で引用した村上春樹氏のエッセイと重なる。

「たとえ十人のうちの一人か二人しか貴方の店を気に入らなかったとしても、その一人か二人があなたのやっていることを本当に気に入っていくれたなら、そして『もう一度この店に来よう』と思ってくれたなら、店というものは、それでけっこううまく成り立って行くものなのだ。」(ロールキャベツを遠く離れて)

ああ、なかなかいい線の話になってきた。
クライアントも、又リスナーの一人、それもきわめて重要なタニマチ的立場、それが、共感するリスナーとともに存在するなら、ラジオはけっこううまく成り立つ・・・、どうかな~。


明日も、頑張って続き書きます。



ラジオ局が生み出すヒット曲とは(3)

「ヒット曲に関する違和感、明日から集中して書く」と言いましたが、それから半月過ぎてしまいました。
問題意識はあったのですが、一身上の都合で考えることを中止しておりました。
まだ環境的には整っていないのですが、放置しておくのも何なので、頭の中を簡単に整理して、シリーズの続きを書きたいと思います。


首都圏のラジオ局が合同で推薦曲を決め、それを集中的にオンエアしてヒットにつなげるという話から、私の論は始まりました。
違うんじゃない、そんな考え方でヒット曲は生まれるの?
それが私の違和感の一つでした。
いえ、確かに考え方としては、間違っているとは言えません。
1曲を決めて、首都圏のラジオ局がヘビーローテーションでオンエアすれば、よほどダサい曲でない限りヒットするでしょう、常識で考えて。
でも、何かイマイチしっくりこないのです、私には。
ヒット曲って、そういうものなのでしょうか。


●やるなら、だまってやれ!
私の主張はこれに尽きます。
今から何と首都圏のラジオ局が合同でヒット曲を作ります。
すごいでしょ、これがラジオの力です!なんて嬉しそうに言っているようにしか聞こえません。
その媒体力に疑いを持たれているラジオが、最後の力を振り絞って音楽業界をリードしようというのは、今後の企業戦略としてはアリなのかもしれないですが、何ともプアな戦略ではないでしょうか。
「失敗の本質~日本軍の組織論的研究」(ダイアモンド社刊)という名著がありますが、その中で論じられているものと同質のものをラジオ局の戦略に感じる、まあ、そう思うわけです。
つまり、失敗するだろうというのが、私の意見です。


だいたい、こういうものは大上段にふりかぶって実施するものではありません。
各局のセンスのある選曲ディレクターが集まって、1曲を決め、それぞれの局がどういう形で紹介するか等、いわゆる相互の連携プレーがあり、そして、みんなで売れるまでその曲と曲にまつわる情報を発信し、アーチストを魅力的に見せる方法論を駆使するという、きわめて高度戦略論に裏打ちされたやり方をするなら、7局でヒット曲を作りますと言えば、私は納得するかもしれません。
しかし、現実的にはそんなことにはならないでしょう。
誰が、具体的な目的を選定するのでしょう。
誰が、刻々と変わる状況を分析し、それに応じた戦術を各局に伝えるのでしょう。
大体、ヒットするということは、どういうことなのか、そして、それがヒットしてから、各局はどうしようと言うのでしょう。
とにかく、やるだけやって、それからのことは後で考えようとしか思っていないのではないでしょうか。
ヒットすればいい、そうすれば7局の媒体価値が再認識される、ヒットしなかったら、その時はその時だ。


やってもいないうちに、文句ばかり言うなと叱られるかもしれません。
とにかく皆で話し合って、一度やってみようと決めたのだ、やらないうちに批判的なことばかり言うのは評論家もどきの連中と同じ穴のムジナではないか。
確かに、やらないよりやった方がいいのは、私もそう思います。
しかし、よく言うではないですか。
「行動なき理論は無、理論なき行動は死」
とにかく、突っ込めばいい、その気持ち(魂)さえあれば、結果は自ずとついてくる。
それ、突撃だ~!
そんな突撃を評価する理論や尺度がどこにありましょうや。


話がそれました、私は自分の違和感を説明するのに、例えばこういう言い方をさせていただいたわけです。
元に戻りますが、「やるなら黙ってやれ!」です。
ラジオでヒット曲を作りたいなら、一人一人の制作者がもっと地道に、そして情熱を持って、番組を演出してほしいと思うのです。
現場同士が情報を交換し合い、或いはどちらが先に曲をヒットさせるかを競争し、一人一人の音楽に対する純粋の愛情の上に、リスナーにこんな曲があります、私たちはとてもいい曲だと思います。
アーチストも、その才能は無限大、どうか繰り返し繰り返し、この曲を聞いてみてください。
そういうメッセージが伝わるような、作り手側の気持ちの集合が必要です。
ただ、ラジオから流していればいい、一日に10回以上お皿を回せばいいでは、何もわざわざラジオ局がしかけることはないのではないですか。


そうです、そんなのはレコード会社がやればいいのです。
また、それらは今までレコード会社や音楽事務所が社運をかけて取り組んできたことです。
ラジオ局に一体どれほどのことができるのでしょう。
そもそもヒット曲って何なのですか。


ヒット曲に関する私の違和感、とりあえず今日はイントロダクションとして、思うことの断片を書き連ねました。
次回から、そもそもヒット曲とは何なのかについて、少し理屈っぽくなるかもしれませんが、取り上げて行きたいと思います。
この後、今回のブログに関してのツイートを@abex851のアカウントでやります。
おヒマな時にまたお読みいただければ幸いです。