カテゴリー : メディア論

ラジオが失ったもの

ラジオが何故衰退して行ったのか。
ビジネスモデルが古いから、若者が他のメディアにとられてラジオを聞かなくなったから。
確かにそうだろう、ただ、それで済ましていていいわけはない。
ある人は、ラジオは過去の遺産で食っているだけ、団塊の世代が70歳を過ぎれば、さらに凋落するだろうと予言する。
ま、その類の話は、イヤと言うほど聞かされる。
で、私はそれを少し違う角度から考えてみたい。


ラジオが全盛の時代と今を比べて、失ったと思われるものは何か、そこに焦点を合わせてみる。
一言でいって、ラジオは孤立化したということだ。
例えば、FM局。
全盛の頃は、一緒にFMラジオを盛り上げてくれる勢力がいたということ。
もちろん、広告代理店の存在も大きい。
今も代理店はラジオを広告媒体として取り扱ってはくれるが、その力の入れ方はかつての比ではない。
ついでに売ってくれるぐらい、何しろラジオを売っても大した儲けにならない。
それなら、他のメディアを売る(インターネットとかデジタルサイネージとか)ことに人材を向けた方がいいに決まっている。


でも、もっと大きいのは雑誌や新聞などの活字媒体がFMを過度に取り上げてくれなくなったことだ。
最盛期、FMの番組を取り上げる雑誌が隔週刊で5誌もあったのだ。
今から考えればすごいメディアミックスだ。
当然、雑誌のクライアント=FM局のクライアントという構図が生まれ、広告代理店はそれに基づく広告戦略を提案した。
ラジオはインビジブルであるという話、私は過去に何度かしたと思う。
それゆえ、クライアントにアピールする力がテレビや活字媒体と比べて落ちる。
黄金期の頃、それを補ってくれていたのが、FM雑誌であり、新聞のFMウィークリー欄である。
今の人にはピンと来ないかもしれないが、1990年前後にはまだ存在していたように思う。
エアチェックする番組に赤い線を引いて、ラジカセやカセットデッキに登録していた時代である。
FM雑誌の締め切りは早いので、曲目が決まっていない番組もあったが、新聞には局から追加で発表した曲が掲載されるので、重宝した人も多かったはずだ。


広告媒体にとって、やはり見えるということは大きい。
クライアントにプレゼンする時、テレビや活字媒体は現物を見せたり映像を移せばイメージしてもらえるが、ラジオのプレゼンに使えるのは、属性を説明する媒体資料や貧弱な番組企画書ぐらいしかない。
何回も言っているが、ビビッドな聴取者の情報も存在しないし、昨日流れた番組の聴取率もわからない。
何となく、ラジオはこんなに聞かれていますという、供給者側に都合のいい情報しか提示されない。
そりゃテレビに負けるし、ネットにも負ける。
で、ラジオはそれを反省もしない。
2ヶ月に1回の聴取率調査をするだけで精一杯なのである。
今や、使った広告費が実際にどれだけのユーザーを動かしたかがクライアントの命題なのだ。
効果をはかりにくい媒体=ラジオ、しかも具体的に見えない(インビジブル)のだから、クライアントからすれば、それをどう広告戦略にはめていいか判断がつかないだろう。


しかも、今やクライアントの方の中には、「すみません、ラジオは聞かないのでよくわからないのです。」なんて申し訳なさそうに言われる人もおられる。
もはや、ラジオにはかつてのような援軍はいない。
ラジオが何をしなくても、勝手にもてはやしてくれる媒体は存在しない。
今のラジオは孤立している、孤軍奮闘するしかないのだ。
昔なら他の業界が盛り上げてくれた。
音楽業界もそうだ、スポットをバンバン流してくれたし、ライブスポットもふんだんに入って華やかな感じもした。


