カテゴリー : 音楽業界

音楽業界のジレンマ

改正著作権法による「違法ダウンロード刑事罰化」というニュースがネットを賑わせている。
TBSラジオの「dig!」、NHKの「NEWS WEB24」でも、津田大介さんをゲストに呼んで、その問題点を議論していた。
何と、国会ではほとんど議論もないまま5日間で成立してしまった。
津田さんも、こんなことをすれば音楽をネットで聞こうとするファンが減少するだけだと慨嘆されていた。
ネットで音楽を聞かなくなるということは、音楽そのものを聞かなくなるのとイコールだ。
それでもいいのか?音楽業界、今日はそんな話をしてみたい。


私が唖然となるのは、業界が違法ダウンロードによって損害を受けた、その額は7000億近いというプロパガンダ。
違法ダウンロード回数に正規の値段をかけると7000億弱になるそうである。
逸失利益だというのだが、何だよそれというのが正直な感想。
CCCD騒動の時もそうだった。
若い子は、CDを買わずにCDRに次々と焼いてそれをみんなに配っているのだと。
その証拠にCDRの売れ行きが半端ではない、これを何とかすべきだ。
だから、コピーが制限されるCCCDの導入。
その結果、何が生まれたのか。
CDを買う人が大幅に減った。
そんなCDもどきを買わされるぐらいなら、そんな音楽は聞かないというユーザーが増えたのだ。
ある意味、ユーザーを覚醒させた、CDを売っている連中は自分たちのことしか考えていない。
ユーザーがどれだけ不便を感じていても、それを甘受して当然だと言うのだ。
自分たちのやり方で音楽を聞け、そうしない奴は泥棒予備軍みたいな言い様。
そりゃ、音楽業界への信頼感は持てなくなるだろう。
そんな連中のために金を払うのは馬鹿らしい、多くのユーザーがそう思い、その結果CDの売上はどんどん落ちて行った。
違いますか?


CCCDで懲りたはずの音楽業界なのに、言っていることは相変わらず。
今売上が減っているのは、ネットの所為だと決めつけている。
違法ダウンロード、まあ、それを言われれば誰だって反論はできない。
違法なのだから、それを正しいという言論人はいない。
ただ、みんなどこかで思っているはずだ。
ネットで音楽を聞くのがそんなに悪いの?
ネットでしか音楽を聞かない人が増えているのに、一体どうやって新曲の情報を得よというの?
皆が皆、TVを見ているわけじゃないし、ラジオを聞いているわけじゃない。
音楽雑誌なんか、見たこともないという音楽ファンも増えているのだ。
頭の中が、昭和なのである、業界人は。
ネットですべてを完結させている音楽ファンに対して、業界はどう付合おうとしているのか、それが感じられない、ネットだけで音楽を聞くな、CDを買え、その情報はテレビを見ろ、ラジオを聞け、か。
自分たちがハンドリングできているメディアは許せても、ブラックボックスなネットは許せないのだろう。


でもね、考えてもごらんよ。
CDの売上が音楽業界のすべてなの?
私の子供の頃、多くの人気歌手が生まれ、その歌はみんなが覚えて歌ったりしたけど、レコード自体の売上は数万程度だったじゃないか。
ラジオで聞いた曲を覚えた人が、みんなに教え、のど自慢大会などで発表し、歌声喫茶などで一緒に覚え、バスガイドさんが歌い、またそれをみんなで覚え、ヒット曲は多くの人の記憶に刷り込まれていった。
だから、少し前のヒット曲はたいてい歌える、歌えなくても全体的な雰囲気は覚えているというのが普通だろう。
今のヒット曲とやら、いったいそういうスパイラルがどれだけ生まれているといえるのか。
だから、ほとんどの人は、オリコンチャートの曲を歌えない。
タイトルすら知らない、でも、この人が今人気なんですとテレビで言われ、そんなものなのかなと無理やり納得しているのにすぎない。


