カテゴリー : 2011年 11月14日

プロデューサーって何?(第4回)~ディレクター論

放送局では、一つの出世コースとしてディレクター⇒プロデューサーというのがあった。
ディレクターを何年間か勤めれば、次にプロデューサーとなって後進を指導するみたいな話だった。
私としては、何か変な話だった。
例えば、映画の世界ではディレクターは監督である。
現場の最高責任者というか、その人の指示一つで、映画のすべてが決まるといわれている。
監督を何年か勤めれば、プロデューサー(制作)になるわけではない。
もちろんそういう例は珍しくはないが、名監督は結局どこまでも名監督であり、名プロデューサーとは言われない。


舞台の世界では、ディレクターは演出家である。
これも演出を何年かやればプロデューサーにという話ではない。
劇団四季の浅利慶太氏の例はあるが、演出家は一生演出家であると考えてよいだろう。
放送局だけが、何故にディレクターを勤めていたものが、ある年齢になればプロデューサーにならないといけないのだろう。


ディレクターは、番組を作る時は精神的な集中力が要求される。
今の時間をすべて番組を完成させることに使われる、それゆえその後の疲労度は激しい。
プロデューサーは、番組の制作が始まれば、ある意味邪魔者である。
ディレクターに指示することなど、基本的にやるべきではない。
ディレクターの集中心を邪魔しないよう、その環境を守ることに力を注ぐべきだ。


最高に能力を発揮できる場を維持するのが、プロデューサーの役割だ。
それはディレクターだけではなく、出演者も、スタッフも、また関係する全ての人々も安心して集中できる環境を作ること。
そんな環境をかき乱すような、愚かしい指示をするプロデューサーもいる。
特に若い、なんちゃってプロデューサーによく見られることだ。
プロデューサーは、野球でいえばキャッチャーみたいなものだ。
全体がうまく配置され、安心して守備できるようにコーディネイトする才覚が要求される。


プロデューサーがピッチャーになってどうする?
プロデューサーが、口うるさいコーチになってどうする?
そんな現場のことに一々口をはさむなら、プロデューサーなんかやらないで、ディレクターになれ。
ディレクターより、自分のほうが能力があるとでも思っているのか。
プロデューサーが戦うフィールドは、そんな場所ではない。


すべての関係者が最大の力を発揮できる環境を作る、それができなければプロデューサーなんて名前を自分につけるな。
ディレクターの延長にプロデューサーがいるのではない。
それを繰り返し私は主張しておきたい。