今、ラジオはどうだ。
ACだ、JAROだ、献血だ、飲酒運転撲滅だという公共系のスポットがやたらと目立つ。
早い話、これらは利益を生み出さない広告である。
金になる広告は、ほんの一握り。
よくこれで放送局が維持できるものだと私のような世代のものは不思議でならない。
ああ、そうか、ラジオショッピングがあったなあ、あれは完璧なレスポンス広告だが、100人程度の購買者がいれば万々歳なのだから、ラジオ的にはやめられないだろうな。
(ある人のツイッターには笑える話があった。~@Cazuma: MBCラジオ「ハピネスクラブラジオショッピング」。口臭予防スプレーが4本セットで、さらに、プレゼントがついて、約4500円。ここまではよくある話だが、気になったのが「限定数」が「20セット」。どんなに頑張っても売上が9万円程にしかならない~ → そのままだと電波料を払うだけで終り。早い話、セット数を少なく言って、飢餓感をあおる作戦。しかし、これじゃミエミエ)


ラジオ業界が失ったもの、AMだとどうなのだろう。
深夜放送が華やかだった頃は、それに派生する商品やイベントが生まれたりしたし、いわゆる受験産業系や専門学校系のスポットが深夜3時位まで一杯だった記憶がある。
今は、そんなもの数えるほど。
完全に若者市場を失っている、今さらラジオにクラスの話題を持って行かれることはありえないだろうなあ。
とにかくラジオはメディアミックスから疎外されているのは事実。
テレビ業界は、今もテレビ雑誌が地上波、BS、CSと複数誌発行されているし、新聞もテレビ欄を充実させている。
テレビも売上を相当落してきてはいるが、それでもテレビを中心としたメディアミックスの世界は健在である。
多分、ラジオほどは衰退しないだろうと思われるが、一時期の規模が大きすぎたため、コンテンツ的に貧弱になるのは仕方ないだろうね。


さて、今日は一生懸命、2時間近くかけてブログを書いた。
これから推敲しようかと思ったけど、他にすることがあるので、このままアップすることにする。
次回、足りない部分、ちょっとした過ちなど、修正したり追加したりしようと思う。
皆さんのご意見、また聞かせてください、恐惶謹言。



V-Lowマルチメディア放送って、本当に普及するのだろうか

さて、少しまとめてV-Lowマルチメディア放送について書く。
現状をあまり把握できていないと前回書いたが、参考として今のところオーソライズされた内容が読めるのが、ITproに掲載された11/15の記事だろう。
「V-Lowマルチメディア放送が切り開く、全く新しい放送サービスとライフスタイルイノベーション(前編)」
先日行われた「CEATEC JAPAN 2013」のシンポジウムで発表されたことを中心にまとめられていて、まあまあわかりやすい内容となっている。
この後、後編が近々掲載されると思われるので、私が何かを書くのはその後にしようかとも思うのだが。
それでも、前編だけでも業界の思惑が何となく透けて見えてきている。
さて、後編はどんな話になるのだろう。


とにかく、V-Lowの周波数割り当てはほぼ決定で、90~95MHzがAMのFMサイマルとコミュニティFM放送、95~99MHzが干渉防止用のガードバンド、99~108MHzが地方ブロック向けマルチメディア放送ということになる。
マルチメディア放送も地方ブロックの電波干渉を避けるために、周波数帯を半分ずつにわけることになる。
99~103.5MHzと103.5~108MHzの二つの周波数帯が交互に認可されるわけだ。
何となく、FM東京を中心とした勢力が全国の地方マルチメディア放送の権益を獲得しそうな勢いだが、さてこれからどうなるのか。
木村太郎さんのコミュニティFMを中心にした動きもあるので、最終的にどのあたりに落ち着くのか、ちょっと気になるところだ。


しかしねえ、本当にマルチメディア放送って、普及するのだろうか。
もっともらしいことが書き連ねているが、そんなニーズ、どこにあるのかと思うことが多い。
あれば便利かもしれないが、何が何でもほしいというものではない。
スマフォに入っていたら、そりゃあ聞くかもしれないけど、ヒット商品になるかは微妙だ。
ワンアンドオンリーな要素がどうも見つからない。
他にオルタナティブがいくらでも考えられそうなものばかり。
正直、消費者はお腹一杯なのだ。
これぐらいのサービスに熱狂するとはとても思えない。
皆さんもぜひITproの記事を読んでいただいて(後編が配信されたらそちらも)、マルチメディア放送への希望を聞かせてほしい。
私、色々言いたいことがあるけど、やはり後編を読んでからにする。
ということで、今日はこれにて。



