カテゴリー : 2011年 11月

プロデューサーって何?(第4回)~ディレクター論

放送局では、一つの出世コースとしてディレクター⇒プロデューサーというのがあった。
ディレクターを何年間か勤めれば、次にプロデューサーとなって後進を指導するみたいな話だった。
私としては、何か変な話だった。
例えば、映画の世界ではディレクターは監督である。
現場の最高責任者というか、その人の指示一つで、映画のすべてが決まるといわれている。
監督を何年か勤めれば、プロデューサー(制作)になるわけではない。
もちろんそういう例は珍しくはないが、名監督は結局どこまでも名監督であり、名プロデューサーとは言われない。


舞台の世界では、ディレクターは演出家である。
これも演出を何年かやればプロデューサーにという話ではない。
劇団四季の浅利慶太氏の例はあるが、演出家は一生演出家であると考えてよいだろう。
放送局だけが、何故にディレクターを勤めていたものが、ある年齢になればプロデューサーにならないといけないのだろう。


ディレクターは、番組を作る時は精神的な集中力が要求される。
今の時間をすべて番組を完成させることに使われる、それゆえその後の疲労度は激しい。
プロデューサーは、番組の制作が始まれば、ある意味邪魔者である。
ディレクターに指示することなど、基本的にやるべきではない。
ディレクターの集中心を邪魔しないよう、その環境を守ることに力を注ぐべきだ。


最高に能力を発揮できる場を維持するのが、プロデューサーの役割だ。
それはディレクターだけではなく、出演者も、スタッフも、また関係する全ての人々も安心して集中できる環境を作ること。
そんな環境をかき乱すような、愚かしい指示をするプロデューサーもいる。
特に若い、なんちゃってプロデューサーによく見られることだ。
プロデューサーは、野球でいえばキャッチャーみたいなものだ。
全体がうまく配置され、安心して守備できるようにコーディネイトする才覚が要求される。


プロデューサーがピッチャーになってどうする?
プロデューサーが、口うるさいコーチになってどうする?
そんな現場のことに一々口をはさむなら、プロデューサーなんかやらないで、ディレクターになれ。
ディレクターより、自分のほうが能力があるとでも思っているのか。
プロデューサーが戦うフィールドは、そんな場所ではない。


すべての関係者が最大の力を発揮できる環境を作る、それができなければプロデューサーなんて名前を自分につけるな。
ディレクターの延長にプロデューサーがいるのではない。
それを繰り返し私は主張しておきたい。




プロデューサーって何?(第3回)~若いプロデューサー

最近のラジオ局では、若いプロデューサーが増えているという。
番組の制作をほとんど制作会社(あるいはフリーのディレクター)に外注するというシステムが蔓延し、もはや社員ディレクターは稀有な存在になっているらしい。
つまりは、現場の丁々発止的世界から疎外されたまま、管理優先の世界に若い時から封じ込められてしまうことになるようだ。


何度も書くが、そんなことで斬新で画期的な番組なんか生まれるだろうか。
ディレクターというのは、ある意味職人的な要素も必要になってくる。
いわゆる熟練した腕を持つディレクターであるからこそ、業界で尊重されるのだ。
あの人に任せておいたら間違いない、きっと何とかしてくれる、そういう専門家である。
若いプロデューサーに、その専門家の意識が理解できるだろうか。
下手をすれば、振り回されるだけになるかもしれない。
自分の言うことを聞いてくれるのは、半人前の連中ばかりということもありえる。
ちょっと力のあるタレントや、業界人には何も言えない、ある意味なさけないプロデューサーになってしまうこともあるだろう。


プロデューサーにほしいのは、場数を踏むことである。
多くの人と交わり、多くのことを学ぶことである。
現場の人の気持ちがわかり、またそれを発注した人の気持ちをわかることである。
そして、つくりあげた作品(番組)を的確に評価できること、またその作品が次にどういうものを拡大再生産していくかが予見できることだ。
作品とは、常にネクストを予兆させるものでなければならない。
いわゆる「Think NEXT!」、次のないものに未来はないということだ。
クリエイティブな世界に住むものは、次を自分の中に常に孕んでいないければならない。
会社という枠内で、それをスポイルされてはいけないし、人事異動で、その作業を中断されるのは非合理的で望ましくはないのだ。


