カテゴリー : 2011年 10月

過去のブログより~夫婦のプロ

シリーズとして「過去のブログより~」というのを開始します。
書く時間がなかったり、書いたデータが何かの拍子で消えた時など、フィラーとして挿入しようかと。
2000年前後、会社のサイトに日記代わりに書いたものが中心です。
10年前ですが、今でも面白いなあと思うものが多いです、我が事ながら。
今回は夫婦のプロです。

ここは一応毎日誰かが書きつづけようと思っている欄だ。
手本は、前にも書いたが糸井重里さんのほぼ日。毎日何らかのコメントを書かれている糸井さんには本当に頭が下がる思い。
何を書いても許されるはずの日記でも、ほとんどの人は三日坊主とか、たまに書くだけというパターンだろう。
それを、多少は他人に面白く読んでもらえそうなことを毎日書くとなると、これはどれほど大変な作業か。
連載を持っているライターの人は、最初は色々書くことがあるのだが、だんだん書くことがなくなってくるという。
それが毎日だと、これは苦行だ。
新聞の連載マンガを書いている、例えばいしいひさいち氏等は毎回多少とも面白くしないといけないので、苦吟の毎日だろうと推察する。
でも、プロと言うのは、自分に書くことがなくなってからが勝負なのだそうだ。
書くことがある時に書けるのは、例えそれがどれだけ面白くともアマチュアでしかない。
書くことがなくなった時でも書ける人、それがプロのライターなのだという。
よくわかる。プロとは大体、どこの世界でもそういうものだ。
そこでふと思った、これは結婚生活にも言えるなあと。
独身の中年オヤジがわかったことを言うなとのお叱りを受けそうだが、結婚生活も、早い話、別にあえてお互いに何かをしてあげなくてはと言うことがなくなった時に、それでも一緒にいれるのが、プロの夫婦なのではないかと。
相手に何かをしてあげようと思っている時、何かをしてもらいたいと思っている時、そんな時の夫婦生活は誰にだってできる。
お互いの間に、そんな気持ちが何も生まれなくなった時、それでも一緒にいられた場合、その夫婦は初めてプロの夫婦になる。どうです、違いますか?
私の両親も、二人とも健在ですが、何かこの頃夫婦のプロのような気がしてきた。
貴方はいかがです?プロの夫婦に憧れますか?
2001-5-20



しかし、糸井重里さんはすごい、まだ「ほぼ日」でダーリンコラムを書き続けている。
それが仕事だということなのだろうが、そこに本当のプロ魂を見るのだ。
それだけインセンティブが存在するということなのでしょうね。
ネットに目をつけた糸井さんは本当にすごい。

私はいかにしてプロデューサーになったのか(第8回)

東京に戻り、早速クライアント提出用の正式な企画書にとりかかった私。
まずは表紙から。


■企画書(案) オールナイトライブ生放送 by TOSHIBA


タイトルはとりあえず(仮題)と表記し、クライアント(or広告代理店)の意向を斟酌して最終決定する意思を表示。
当たり前ですが、こちらでガチガチに企画を固めて提出すると採用率は落ちます。
次に、放送時間など。
これも予定という形で、12月31日深夜25時~1月1日朝6時と表記。
スタートを1月1日1時とすると、オールナイトライブのイメージが弱くなるので、前日から朝迄という表現にします。
予定とするのは、企画書段階では本社の編成の許可が取れていないからです。
1時からというのも、東京からのネットが多分1時まであるだろうと予測されるためです。
企画を考えるにしても、色々と編成的な情報を知っていないといけません。
特に大阪本社編成部は何故か支社の私には編成情報を伝えてくれません。
つまり、ほったらかし。
こちらから問合せしない限り、何も編成的材料を持てないのが普通でした。(今もあまり変わらないみたいですが)


■出演者:伊藤銀次(FM大阪スタジオ) ライブバンド:ワールド記念ホール出演バンド


次に出演者、伊藤銀次さんと同じ事務所の夏木晴美さん。(その時は知らなかったけど、彼女、加茂晴美→南里沙→夏木晴美と名前を変えていたみたいです。デビューはアニメ歌手だったとか)
後は、ワールド記念ホールの出演バンドを適当に列記。
企画書に書いた名前は、もはや資料が手元にないため、今の段階ではわからず。
国会図書館にあるはずのFM雑誌関西版で確認すれば多分わかると思うので、また追加します。
(大阪で探してもないんですよね。まんだらけに行った方があるかもしれない。)
とにかく、今をときめく(まだ、そこまで話題になってはいなかったけど)イカ天の審査員、毎週全国ネットでテレビに出ている銀次さんが生放送でスタジオにいるのだから文句あるまいという気分でしたね。