ラジオマンの悲劇と喜劇(3)

私が愛読している古典に「徒然草」がある。
兼好法師(吉田兼好)の随筆集と言われている。
その56段に次のような言葉がある。

よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。

私は、ラジオマンならこの言葉を大切にしてほしいと思っている。
特に「人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから人も聞く」というのが、心に残る。
そこに何百人、何千人の人が集まろうと、一人の人に向かって話すようにすれば、自然にその他の人たちも耳を貸すと言うのだ。
とにかく、自分の言葉を皆に届けたいと思えば、抽象的な皆に語りかけるのではなく、具体的な一人に向かって語るように語れ、そうすれば他の人も何を言っているのだろうと耳を傾ける、そういうことだ。


新しくラジオの世界に入られることに、ぜひそれは告げておきたい。
マスに向かって語るなかれ、個人に向かって語れ、と。
その個人にあなたの心が届くなら、おのずから他の人にもその気持ちは伝わるのだと。


ラジオは、1%の人に向かって放送すべきだと私は前回書いた。
全体に語りかけるのではなく、少数派に向かって語れ、1%、いや、0.1%でも多いくらいだ。
基本は、誰か一人に語りかければいいのだ。
もちろん、その内容がその一人にしか理解できないものならば、別にラジオというメディアを使う必要はない。
今のSNSで十分だ、メールなり、LINEなりお好きな手段で伝えればいい。
だが、ラジオにはラジオの特性がある、それを通じてのコミュニケーションがあるはずだ。
誰か一人に語りかけることが、またそのメッセージがその一人をつかむことができるならば、自然とそのメッセージは他の人もつかむことができる、その構造をラジオが持っているということだ。
わけのわからない大衆に向かって、放送を漫然としていても、そのラジオは広がりを持たない。
もし、今ラジオを聞く人が年々減っているとするならば、そういう本来ラジオが持っていたコミュニケーションの構造を失いはじめたからではないだろうか。
一人をつかむことが、いつか多くの人をつかむ、その構造をもう一度ラジオマンは再認識すべきではないかと思うのだ。


営業を優先にすれば、その番組を始めた時から多くの人をつかんでいないといけない。
それは極めてテレビ的な発想だと思う、ラジオがいきなりリスナーを多数つかむなんてガラにあわないと私は思う。
仕方ないので、有名ゲストを呼ぶ、商品を豪華にする、番組自体を祭状態にするなんてことを、聴取率週間にあきもせず繰り返す。
しかし、ラジオは、テレビのようなハレのメディアではない。
日常、ケ、それを愚直にフォローしていくから、ラジオに人々は愛着を得てきたのではなかったか。
愚直に一人一人に語りかけて行く、今生きている人々に辛抱強くメッセージを届ける。
その結果が、多くのリスナーをつかみ、広告媒体としても機能していくものなのだ。
第一回から大人気、そんなものテレビに任せておけばいい。
小さなことからコツコツと、それでいいではないか、俺たちはラジオなんだから、いきなり多数を狙うなんて、そんな発想は少しやめてみないか、一人一人への語りかけを始めてみないか、「一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞く」、その言葉を考えてみないか、今のままを続けていても、これからどうやって次代のラジオに展望を見いだせると言うのだろうか。


などと、あまり具体的な例を出さぬまま、ラジオについて書いてしまった。
ちょっとラジオ番組の具体例について、今後書いてみようか、そのコンテクストを通じて、何か法則性が新たに見えるかもしれない。
(もちろん、見えないかもしれないけどね。)
ということで、今回はわけわからない話になったかもしれないけど、ご批評、ご意見など、まだ送っていただければ。