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今年を振り返る

2011年も後4週間で終わりである。
今年を振り返って思うのは、何と言っても3/11の東北大震災だし、私自身の体調不良で半年を棒にふったことだ。
それでも、自分の業績として書いておきたいのは、2月に行った東京タワーで開催した「スターダスト・レビュー 30th メモリアル・ギャラリー」だろうか。
スターダスト・レビューの30周年お祝いイベントを、東京の象徴ともいうべき東京タワーでできたことはいい思い出となった。
東京タワーでは、6月に盲導犬クイールの写真展を行うことになったが、こちらは私が体調に異常を来たしたため、準備には参加できたものの、肝心な時には全く役に立たなかったのが残念だった。
その他、5月のNHKみんなのうた「ピースフル」のお手伝いが少し出来たことか。
オーディションの段取りをしたり、作詞作曲した松浦有希ちゃんとイベントをしたり、それでも身体がもっと動いたらより大きなムーブメントが作れたのにと少し残念。
このオーディションを通じて、大阪にあるアクターズスクール「ESSEアカデミー」の子供達と交流できたことが嬉しかった。
子供たちからは無限の可能性が伝わってくる。
その波動を受けて、私自身が活性化するのが感じられて、とてもわくわくする。
色々と教えてやってほしいと学長から頼まれたが、身体がついていかず申し訳ないことをした。
来年、調子がよくなれば、指導する機会がもっと増えるかもしれない。
今から、楽しみ。
今年から始めたこと、iTunesやamazonMP3や携帯のレコ直など、音源をネット配信する事業に参画した。
大阪でやっていた「湊町音楽市場」参加アーチストのCDをネット市場に紹介できたし、先述したESSEの制作したCDもアップ。
また、昭和プロ所属のMC、水谷ひろしさんが主宰する「関西発演歌応援の会」に参加する演歌歌手の方も10人程度、配信させていただいている。
ま、これも完璧にはできていないが、それも来年の課題としておきたい。
来年といえば、できればアイドル業界に、もう少し力を注いでみたい。
アイドル論についても、より深化させたいし、また受け入れられるようなアイドルユニットもプロデュースできればと思っている。
今は、単体のアイドルよりも、ユニット優先の時代。
いつまでも、こんな風潮が続くとは思わないが、しばらくはこの線で続けて行きたい。
いずれにせよ、早く体調を前の状態に戻し、どこへでもどんどん出て行ければと心から願っている次第。
来年こそ、いい年に。



アイドル論~序説2

今、一番売れるのはアイドルだと石坂敬一氏が言っている。
確かに、モンスター的に売れているAKBを筆頭に、NMBにSKEにHKTなんてのも話題になっている。
ももいろクローバーとかフェアリーとか7とか雨後の筍のように、各地でアイドルが生まれている。
こうなると、過剰投資気味だったモーニング娘。を擁するハロプロ系は辛いだろう。
このアイドル市場、無限に金があるわけではない。
いわゆる限界産業ともいえるもので、アイドル市場の限定的なパイを分け合うしかないのだ。
一度売れれば、ずっと売れるというのは、今や考えられない。
アイドルは各地で後から後から生まれる。
少し前までは、アイドルはブランド勝負だった。
松田聖子、中森明菜、ピンクレディー、名前そのものがブランドなのである。
モーニング娘。もそうだった。
業界は、それらのネーミングをブランド化するために、億単位の金をつぎ込んできた。
ブランド化すれば、もうほっといてもアイドル関係商品は売れる。
CDなんか、その一部にすぎない。
アイドルは音楽を売っているのではなく、ブランドを売っている。
まあ、言ってみればキティちゃんと大して変わらない。
ブランド化させる費用=宣伝費、それは半端なものではなかった。
だが、今生まれてきているアイドルには、そんな宣伝費は要らないらしい。
従来のような大量販売大量消費など考えていないという。
確かにそうだ、私が関与したアイドルイベントも、ほとんど費用はかかっていないが、それなりの売上は読める。
もはやテレビや雑誌などへの宣伝費など、無理して計上する必要はない。
ネットで十分だし、ファンは自ら情報を収集し、口コミの形でプロモーションしてくれる。
金を使ってブランドを作る必要はなくなった、今はそういう時代なのだ。
今繋がりあっているファンとそのまま繋がっていればそこそこのビジネスにはなる。
もちろん、たくさんのスタッフを抱え込むことはできないが、音楽業界が衰退している今、そんなにスタッフを抱え込むことはかえってリスクになる。
とにかく、今までのアイドル業界の方法論は考え直した方がいい。
多様なニーズに多様な品種で応えるという方法論が必要ではないだろうか。
AKBのブームなど、そんなに長くは続かない。
K-POPも、どこかで違った進化が始まるはず、今はこれまで日本のアーチストが持っていなかったものが受けているだけで、今後は日本側も1~2年で取り込んでしまうことは間違いないからだ。
私は、とにかくその後の進化がとても楽しみ。
その変化は、今私が関与しているアクターズスクールの子供たちから少しずつ感じてくるはず。
アイドル業界、音楽業界ほど、衰退しないという気が今の私にはしている。

過去のブログより~反対する人たち

過去のブログより、プロデューサー関連の話を再掲する。
ミュージカル「赤毛のアン」を企画したのは、1990年夏ごろ。
東芝提供の「大晦日オールナイトライブ」を企画し成功させた次の年である。
私が東京支社にいたのは、考えたらたったの3年。
その間、本当に多くの番組やイベントに関わった。
今後、そのあたりを少しずつ紹介するつもりだが、今回は9年前に私が書いたペンギンノートでその一端を公開する。
では、また最後に。

