カテゴリー : 2011年 10月

私はいかにしてプロデューサーになったか(第12回)

さて、私はいかにしてプロデューサーになったのかの第12回だが、そろそろ話をしめておこうと思います。
4~5回で終わるだろう、とにかく本格的なプロデュース番組といえる代表例の話をしようと思って始めたのですが、何か色々なことを思い出して、今まで続いてしまいました。

■プロデューサーの自覚

つまり、東京で注文を受け、鹿児島まで飛んでいき、東京に戻ってきて企画書提出、採用、それを受けて大阪へ行き、本社と相談し、スタッフを決める、なかなか大阪にいてはできないダイナミックな動きをしたことが、後の多くの番組をプロデュースしようというきっかけになったのは事実だったでしょう。
本当は、自分でディレクションンもやりたかったのですが、ダイナミックに動くためには、ルーチンワークは少なければ少ないほどいいのです。
情報を集めるというスタンス、いつでも提案を受け入れることができる余裕、それがプロデューサーには必要なので、自分が忙しがっていてはいけません。
頭の中が何かで一杯で、それ以外のことはできないでは、プロデューサーとして活躍することはできない、今の私はそう思っています。
ま、そういうプロデューサー論はおいおいすることにして、今回の1989オールナイトライブの話を簡単にしめておきましょう。

■スタッフの選定

中継スタッフを技術のM氏と相談して決めた後、担当ディレクターを本社制作部にお願いしました。
おまえが勝手に作ったんだから、おまえがやればいいじゃないかという冷たい視線を受けましたが、結局若手のO君がぜひ僕にやらせてくださいと珍しく志願してきたので、ずっと大阪にいるわけにもいかない私は彼に頼むことにしました。
必ずしも、信頼していたわけではないのですが、いないよりましかなと。
現場のミキサーはすでに私がフリーのM君に依頼済み、彼はしっかりしているのでディレクターはフォーマット通りに番組をすすめてくればいいだけです。構成作家もいることですし。
ま、それでも、当日の現場レポーターへの連絡が全くできていなかったので、当日裏側ではバタバタしましたが、それでも放送そのものは何とかうまく行きました。

■最大のトラブル

ここで収録現場では大きなトラブルが発生していました。
何と、このワールド記念ホールのライブをしきっていた代理店に、最初に出てきたイベントプロデューサー、ハンズのO氏が最終的な許可をとっていなかったのが判明したのです。
ライブをFMで放送することは、クライアントにも伝えていない、そんなことはやらせない、と当日セッティングしている現場に担当者が乗り込んで来られました。
中継スタッフは、茫然自失だったそうです。

■トラブルはイベントのつきもの?

どうしたらいいかと思っても、当時はまだ携帯電話がないため私にすぐ連絡できないし、すでにサンテレビの技術スタッフと、音声のミキシングはFM大阪が担当し、それをそのままTV側に流すということで段取りの相談は終わっています。
今更、音がとれないとなったら、TVにも音声が流れません。
その後、O氏がどうやって代理店の方をなだめられたのか詳しくは知りません。
トラブルが起こった後、会場に顔を出した私に、「えらいことがありましてねえ~」なんて、さびしい顔をしていたO氏の顔が忘れられません。
とにかく、イベントにトラブルはつきもの。
そんなこと一々気にしていたらプロデュースなんかできませんわね。

■そして番組は始まった

そういうことで、何とか現場はおさまり、私も神戸ワールド記念ホールで始まったリハーサルをチェックした後、現場の方によろしくお願いしますと挨拶をして、大阪中之島の本社スタジオに戻りました。
6時過ぎ、伊藤銀次さん、夏木晴美さん、アニマルハウスの大塩さん到着。
いよいよ、番組の最終打合せが始まりました。
ま、その前にめしでも食いますか~。
気楽なディレクター、O君が少し緊張するスタッフを和やかにしようと思ったのか、場違いな発言をします。
そんなの打合せが終わってからだろう、みんなが何とか落ち着いてからでないと、飯なんかくえるわけないだろが!
私は、ワールド記念ホールでのトラブルが本当におさまったのかが気になっていて、それからバイク便でテープが届くまで心配でなりませんでした。
何しろ、そのテープが届かなければ、東芝提供オールナイトライブ生放送は成立しなかったわけですから。
時間は刻々と過ぎて行きました。

(続く 次回が最終回)

過去のブログより~悠々自適

精神的余裕がないというか、集中力が続かないというか、考えながらブログを書くというのがなかなかできない。
プロデューサーになったか~シリーズは、色々思い出しながら書いたり、調べものをしたりして書いているので、どうしても時間がかかってしまい、なかなか完成しない。
早く終わらせて、もっと違う番組のことを書きたいのだが、いつになることやら。
さて、そういうことで、今日も過去のブログ(ペンギンノート)から取り上げる。
ペンギンノートは、一応ネットにあげているので、見ようと思えば見られるが、意外と手間がかかる。
簡単には見られないようにしているので、この欄で紹介するのは虫干しになっていいかなと思っている。
では、今から8年前に書いた「悠々自適」についての書込み。
I’ll be right back, so don’t go away