かつてヒット曲が生まれる時に、レコード会社はどれだけ儲かったのか?
レコードだけじゃ、大したことはなかったはずだ。
今ほど著作権がどうとも言わなかったし、それが金に換わるとも思っていなかったのかもしれない。
何しろ、ラジオで曲を流しても使用料はとられなかった。
使用した曲のレコード会社(レーベル名)さえ最後に言えば、一円も徴集されない。
多分、これも宣伝の一つだと思ったのだろう。
だが、アメリカから音楽出版権がどうのこうのというビジネスモデルが入ってきて、音楽界の事情は変わって行った。
今は、音楽の枝葉末節まで権利権利でがんじがらめ。
CDバブルの頃に、その枝葉末節がすべて金に換わったため、それが既得権化し、今に至っている。
CDが売れなくなれば、枝葉末節にぶらさがる連中が困るのである。
都合の悪いものはすべて排除する。
何がネットだ、この泥棒猫!という悪罵中傷とともに。


カセットにラジオからエアチェックした音楽の数々、あれは何だったのか。
あれが許されて、ネットで音楽を交換しあうことが何故そんなにダメなのだろう。
音楽を聞く習慣が変わってきている以上、それに合わせたビジネスモデルと言うのがあるはずだ。
それが、違法ダウンロード刑罰化の延長上に見えているのか。
ラジオ業界と一緒だ、手垢のついたビジネスモデルに固執するなかれ。
客は確かに文句は言わなくなるだろうが、急速に音楽市場から消えていくだろう。
それを恐れないのか、音楽業界は。


長くなった。
私もアイドルビジネスに少し参画している状況なので、身勝手な業界の論理がどうしても気になるのだ。
角を矯めて牛を殺す、そんなことにならないように自戒してほしいと強く望む次第。



番外・上田正樹「悲しい色やね」追記

昨日、「大阪城・緑の森音楽祭」が、上田正樹の「悲しい色やね」が売れたきっかけと書きました。
それについて、ツイッターに長々と書いたので、それを転載します。
本当にそれが売れるきっかけだったのかどうかは、皆さんの判断にお任せしたいと思います。


さて、今日もブログをアップ。今回は上田正樹「悲しい色やね」のヒットについても書いてます。http://t.co/y4wHG0m4 1983年に関わったイベント「大阪城・緑の森音楽祭」・このイベントが大成功するとともに、一人のアーチストが脚光を浴びます。それが上田正樹さんでした。

posted at 22:04:08

上田正樹さんの「悲しい色やね」は1982年10月のリリース、チャートのベスト10に登場するのは8ヶ月後と紹介されています。そうです、私たちが企画した「緑の森音楽祭」の実施は7ヵ月後。実は、このイベントで上田正樹さんは大トリでこの「悲しい色やね」を歌い、大喝采を受けたのです。

posted at 22:07:26

私はFM大阪の営業担当でした。大阪の三木楽器店さんと組み、協同宣伝という広告代理店と一緒にアマチュアとプロのアーチストによるイベントを企画したのです。三木楽器さんは、バンドのメンバーが店に来てくれることを狙っていました。協同宣伝さんは、若者向けのイベントが珍しかったようです。

posted at 22:11:27

上田正樹さんがゲストの大トリに決まったのは、多分偶然だったと思います。本来アルフィーに頼んでいたのですが、都合が悪くなり、困っている時に、当時のソニーの宣伝マンがキー坊どうですか?今度バナナでライブをやるので是非見に来て下さいと強く推されたのです。そしてPと一緒に見に行きました。

posted at 22:14:17

バナナで見たキー坊は確かに良かったのですが、少し感動したのは「悲しい色やね」でした。この曲、いいなと思いました。よし、緑の森音楽祭はこの曲をメインにしよう。ソニーの宣伝マンに言うと、最初は少し驚かれたようですが、早速東京に報告しますと張り切られていました。

posted at 22:16:55

それから、私はFM大阪で流していたイベント告知の曲を「悲しい色やね」に変えました。20秒だけではなく、30秒、40秒スポットも追加。「ホールミータイト 大阪ベイブルース♪」のサビを常にアップして聞かせました。CM担当に1日30回ぐらい流してと依頼。一日中流れるようになりました。

