カテゴリー : 2011年 10月17日

私はいかにしてプロデューサーになったのか(第10回)

■まず技術部のM氏に連絡


大晦日オールナイトライブ、企画書を実行に移すことになり、まず連絡したのは本社技術部管理職のM氏。
本当は上司である制作部長に連絡しないといけないのですが、前にも書いたように東京支社移った時から、業務は本社管理ですが、人事管理はすべて東京支社長下にあります。
それゆえ、遠慮するのか匙を投げているというのか、本社の上司からは日常的に接点ゼロ。
本社制作時代は、番組を作るに当たって常に制作予算書というのを提出させられていたのですが、支社に移ってから提出しろという命令は全くありませんでした。
支社だからといって、番組制作費用は本社制作部管轄のはずなのに、何故か要請されない、今から考えても何か変だったなあと思います。
何しろ、私が担当していたレギュラー番組は最大時23あったのです。
FM大阪制作番組(ネットを除く)の1/3は私のプロデュース番組だったのですから、一体当時の制作部長はどんな管理をされていたのでしょうか。
ま、言いかえれば、それだけ私の自由度が高くなるわけですから、私が文句を言うことではありませんが。


■バイク便使ったら


さて、技術のM氏との話に戻りましょう。
M氏は当時は技術担当でしたが、元は営業のCM担当。
能吏というイメージのある人で、もちろん技術担当の人によくある偏狭さはあまり感じられない人でした。
その結果、後に編成局長になり、FM大阪のNO.2の立場になるのですが、その話はまた時間のある時にでも。
私は、とりあえず彼に今回のプランを説明し、どうやって神戸ワールド記念ホールと繋ぐかを相談しました。
「スタジオと現場を常時つなぐ必要はないんだろう?」
「ええ、適当に面白そうなものを時間差をつけて流すという形になります。」
「じゃあ、中継回線は必要ないな。向こうで収録したものを、人力でデリバリーした方が安上がりだし。今はバイク便があるから、業者に頼んでワールド記念ホールから1時間ごとに便を出してもらおう。それで番組が支障なければね。」
1989年(平成元年)のことです。
まだバイク便がそんなに有名ではない頃でしたので、へえ~大丈夫ですかと私は聞いてしまいました。
「大丈夫やろ。大晦日から元日にかけて、道なんかすいてるやろし、彼らはプロやから事故なんか起こさんやろし。」


■収録はPCMで


それなりに自信がありそうなことを言われるので、お任せしますと私。
「それから、収録するにあたっては普通のテープで収録するのも何やからPCM収録せえへんか。話題にはなるで。」
「PCM収録?そんなことできるのですか?」
思いがけなくPCMという言葉を聞き、私は少々面食らっていました。
M氏は、「いや、会社、金が余っているからしょうもないもの買いよってん。使わんともったいないから、ええ機会やからどうかなと思って。」
PCMねえ、それ自体は新しい変調方式として知ってはいたが、実際に使うのは初めて。
「何か、実験台に使ってません?」
「いや、これはイノベーションのための試行錯誤や、使えることは名誉や、そう思うとき~。」
はあ、そんなものですかねえとため息交じりに承諾した私。
とにかく、現場に関しては技術担当に任せるしかないので、ここはとにかくM氏におとなしく従うことにしました。


(続く)




過去のブログより~携帯電話にはノーブルさがない

今日も時間がないので、10年前のダイアリーから「携帯電話」についての話を。
携帯電話には、知も美も感じられない~というのは確かにそうなのだが、スマートフォンには何か違うものを感じるなあと今の私は思います。
とにかく10年前の話、ちょっとした過去のデータとしてお読みください。

2001-12-3 21:22

電車の中で、若い人はたいていコンパクトを見るように、携帯電話を見つめている。
たまに、親指でごそごそ。
メールを打っているのだろう。
大きな声で電話されるよりもましだが、その行為にあまり知性を感じないのは何故なんだろうか。


これが、本や雑誌を読んでいるとしたら、ちょっと知的なイメージもあったりする。(漫画とかゴシップ誌とかは別だが)
携帯電話を使う行為にはノーブルさがない。
何故なんだろう?
ゲームボーイで遊んでいるのと同じイメージだ。
そこにあるのは、動の形。
読書しているのは、静の形。
知のイメージは静の形と対応しているのかもしれない。
動いているものには、遊のイメージはあっても知のそれはない。


日本の美は動かないものの中に潜む。
携帯電話は動き過ぎる。それゆえ、そこには美はない。知もない。


動かないイメージの携帯電話なんて存在するだろうか?


知と美を重んじる人には、携帯電話そのものが忌避する対象かもしれない。
電話というコミュニケーション手段が嫌いと言う人も多いはずだ。
電話には知も美もないとも言う。
不思議と、インターネットは忌避されない。
インターネットには知も美もあるらしい。


言葉が口から出る時には、言霊が一緒に出て行く。
インターネットはどうだろう?
文字からは、言霊は産まれない。
それを口に出して読んだ時、初めて弾けるように外へ出て行く。
まるで、添付書類をあけると飛び出すウィルスのようだ。


私は、携帯電話をもちろん持っている。
便利なものだと思う。
ただ、コミュニケーションの中心に携帯電話を置こうとは思わない。
社会生活を円滑に行う為のツールのひとつとしてしか意識していない。
魔法のリモコンになってほしいとも思わない。
そうなったら、なくした時の衝撃度に耐えられなくなるだろう。


写真をとりたいとも思わない。
携帯のメルトモもほしくない。
お前はただの電話だ、でしゃばるな。


出しゃばる携帯電話。出しゃばらせるユーザー達。


そろそろ私の携帯電話も更新時らしい。
はて、どうしたらよいか、と考え中の今日この頃である。
あなたの携帯はどうだろうか?




知的に見える携帯電話って、欲しくありませんか?



つまり、手をせわしなく動かしている姿を、日本的な様式美がないと語っているのだろう。
しかし、今のようなネット端末としてのスマートフォンというのは、全くイメージされていないのも事実。
そういう意味では、スティーブ・ジョブスが様式美に拘ってiPhoneを作り上げた理由がよくわかるような気がするのだが。