2003-10-7 20:18
音楽業界の大先輩と久しぶりにお会いした。

私が、FMのディレクターとしてデビューした頃、本当にお世話になった人だ。

今は、会社を退職し、いくつかの会社の顧問的な仕事をやりながら、毎日好きなことにチャレンジされているという。

最近は、コンサートによく行きますね。
自分の金で、自分の好きなアーチストの演奏を聞くのはとてもいい。
充実した時間を過ごせるような気がします。

悠々自適というのは、本当はこういう生き方を指すのだろう。
毎月、ゆったり生活しながら、奥様同伴でライブやコンサートを楽しんでいるという。

うらやますい。

私だって、50をすぎたらそんな生活ができればと思っていた。
自分のやりたいことを、自分のスタンスで、自分の時間を使って、自分のお金を使って。

なのに今の私。

時の奴隷、人の奴隷、そして金の奴隷。

ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出す。
副題が「時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」。

盗まれたのか、置き忘れてきたのか。

時間を取り返すために、今私は何をすればよいのか。

そんなことを考えながら、今日も色んな人たちによって私の時間は奪い去られている。

いつか、私もモモとなって、時間を取り戻す旅に出たいものだ。

目指せ!悠々自適。

慣れないことをやって、絶対私は疲れている、今は人生の焦点が合っていない、さながら老眼のように、私はおぼろげな現在の中にいる、メガネ、メガネ、メガネ。

<BR>
時の奴隷、人の奴隷、金の奴隷、というのは、今もあまり変わらない。
一番辛いのは、金の奴隷かもしれない。
自由に使える金がなく、出ていく金を算段することが果てしなく続く。
never ending money flow~
自分のために金をかせぎ、自分のために金をつかう。
経営者的立場になってから、そんなことは全くできなくなった。
サラリーマンは気楽だと、本当に思う。
自分のために金をかせぎ、自分のために金を使っている皆さん、それがどれだけ楽か、気づいていますか?
ははは、またぼやいてしまった。
悠々自適、多分、そういうことができる境遇なのかもしれないなあ。




私はいかにしてプロデューサーになったのか(第11回)

さて、久しぶりの「私はいかにしてプロデューサーになったのか」、その11回目です。
技術の管理職M氏と打ち合わせた結果、当日は中継ラインは引かず、PCM収録して、そのテープをバイク便でスタジオまでデリバリーしてもらうことになりました
PCM収録、当時は最先端の技術で、この収録機材を持っているのは関西ではFM大阪だけではなかったでしょうか。
どうしてか?
他の局は必要とされなかったからです。
第一、どうやって使ったらいいのかわからなかったというのが、当時のラジオマンの本音だったかもしれません。


■PCMとは

PCMとはPulse Code Modulationの略、直訳するとパルス符号変調ですかね。
音声を搬送波という電波にのっける方法には、それまでAM(Amplitude Modulation)とFM(Frequency Modulation)がありました。
それぞれ、振幅変調、周波数変調と訳されます。
ま、早い話、中波を使ったAM放送と超短波を使ったFM放送で、これらはご承知の通りアナログ放送ということになります。
アナログ全盛の時代が過ぎ、いよいよデジタルの時代がやってこようとしていました。
そこで考え出された変調の方式の1つがPCMなのです。
後に、私が立ち上げに参画するCS-PCM放送(衛星放送)も、この方式でした。
詳しい説明はネットでお調べいただくことにして、ここではそういう技術が実用化され始めていたということをご了解いただければと思います。

■使われなかった機材

FM大阪が何故PCM機材を買ったのか、当時本社にいなかった私はよく知りません。
しかし、新しくできたスタジオには、でかい収録用のデッキが置かれ、またライブの収録用のデッキ2台も倉庫に眠っているということでした。
一言でいうと、アナログの収録機材とは設計思想が違うというか、むしろビデオの収録機材に似ていたため、ラジオの現場では扱いにくかったのだと思います。
原音に忠実に音を再現できますが、現場にはそこまで需要がなく、ほとんど使われないままだったということでした。
何千万もする機材だったのにね。

■オールナイトライブの目玉はPCM!?

で、技術のM氏は、初めてのPCM番組としてアピールできるで!と私に言いました。
でも、私は冷ややかでした。
音源はロック、しかもライブ会場の音なので、原音を忠実に再生しようというニーズがありません。
むしろ、もやもやした音の方が、粗が目立たなくっていいという気もしたくらいです。
とはいえ、使ってもらえれば嬉しいというのがM氏の本音だろうと思い、既に番組の制作費は確保されていて、その範囲内なら機材は何だってかまわないわけで、「やりたかったら、どうぞ~」という感じだったですね。


さて、PCM収録することが決まり、そのための技術スタッフもM氏と相談しながら決めました。
1台あたり100kgぐらいありましたから、それを2台現場に搬入するのは大変だったろうと思いますが、当日はあまり問題もなく作業は進みました。
本当、その時の苦労はどうなったのだろうと、関係者に今度聞いてみたいくらいです。
長くなるので、この続きはまた次回。