カテゴリー : 2011年 10月15日

過去のブログより~10年前の私の予言(原題:ブロードバンドが来る日)

以下は、10年前に書いたもの。
ブロードバンドが普及するにしたがってどうなるかを予言している。
まあまあいい線行っているなあ、と贔屓目かもしれないが私は思う。
10年前って、私の事務所、まだISDNで64Kbpsだったんですね。
ADSLが少し動き始めた頃のようです。
今のテレビがなくなり、デジタルハイビジョンしか残らないというのは、ドンビシャではないでしょうか。
読売新聞の「Bit by Bit」、なかなか面白かったですよ。
後、「Hot Wired」もITを知るいいメディアでした。
最近、情報が錯綜しすぎていて、何を信じていいのかわからないのが残念。
10年前は、ネット情報そのものが少ないので、それを吟味する時間もたっぷりありました。
選択肢が増えれば、全体に希薄化するのは仕方がありません。
情報量は多くても、全体として密度が低下するのは、ビッグバンと同じことなんでしょうね。
そういうことで、10年前の私の予言、適当におつきあいください。

2001-10-25 23:16
読売新聞系のサイト「Bit By Bit」に次のような記事が出ていた。


野村総合研究所によると、一般家庭への普及が本格化し始めているブロードバンド・インターネットの加入世帯について、2000年度末の約90万世帯から2006年度末には全世帯のほぼ半数にあたる2200万世帯に達すると予測している。


半分というのは凄い数字である。(平成12年度国勢調査では日本の世帯数4700万世帯)
こう言った情報インフラは田舎ではほとんど整備されないということを考えると、都会ではほぼ全戸がブロードバンド化されているとみてよかろう。

さて、そうなると私達の生活はどう変わるだろうか?

テレビは、どうやらブロードバンドでも見れそうだ。
どこの放送局も何らかのサービスを強化するだろう。
今のテレビ受信機は、デジタルハイビジョンを除いて不要になるかもしれない。

セットトップボックスというのが各戸に常備される可能性もある。
放送はすべてこのボックスに収納される。
任意の時間に引っぱり出せば、いつでも番組を見たり聞いたりできる。
ホームサーバの需要も増えるかもしれない。
ipv6の普及も加速されるだろう。
どんな風に使えるのか、今はまだよく見えないが。


NTTにはどう考えても未来がない。
家にブロードバンドが引かれれば、今の電話線は全く必要でなくなる。
電話器だってどうなるかわかったものではない。
ファックスも、ワープロ専用機が製造中止になったように、早晩消えてなくなるだろう。(つまりファックス専用機が製造中止になるということ)
NTTには確実に毎月の膨大な基本料(1回線あたり約2000円)が入らなくなる。

だいたい、電話が1億回線あったとすると月額2000億円の収入がなくなるのだ。
私が経営者だったら信じたくない、えげつない減収である。

水が干上がりはじめた池の鯉の心境だろうなあ。でも、それを止めること等だれもできまい。


携帯電話もついでにいうと、今ほど儲からなくなるはず。
ブロードバンド時代には、回線は余りに余ってくるのだから、今のような何秒いくら、なんて商売は無理だろう。

たいていは、かけ放題、ネット使いたい放題ということになるはずだ。

ADSL回線が値崩れしているような状況が携帯電話の世界にも訪れる、そうですね、早くて来年の後半か再来年ぐらいからそうなるんじゃないでしょうか。


私の昔いたFM放送局となると、どうなんだろう。
2006年に単独で生き残っている可能性20%ぐらいかな。
FM局というだけじゃ、ビジネスは成立しないかも。
2003年ぐらいまでが勝負なんじゃないでしょうか。


音楽業界。
これはしぶといかもね。裏の世界が生き残っている限り、まだまだ今までの構造を変えないでしょう。
ブロードバンドで裏の世界が消えるとは思えませんから。

ただ、外国資本のM&Aがより活発になるはずだから、レコード会社が今までと同じとは考えられないでしょうね。

ここ1~2年のアメリカの音楽業界は要チェックかな。


他に、そうですね、会社がダウンサイジングしていくかもしれない。

大きな事務所は不要になり、社員はSOHOのような場所で仕事をするようになる。
通勤というのも減り、電車の客がガタ減りになる。

ブロードバンドで、どこでも会議、どこでもオフィス。

私のスタッフが、ネットを使った会議システムのソフトをモバイルに入れていて、どこでも会議ができるというのを実証してみせてくれたのには、ちょっと感動。

オー!と声をあげてしまいましたね。

恐るべし!インターネット、と思いましたよ。

公衆電話もテレビ電話が標準になりそうです。
これは困ったことですね、みなさま。

さて、ブロードバンドが家に来る日を、思いつき程度に書いてきましたが、皆さんの御感想はいかがでしたか。

でもね、私達の事務所がフレッツISDNになった時、やっぱり私達の会社での仕事の内容が大幅に変わったのは事実なんです。

まもなく、この事務所もADSLに変わります。今度はどんな驚きを私達にもたらしてくれるか、今からとても楽しみ。

光ファイバーは、来年の後半ぐらいには引きたいな。
いよいよ、来るぜ!おれたちの時代だー!
家来ども、前祝いじゃー、前の焼肉屋で、パーと行こうぜー!