■企画の中味は適当に


とはいえ、全国ネットといっても、肝心の大阪ではネット局のMBSが受けていないので、本当はイカ天と言っても、大阪では通用しません。
後で、本社から「そんなもの関西人には関係ない」と嫌味を言われたものですが、私としては東京のクライアントが納得すればそれでいいので、関西でネットしていようがいまいが、使えるものはすべて使うという気持ちでした。
関西人の東京嫌いは私も理解できますが、金になるなら何でもするというのも又関西人気質ではないでしょうかね。
企画書の中味、それはもう適当としかいいようがありません。
何しろ、鹿児島まで行って、収録の許可を取ってきただけです。
中味なんか考えるどころではない。
でも、とにかく代理店に早く提出し、早くGoサインをもらわないと何もできません。(本社に対しても、クライアントの名前を出して、売れたのだから四の五の言わずに従えという態度で接しないと前へ進みませんから。)
ま、このあたりの考え、東京支社に特有の考えで、大阪本社が理屈ばかり言って反対するから、とにかく売ってしまって、その結果を押しつける方が合理的ということだったと思います。
最近は、大阪も東京も理屈なんかどうでもいい、とにかく金を稼げというスタンスのようですが。
(それだけラジオって、簡単には売れなくなりましたからね。)


■提出、そしてGOサイン


ということで、次の日、早速赤ら顔お腹ユサユサの営業マンH君に企画書を渡しました。
彼は、既に電通に私が電話で入れた内容を説明しており、いいんじゃないですか、それで行きましょうという感触を得ていたようでした。
場所も、バンドスタンド並み(大阪城ホール)のワールド記念ホールですし、生中継ではないものの、そんなの雰囲気ものだから別にかまわない、生放送と言えばイメージは同じだという印象を持ったようでした。
「制作費、100万ぐらいでいいですか。マージンとか局の取り分もありますから、NETで80万ぐらいは使えます。大丈夫?」
電波料は200万ぐらいだったでしょうか
まあまあ、彼としてはいい営業物件だったろうと思います。
私の方は、一体どれぐらい金が必要か見当がつかないというのが本音ですが、とにかく上限は決まりました。
これから番組スタッフの選定に早速入ることになりました。


私はいかにしてプロデューサーになったのか(第7回)

鹿児島林田ホテルでお会いしたハンズのO氏、私の話を面白がってくれた後、大みそかに神戸のワールド記念ホールで行われるオールナイトライブの説明をしてくれました。

■サンテレビで中継が決定

「出演バンドは、○○とか××とか、まあまあ知られているバンド10組ぐらいが決まっています。一応有料だし、5000人ぐらいは集客できないとかっこ付かないので、それぐらいは何とかなるメンバーを揃えています。スポンサーの招待枠もあるので、満杯は無理でしょうが、そこそこ盛り上がるはずですよ。」
「なるほど、で、少し問題があるという中継権の件は?」
私は、一番聞きたい回答を催促しました。
「このイベント、昨年からやっているんですが、実はサンテレビで中継しているんです。全部中継というわけでもないのですが、とりあえずTV優先ということなので、今からFMで中継というのはハードルが高いかなと思います。微妙にエリアが違うので、とりあえず話をしてみますが、どうでしょうね。」
どうも、中継権を今から許可してもらうのは難しいというのがO氏の考えのようです。

■生中継じゃなくて、収録という形にしたら?


「何かいい方法はないですか?」
「そうですね、中継じゃなくて収録ということで、後ほどそれをON AIRするという風に説明するのはありかもしれませんね。中継しなければ、別に文句は出ないかも。前日の夜から次の日の朝までずっとライブをやっているんですから、時差をつけて放送する、出演バンドもFMで流れると言えば、喜んでくれると思うし、それで調整してみましょうか。」
中継はだめだが収録は可。
それをすぐに流すのではなく、少し時間を置けばTV局側も説得できるだろうというのがO氏の見通しのようでした。
「収録して、その音を大阪の局に送って時差で流すのは可能ということですね。現場の音を中継車を出してFPU(マイクロ回線)で飛ばすこともありですが、単純に現場でテープ収録して、収録済みテープを人を使って少しずつ運ぶ方が手間がかからなくていいかもしれませんね。」
「ま、それは任せます。とにかくサンテレビのOKはとっておきますよ。権利料とか色々発生すると思いますが、それは大塩さんに後ほど電話しますから、そちらで対応してください。」
「わかりました、よろしくお願いします。」

■ライブはOK、後は企画書を書くだけ


というわけで、私たちの鹿児島行きは何とか成果を見ることになりました。
中継はできなくとも、それに近いことはできる。
大晦日オールナイトライブを生放送という打ち出し方も、伊藤銀次氏にスタジオにいてもらって、今年のバンドブーム(彼はイカ天の審査員なので、最先端の情報も流せる)を語りながら、ロックバンドの生音を聞いてもらえるわけだから、文句は言われまい。
企画書には、そのあたり、うまくぼかしながら生放送と歌っておけば、見る人は勝手に生中継だと錯覚してくれるだろう。
ま、これはこれでいいんじゃまいか。

■そして羽田へ

私と大塩さんは、しばらくO氏と、今回のシング・ライク・トーキングのツアーの模様を興味深く聞かせてもらい、大いに楽しませてもらった後、午後の飛行機で東京へ戻りました。
早く企画書を作りなおし、電通担当のH君に渡さなくては。
ここまで段取りをしたのに、結局企画が通らなかったのでは、何をしているのかわかりません。
とにかく、形は作った。
ボールはもはやH君の手にある、私の仕事はとりあえず終わりだ、とにかくそういうところまで今日明日中に処理したい。
私はそう思いながら、大塩さんと今後の段取りを少し確認した後、羽田までずっと機内で眠り続けたのでした。