posted at 22:20:03

これは相当印象に残ったようです。三木楽器の方も、すごいですね、うちのイベントをこんなに宣伝してもらっていいのですか?と訝られたくらいです。いわゆるヘビーローテーション。ま、当時のFM大阪は一押しのアーチストを自発的に集中してオンエアするというのは至極当たり前のことでした。

posted at 22:22:34

FM大阪がヘビーローテーション的にとりあげ大ヒットさせたアーチストとしては、ディックセントニクラウスもいます。これも当時の大阪エピックの宣伝マンが輸入盤で見つけたアーチストを東京に直訴して大阪限定で発売。その意気を評価し、皆でオンエアに努力しました。欲得もなく、いい時代でしたね。

posted at 22:28:19

さて、上田正樹「悲しい色やね」ですが、そういうことでFM大阪で四六時中流れますから、人の耳にもついてきます。あ、キー坊がうとてんのか、ほんだら1回ちゃんと聴いたらなあかんな~有線チャートへも、ソニーの宣伝抜かりはありません。FM大阪でこんなに流れますよ~と情報を流します。

posted at 22:30:59

そして、5/5の大阪城野外音楽堂で行われた「第1回緑の森音楽祭」は大成功でした。集まっている人たちは、その時にはみんなこの曲を知っています。しかも、他にもビッグゲストがいるのに、大トリは上田正樹。「悲しい色やね」でイベントを締めるんだ、そう決めていたからです。

posted at 22:33:19

ある人のブログ「年が明けた1983年の初夏のある日、、突然、風向きが変わったんだよね~。この曲に対しての。まあ、♪ホーミタイト 大阪ベイブルース~ ♪ってあるように、内容はもろ「大阪」だからね。昔から大阪の有線から火がついた曲はヒットするっていうジンクスがあるから」とあります。

posted at 22:35:32

有線で広がったのは事実です。そのきっかけを作ったのが、「緑の森音楽祭」であったこと、明らかですよね。何もないのに、有線でかかるはずありません。それも7ヶ月も遅れて。当日ソニーさんは東京から大勢の記者の方を呼ばれていました。一世一代の大舞台だったんです、キー坊にとっては。

posted at 22:37:43

後半で紹介しているブログは、「かじやんのヒット曲&チャートレビュー」といいます。
同様の趣旨は、ネットでは作曲家の林哲司さんの感想という形で引用されています。
多分、林さんは詳しい事情をご存知なかったのだろうと思います。
なにしろ、売れるとは思わなかった、8ヵ月後にいきなり売れだして驚いたとインタビューで語っておられるぐらいですから。

こちらにも、BSフジでの林哲司さんのインタビューの紹介があります。
ここでも、有線からのヒットという形で書いていますが、イベントをきっかけにして有線で火がついたと訂正して欲しいなと思うのですが、あまり嬉しがりみたいに思われるもの嫌だし。


1983年5月5日「大阪城・緑の森音楽祭」、あの時参加してくれたアマチュアのバンドの皆さん、野外音楽堂に集まってくれた皆さんに、「悲しい色やね」のヒットは、あの時の皆の力で作ったんだよと、今も大きな声で叫びたいというのが本音なんです。
いい曲というのは、そういうストーリーを常に持っている、それが私の実感の一つでもあるんです。


(追記)アマチュアのバンドは10組ぐらい出たのですが、応募されたのは200組ぐらいあったと記憶しています。
心斎橋三木楽器の上にあるホールで、私も審査員になり、多くのアーチストの方を全部聞き、選出したのがこの10組でした。当時は、ちょうどチャゲ&飛鳥が「万里の河」でデビューし大ヒットした後だったので、男のアコースティックデュオが10組以上、エントリー。
みんな「万里の河」を歌っていました。
正直、飽きてしまったというのが事実です。(おかげで彼らは誰一人、イベントに出場できませんでした。)