反対する人たち
2002-11-14 19:14
会社内で新しいことを始めようと思ったら、関係者をだますしかない。

今日、ある人とそんな話をした。

新しい事業と言うのは、そのまま話したのでは反対者が出て来て絶対に認められない。
反対者を説得することほど無駄な作業はない。
何故なら反対者の反対は、たいていの場合反対の為の反対であり、説得されるようなものではないからだ。

私も放送局時代、そんなことがよくあった。

一番印象に残っているのが、東京支社に来てプロデュースしたミュージカル製作の時である。

東京に赴任してから2年目、そろそろ億単位の仕事がしたくなった。
大阪では、できて1千万とか2千万ぐらいの仕事。
やはり、東京にいる以上、全国的な額の大きな仕事をしたいと思ったのだ。

で、その頃、ひょっとしたらブームが来るかもしれないと思った「赤毛のアン」をミュージカルにすることを思いついた。
カナダからの映画が静かなブームを起こしはじめていたからだ。

しかも、「赤毛のアン」は女の子にとっては、永遠の憧れであることは子供の頃から感じていた。

「赤毛のアン」なんて男にとっては全く興味がない話だということもよくわかっていた。
私の周りの男性は、そのタイトルは知っていても、ストーリーを知らない連中ばかりだった。

だから、社内で「赤毛のアン」をミュージカル化するなんて言っても、何を馬鹿なことを言っているんだという反応しかなかった。
そんなものに、スポンサーなんかつくものか。

おまけにその時の冠協賛スポンサード費用は2億弱、私が何を言っても社内では馬耳東風という感じだった。

ところが、そのミュージカルに某保険会社から引き合いが来た。
担当者が女性で、何となく「赤毛のアン」ブームがやってくるという予感がその人もしたそうなのだ。

2億弱の金等、安いものだったのだろう、話はとんとん拍子に進むかに見えた。

ところが、ここで起こった反対論。
それのほとんどは、社内からだったのである。

売れるわけないとたかをくくっていたのに、何と売れた。
そうなると、反対論が表面化したというわけだ。

放送局が、そんなこと(ミュージカルの製作)をしてどうするのだ、責任はすべて放送局に来るのだぞ!(そんなの当たり前だが)

失敗したらどうする?その責任は誰がとる!(失敗したら誰が責任をとるのかは、組織だったら極めて明瞭のはずだが)

年間のイベントスケジュールにそんなのは入っていない。(新規の仕事をしてはいけないのか?)

今迄つきあっていたイベント会社からクレームが来ている(何じゃそりゃ???)

思い出すだけでも、笑いそうになるような反対意見ばかりが雲霞のように押し寄せて来た。

しかし、そんな反対論がいくらあっても、もう既に売ってしまったものはしかたがない。
反対の人は、御自分でスポンサーを説得して来て下さいと言い返す私達。

そう、売ったもの勝ちなのである。

できるとか、できないとかはどうでもイイのだ。
そんなことを言っていたら、おそらく新しいことは何もできない。

新しいことをやる時に、100%の自信なんて誰も持っていない。
できるかどうかはわからない、でもやるのだ、それが仕事というものだ。

できるかどうかわからないなら、やるなというのが反対派。(たいていこういう連中が経営者側にいたりする)

ま、こういうせめぎ合いの中で、会社というのは弁証法的に発展したり衰退したりするのだろうが。

しかしまあ、この後も色々と社内の責任者にはいびられた。
そんなのその段階では出せないような資料を早急に出せなんていうし、わざと赤字になるような金の使い方をして、プロデューサー(つまり私)を困らせようとするし。

何で社内の敵と戦うのに力をそがないといけないのだ、とぼやいたものだ。(敵は外にいくらでもいるのだ!敵を間違えるな!)

ミュージカル「赤毛のアン」は本当に色々私のプロデューサー修業に役立った作品だった。
これも、詳しいことはまだ生々しいので書けないが、小説にしたら、そこそこ面白い読み物になることはうけあっていい。

思い出したのだが、その頃、よくある上司が言っていたことがある。

君たちは何をしてもかまわない。ただし、絶対利益が出ることが前提であることを忘れるな。

アホ上司の典型である。
絶対利益が出る仕事だけやってたら、仕事なんかその内なくなるわ。
新しいことが一切できなくなるということにこの上司は全く気がついていない。

新しい仕事をとって来た営業マンにこういう連中は言う。

その仕事はもちろん利益を出すんだろうな?

考えても見よう。
利益の出る仕事ばかりやっていて、利益が出る出ないの区別がつくと思うのか?
失敗するから、成功があるのである。
成功ばかりあったら、失敗が何かわからないではないか。

どんどん仕事を取ってこい、利益の出ない仕事をとってきたと思ったら、今度はその仕事で何が何でも利益を出せ、それが攻めの営業というものだ。

私ならこれぐらいのことを言うだろう。
利益の出ない仕事なんかするな!という馬鹿上司は今も一杯いる。
自分の乗っている船が沈み始めているのも知らないで。

バカは死ななきゃなおらない・・・

ただし、失敗するのがわかっているような仕事ばかりする奴もたまにいるので、一概には言えないことも多いようだが、



他人の不幸は蜜の味という。
とにかく反対するものたちは、他人の不幸を内心欲している人たちでもあるのではないかと思わないでもない。
成功するものを妬む心理というか。
多分、そういうものもどこかに勘定に入れておくのが、プロデューサー心得の一つではないだろうか。
鬱陶しい話ではあるけれども。