カテゴリー : 過去のブログより

過去のブログより~舞台を作るのは自分

坂本竜馬は、今もまだまだブームが続いており、心酔しておられる有名人の方も多い。
日本シリーズで日本一になったソフトバンク・ホークスのオーナー、孫正義さんもその一人。
確かに、あの生き方は、何らかの志を持った人でなければできなかったろう。
批判される人は多いが、日本の携帯電話をスマートフォンに劇的に変えさせる要因を作ったのは、ソフトバンクに他ならない。
通信業界で長年君臨してきたNTTとKDDIの携帯電話のシェアを大幅に下げさせることなど、後発の企業がなかなかできることではなかったろう。
その意味では、偉大なるプロデューサー、坂本竜馬&孫正義というところか。
どちらも、私は心から評価している存在ではないが。
そういうことで、今日は過去のブログより、竜馬のことを少し書いた「舞台を作るのは自分」を紹介する。
では、また後ほど。

2004-11-30 22:02
人生は一場(いちじょう)の芝居だという。
ただし人生は芝居と決定的に違うところがある。
芝居は、他人が舞台を作ってくれる。
だが、なまの人生は、自分で自分に合った舞台をコツコツと作り、その上で芝居をするのだ。
他人が舞台を作ってくれることはほとんどないと心得よ。

なかなかの達見だ。
もちろん、私のオリジナルではない。
昨日も書いた「竜馬がゆく」の一節である。

竜馬というのは、さしずめ名プロデューサーだったのだろう。
プロデューサーは、一からコツコツと舞台を作るのが仕事だ。
そして、その舞台の上に役者を上げ、思う存分自己表現に専念してもらう。

うまくはまれば、心から嬉しい。
だが、世の中、そんなに簡単に最高のものなどできはしない。
試行錯誤の繰り返し、イライラは募り、毎日はただの苦しみの重なりになる。

いつか、すべてが大団円を迎える。
今の苦労は、そのためのステップ、あるいは一里塚。
未来の栄光のために、今の辛酸を耐える。

それが人生、それが私がプロデューサーであることの証。

今日の仕事は辛かった、明日の仕事、今日よりも更に嫌な一日になることは見えている。
だが、それが人生、それが人間の甲斐性だ。

死して後、やむ。

そう思わないとやっていられない。

燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、なんてフレーズを思い出した、私が鳳がどうかはわからんが。



さて、そういうことで、あれから9年たった今も、プロデューサーの仕事を細々と続けている。
昨日は、大阪の千林商店街にある、フェニックスホールで、「フェニックス・アイドル祭り」というのに関わっていた。
かってダイエーが発祥し多くの人々をひきつけた街、千林、しかし今は過去の賑わいも半分というところか。
この街を何とか生き生きとした文化が胎動する地域にできないものか。
そう思い、リニューアルしたフェニックスホールを拠点にいくつかプランを考えたりしているところ。
とにかく、アイドル祭りは、200人以上の方を集め、まあまあ成功というところだった。
さて、NEXTは何?
気になるのは、このホール、大阪市の持ち物で外郭団体が管理していること。
橋下さんが、今度の選挙で市長になれば、潰されるのではないかという危惧もないではない。
何か平松現市長不利なんて情報が飛び交っており、全く気が気ではない昨今である。




過去のブログより~頼れる人

読売巨人軍清武GMが解任された。
ナベツネ帝国にとっては、遅すぎる処断ではなかったか。
本来は、ナベツネ氏は即断し、取締役会など経ずに解任を発表していただろう。
「やめてもらうよ、あたりまえのことじゃないか。」
そう言えば済むことだった。
今回それが何故できなかったか。
取締役会で、話がすんなり通るかどうか自信がなかったのではないだろうか。
大体、コンプライアンスでナベツネ氏が責任を追及されたこと、ご本人はさぞショックだったことだろう。
いわゆる信頼した身内から反旗を翻されることほど嫌なことはない。
とにかく、当面の混乱は平定できた。
後は、落ち武者狩りがどこまでできるか。
読売のまわりにいつのまにか包囲網ができてしまうということもないとはいえない。
ということで、今回は野球のことを例にあげて書いたプロデューサー論を紹介する。
では、のちほど。