音楽業界の行方

「P2Pとかその辺のお話@はてな」というブログがある。
音楽産業の現状、特にネット関係を含めて興味深い情報を提供されている。
リンクされている回は「ガラケーからスマホへ:どうなるCD、どうなる音楽配信」というタイトル。
携帯がスマートフォンに変わり始め、危うしレコード協会というような内容だ。


ガラパゴス携帯で音楽を聞くとなると、やはり一番メインなのは「レコチョク」。
特に力を入れていたのは着うたフルで、1曲420円。
外に持ち出しができないため、CDの販売を阻害しない、共存できるという媒体である。
それが、携帯のメインがスマートフォン(特にiPhone)になると、ユーザーはiTunesを利用ことになる。
こちらは、基本1曲200円である。
アルバム単位で買う人も多いので、確実にCDの販売と競合することになる。
レコード協会(レコチョク)側は、これでは困る、何とかならないかという話。
ま、何ともならないだろうが。


そのあたり詳しくはブログをお読みいただくことにして、私が注目したのは以下の部分だ。

レコード産業は、利便性を高めることが不正入手や意図しない使われ方をすることに繋がると恐れ、消極的になっているのかもしれないが、この10年を振り返るに、そうした消極性はAppleや、違法配信界隈を利するだけではなかったか。一方で、デジタル時代への適応の遅さは、リスナーの生活の中での音楽の希薄化につながっていったのではないか。


既存のレコード産業を、延命ではなくサステナブルなものとしたいのであれば、一刻も早く、利便性を高め、そのことを広く周知する必要があると思う。それによって、日常生活においてさまざまな場面で音楽に触れる環境を作り出し、広く深く濃い音楽体験をリスナーに提供することができる。配信だCDだと語ってきたが、今必要とされているのは商業レコードそのものの価値をどうやって高めていくか、なんじゃないのかな。

レコード業界は、ネットの時代になっても従来の商売のやり方を変えず、そのためにあえてユーザーの利便性を邪魔して、自分たちの都合のいい音楽の消費の仕方を強制し、その結果ユーザーの音楽消費行動を抑制してしまったと書いているのだろう。
利便性を重視して放置すれば、ある意味ユーザーに音源を自由勝手に使われてしまい、その結果、本来消費によって得られる利益が著しく減殺されると業界は危惧したのだ。
やれることは、とにかくユーザーにコンテンツを自由に扱わせないこと、そのためには著作権法を持ち出し、ユーザーを下手すると泥棒あつかいしかねない言説をばらまいたりした。


メディアを選ぶのは、おれたちレコード業界である。
周辺で、新しいメディアを使って音楽を流通させようとする動きがあるが、そんなのは俺たちがNOと言っている間は何もできない。
とにかくネットでの音楽流通は時期尚早、まずCDによる流通が基本であることを、ユーザーは認識すべきだ。


何か、以上のような高飛車な言葉で、音楽業界(特に日本の)はパソコンや携帯などの消費メディアを頭から規制してきたのだ。
そして、業界は消費者から総スカンを食った形になり、CDの売上大幅減という体たらくに陥った。
当たり前だろう、と私は思った。
CCCDなんかも、悪あがき以外の何物でもないと正直情けなくさえ感じていた。
利便性を無視して、流通などしない、それぐらい商売を長くやっていてわからなかったのだろうか。


とにかく、音楽業界はいきなりやってきたデジタルの波、ネットの波に、自分たちが作った防波堤を次々に破られたのだ。
消費者を泥棒扱いしたり、俺たちが上流にいる限り、下流のものはおとなしくそれを受取っていればいいのだという不遜な態度を見せたり、こりゃ、技術革新の波に飲まれるのは必然だなと思われても仕方がなかっただろう。


何度も書くが、ラジオ業界も同じような防波堤を築きながら、今のデジタルの波に立ち向かおうとしている。
それよりも、必要なものは自らが変わることではないかと指摘する人は多い。
今のままでいたければ、自らが変わらなければならない。
誰でも知っている言葉の重みをもう一度かみしめる必要が音楽業界にもラジオ業界にもあるはずだと私は断言しておきたいのだが、これも又不遜な言葉に聞こえるだろうか。