え?今日は遠慮しとく?
狂牛病?
そうねえ、頭スカスカになったら、ブロードバンドどころじゃないもんなあ。


自宅はただのアナログ電話線、いつか解約してやる!



さて、皆さまはどんな感想をお持ちになりましたか?
公衆電話はテレビ電話になるのではなくて、町から消えかけていますね。
今、どこへ行けば公衆電話があるのか、承知している方、どれだけおられますか。
最後の、狂牛病も、時代ですね。
それより恐ろしい放射能で、2011年はもちきりです。

過去のブログより~不適切な表現

放送の現場にいたものの実感をおそるおそる書いております。
今から10年前の書込み。
とりあえず、伏字はやめましたが、今後修正するかもしれません。
ご容赦ください。

2001-7-3 18:45
「番組の中で不適切な表現がございました。おわびいたします。」
先日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」の最後でとってつけたように言ったコメントがこれ。
え、不適切な表現?どこで?何言ったの?

不適切な表現だったため、まさかそれをくり返して言うわけにはいかない。
わかる人がわかればいい、とにかく番組としては謝りましたからね、というメッセージだ。

この場合は、石原知事の言った「私はめくら判を押すわけにはいかない」の部分。
ふだん何気なく使っていると、つい出てしまう言葉のひとつだ。
石原知事は、「三国人」とか「支那」とかやや差別的な言葉を確信的に使うが、今回の発言は単なるミスであろう。
「めくら」なんて言葉は今やほとんどの人が使わない。「つんぼ」も「おし」も「いざり」も、めったなことでは耳にしない言葉になってきた。
差別的な意味しか持ち合わせない言葉が葬りさられることは仕方がないが、では「めくら判」はどうなのだろう?
そう言えば、別番組で農水族議員の松岡某氏(諫早の水門は自民党が開けさせないと見栄を切って、今になってバカにされているオッサン)も同じように「めくら判」を使って、場をしらけさせていた。
どうやら、政治家がよく使いたがる言葉のようだ。
「めくらじま」という布地もある。これは言い換えようがないのでそのまま使うしかない。
「めくら滅法」というのは今でも何かの拍子に使いそう。
私なんか、鉄砲持たせりゃめくら滅法打つしか方法がないのだから。
「めくら蛇におじず」とか「群盲象をなでる」などもある。
いい得て妙なのだが、やはり使わない方がいいのだろう。

放送局の先輩から聞いた話。
ジャニス・イアンの「ラブ・イズ・ブラインド」という曲がある。邦題を「恋は盲目」と言っていた。
ところが、言葉狩りが始まりだし、放送局では言い換え集等をまとめはじめた。
で、某局はこの盲目はダメだといい始め、仕方なしに「ラブ・イズ・ブラインド」の原題で通すことになったという。
盲目がダメで、ブラインドが何故良いのか?
意味は同じではないか。英語ならよいのか。
「キチガイ」はだめで「クレイジー」はいい。考えたら、こんなクレイジーなことはない。
(クレイジーがダメになったら、クレイジー・キャッツが紹介できなくなるのでOKらしい。)
少し前のTBS「花まるマーケット」のゲスト、近鉄の中村ノリダーが「いやあ、これについてはキチガイですわ」なんて大きな声で答えていた。
生だから、どうしようもない。
ま、確かに趣味においてはキチガイなんでしょう、彼は。
(しかし、元放送マンとしては、場の雰囲気がわかるだけに、こちらも冷やっとしますね。)

キチガイを何故放送で言ってはいけないのか。先輩は私にこう言った。キチガイという言葉を聞いたキチガイが気を悪くするから。

ホントかね?

キチガイがキチガイという言葉にナーバスになりそうなのは感覚的にわかるような気がするが、だからと言ってキチガイが更にキチガイになるのだろうか。
昔、ニュースを読んでいる時、ニュース原稿に「虎キチが大いに盛り上がっていました」とあった。
虎キチ?キチガイってそのまま言って良いのか?
煩悶したあげく、「虎ファンが大いに盛り上がって」と読み替えた。
苦情の電話がかかってきて混乱にまきこまれるのはゴメンだと思ったからだ。
こんな苦情の対応していたら、予定していた仕事ができなくなる、君子危うきに近寄らずである。

つまり、言葉を言い換えるのは、君子危うきに近寄らずっであって、この際言論の自由も、報道の自由も関係ない。

事勿れ主義だ、言葉狩りだと、言論人がおっしゃる。
私も同意する。筒井康隆さんとてんかん協会の対立も私は断固筒井氏を支持する。

だが、放送局の一員としては、そんなことより苦情の来そうなことは絶対にしたくない。
自分の思想に殉じるのは勝手だが、放送局はそんな社員を絶対に守ってくれない。
そりゃ、最後に言いたくなるだろう。「番組の途中で不適切な表現がありました。おわびいたします。」
言っておくけど、私は悪くありませんからね。一応、番組として、社として謝りましたからね、私に文句は言わないで下さいね。私は、知りませんからね・・・・。
ついでに、このようにこの欄では書きましたが、これぐらいの言論は許して下さいね。m(_ _)m