2003-11-4 19:30
イベントなどをやると実感するのだが、スタッフに頼れる人がいるといないのでは、精神的には大違いなのだ。


私自身は、たいていのところに目が向く方だと思っているが、それでも四六時中どれもこれも対応できるわけではない。


担当の人がいれば、その人を100%信用して、業務をまかせたい。
ところが、この担当の人が頼れるかどうか。


10人担当がいれば、何の心配もなく頼れるのは1~2人程度である。
後の8人は、安心して任せるのは危ない。


アクシデントが起きた時の誘因に、この8人の判断ミスというのが怏々にしてある。


能力はあっても、個々の判断力はまた別なのである。


だから、私は、どうしてもこの8人の仕事に何らかのチェックを入れざるをえない。


アクシデントなんてそんなに起きるものではないが、私がいたのに何故こんなミスを指摘出来なかったのかと後で後悔したくないのだ。


野球の監督をしていたら、やはり欲しいのが有能なヘッドコーチである。


巨人に牧野コーチという方がおられた。
川上監督、藤田監督時代の名参謀である。
最近はあまり話題にならないが、阪急ファンであった私は、全く歯が立たない巨人の強さの裏に、いつもこの牧野コーチを意識していた。


試合が始まれば、監督は専らこの牧野コーチに任せておけば良いのだ。
牧野コーチが、「監督、ここはこうしたいと思いますがいいですか?」
監督は、ただイエスかノーかを言っていればいい。
それが信頼なのである。


プロデュースをやっていて、いつも思う。
プロデューサーは、部下が言ってくることにイエスかノーかを言っていればいいようになりたいなあ。


そういうスタッフを回りに置いておきたい。
そうすれば、私の心労は減り、どんなアクシデントにも完璧に対応ができるようになる。


プロデューサーなんて、アクシデントへの対応しか現場では仕事がない。
本当は、そうありたいと思うのだ。


だが、現実はその8人の仕事のチェックまで気をかけないといけない。


ああ、名参謀がほしい。
頼れる人があらまほしきことである。



プロデューサーは、表面的には人を信頼しているふりをしているが、内実100%信頼していては状況に対応できないというのが事実だろう。
「私は選手を信頼していますから。」と語る中日の落合監督。
実際は、それほど信頼をおいてはいまい、いや、落合さんぐらいになると自分さえ信頼していないというのが真実だろう。
真理とは空である、そう考えると信頼など風に舞う落ち葉のようなものだ。


世の中、自分さえいれば何とかなるなんて思う人の気がしれない。
私には価値がある、私は正しい、私はすべてを支配する。
よく、そんな牛のように腹をふくらませた蛙の思考ができるものだ。
毎晩、それで気持ちよく眠れるとしたら大したものである。
私なら、毎晩裏切り者が現れる夢を見て、イライラするだろう。
権力者なんかなるものではない。
などと私は思うのだが、反論ある?



過去のブログより~プロデューサー 欽ちゃん

昨日のプロデューサーって何(第2回)で、プロデューサーは王になってはならないと書いた。
ヒエラルキーの頂点に立てば、結局プロデューサーはその力に頼る有象無象にスポイルされる可能性があると思うのだ。
もちろん、最初から人々の上に立って、支配し、君臨することを望んでいるのなら話は別だ。
しかし、そんな立場に立って、どんな画期的なものをクリエイトすることができるだろう。
ハングリーでなければ、プロデューサーは務まらない、私の強い信念だ。

話はずれるが、かってソ連のブレジネフ書記長はありとあらゆる勲章をもらった。
勝利勲章やレーニン勲章は言わずもがな、存在するありとあらゆる勲章を自分の胸につけた。(自分で自分に与えるのだから、いくらでもつけられる。)
よく覚えていないが、文学賞も、詩の賞も、美術も建築も伝統芸能も、人がもらったものは全部自分も受賞したという。
最高の自分のプロデューサーだったわけだ。
もちろん、皮肉をこめて。
そういえば、北朝鮮の金総書記も偉大なるプロデューサーらしい。
すべての創造物は彼の指導によって作られたという。
こうなれば、単なるプロデューサーではなく、スーパー・ブリリアント・エグゼクティブ・プロデューサーということになるだろうが。


閑話休題。
今から10年前の私のプロデューサー論があったので、ご紹介する。
萩本欽一さんに関して色々書いているが、今もこの考え方は変わっていない。
では、また後ほど。

2001-10-1 17:13

プロデューサーとして、尊敬している人が二人いる。
一人が元フジテレビの横沢プロデューサーで、もう一人が萩本欽一さんである。

欽ちゃんを天才的な芸人と語る人は多いが、私は天才的なプロデューサーだと思っている。

あの人のタレントの発掘の仕方は、まぎれもなくプロデューサーのそれである。
アドバイスのやり方もそう。それと、弟子を持たないところもそうなのだ。
プロデューサーには弟子等いらない。
その時々に旬な素材がほしいだけなのだ。
自分の芸を継承させよう等とは思わない。むしろ、自分の芸を超えた芸を作れるように、後進に環境を整えてやる、欽ちゃんのやり方はきっとそうだったはずだ。

弟子等、プロデューサーにはほとんど意味を持たない。
一番いい環境を作ってあげる。そこで勝手に育っていけばいい。
育たなかったとしたら、それだけのものでしかなかったと諦めなさいということか。

確かに一時期の欽ちゃんの人気はすごかった。
TBS、フジ、テレ朝のゴールデンでレギュラー番組を持ち、どれもお化けのような視聴率を稼いでいた。
日テレは仮装大賞だったかな。
テレビ局は、ただただ欽ちゃん詣での毎日だったという。
去年までの巨人戦みたいなものだ。

今の欽ちゃんには、もうそんな力はない。
仮装大賞もやっと2ケタ。
昔のような華がないのだ。ただし、これは芸人としてだが。

プロデューサーとしての欽ちゃんは相変わらず凄いはず。
方法論は簡単には古くはならない。
今でもその能力は、日テレの土屋氏を軽く超えるだろう。(でも、彼は編成部長に人事異動。現場を外すなんて馬鹿な会社だ。菅氏もなかなかだし、フジの三宅氏もいい線いっている。ま、狭い私の知る範囲だが。)

さて、欽ちゃん現象として、今回何をいいたかったかというと、もう巨人も長島さんじゃないだろうということ。

才能はすごいとか、キャリアはすごいといってみても、視聴率はとれない。
カリスマだ何だかんだといっても、それが数字にはつながらない。
いくら欽ちゃんをみんな好きだとはいっても、やっと10%そこそこなのだ。
今さら、ゴールデンのレギュラーを作ってくれとは誰も頼まないだろう。
欽ちゃんはすごい、だけど今はもうそれだけでは数字はとれないと、スタッフがわかっているからだ。

巨人戦もそう。
巨人が野球をしているだけでは、もう数字はとれない。
もっと付加価値をつけない限り、客はどんどん減っていく。
金を持っている層がファンとして強固にいるので表面的にはカッコがついているが、絶対的なファンの数は減る一方だ。

何か新しい付加価値をつけないといけない。
長島監督では、もう付加価値にはならない。
ただ、勝てるだけのチーム編成だけでは、客は寄って来ない。(アンフェアなやり方には生理的な拒否感さえ生まれつつある。)

では、新しい付加価値とは何か?具体的なプランは?
もちろん、原新監督などという古ぼけた手法では話にならないが。

欽ちゃん現象が今色んなところで起こっている。
あなたのまわりでも、私のまわりでも。

この件に関しては、もう少し考えてから続きを書きたい。
とりあえず、今日はこれぐらいで御勘弁を。

プロデューサーって何歳までできるのかな?



巨人の話は、何か今日的というか、状態はますます病膏肓に入るという感じだ。
ナベツネさんも、本当にそろそろ退かれたほうがいいのではないかと思う。
このままではどんどん客が引いていく、それを肌で感じないと。
老醜を曝け出すだけというか、読売グループ自体の後進性が暴露されるだけというか。
どこかのFM局もそれで色々苦労していた。
今は、ちょっと落ちついたのかな。


確かに巨人軍にも、いいプロデューサーがいない。
ヒエラルキーが優先されると、画期的なプロジェクトは生まれないのは事実のようだ。
権力者は謙虚であってほしい、最近それを痛感している。