プロデューサーは常にプロデューサーであるべき、私は心からそう思う。
なんちゃってプロデューサーは、結局は損なのだ。
そんな存在を誰が尊敬してくれる?肝心な時に誰が無理をきいてくれる?
放送局の世界は、まさに今を語る中から未来を予兆させることが重要だ。
次を自分の中に孕まないものが未来を予兆させることができようか。


ラジオの業界、本当にまじめに自分たちの未来を考えているのだろうか。
現場を仕切れない若いプロデューサーを見るたびに、そういう絶望感がよぎるのを禁じえない昨今の私である。


過去のブログより~プロデューサー 欽ちゃん

昨日のプロデューサーって何(第2回)で、プロデューサーは王になってはならないと書いた。
ヒエラルキーの頂点に立てば、結局プロデューサーはその力に頼る有象無象にスポイルされる可能性があると思うのだ。
もちろん、最初から人々の上に立って、支配し、君臨することを望んでいるのなら話は別だ。
しかし、そんな立場に立って、どんな画期的なものをクリエイトすることができるだろう。
ハングリーでなければ、プロデューサーは務まらない、私の強い信念だ。

話はずれるが、かってソ連のブレジネフ書記長はありとあらゆる勲章をもらった。
勝利勲章やレーニン勲章は言わずもがな、存在するありとあらゆる勲章を自分の胸につけた。(自分で自分に与えるのだから、いくらでもつけられる。)
よく覚えていないが、文学賞も、詩の賞も、美術も建築も伝統芸能も、人がもらったものは全部自分も受賞したという。
最高の自分のプロデューサーだったわけだ。
もちろん、皮肉をこめて。
そういえば、北朝鮮の金総書記も偉大なるプロデューサーらしい。
すべての創造物は彼の指導によって作られたという。
こうなれば、単なるプロデューサーではなく、スーパー・ブリリアント・エグゼクティブ・プロデューサーということになるだろうが。


閑話休題。
今から10年前の私のプロデューサー論があったので、ご紹介する。
萩本欽一さんに関して色々書いているが、今もこの考え方は変わっていない。
では、また後ほど。

2001-10-1 17:13

プロデューサーとして、尊敬している人が二人いる。
一人が元フジテレビの横沢プロデューサーで、もう一人が萩本欽一さんである。

欽ちゃんを天才的な芸人と語る人は多いが、私は天才的なプロデューサーだと思っている。

あの人のタレントの発掘の仕方は、まぎれもなくプロデューサーのそれである。
アドバイスのやり方もそう。それと、弟子を持たないところもそうなのだ。
プロデューサーには弟子等いらない。
その時々に旬な素材がほしいだけなのだ。
自分の芸を継承させよう等とは思わない。むしろ、自分の芸を超えた芸を作れるように、後進に環境を整えてやる、欽ちゃんのやり方はきっとそうだったはずだ。

弟子等、プロデューサーにはほとんど意味を持たない。
一番いい環境を作ってあげる。そこで勝手に育っていけばいい。
育たなかったとしたら、それだけのものでしかなかったと諦めなさいということか。

確かに一時期の欽ちゃんの人気はすごかった。
TBS、フジ、テレ朝のゴールデンでレギュラー番組を持ち、どれもお化けのような視聴率を稼いでいた。
日テレは仮装大賞だったかな。
テレビ局は、ただただ欽ちゃん詣での毎日だったという。
去年までの巨人戦みたいなものだ。

今の欽ちゃんには、もうそんな力はない。
仮装大賞もやっと2ケタ。
昔のような華がないのだ。ただし、これは芸人としてだが。

プロデューサーとしての欽ちゃんは相変わらず凄いはず。
方法論は簡単には古くはならない。
今でもその能力は、日テレの土屋氏を軽く超えるだろう。(でも、彼は編成部長に人事異動。現場を外すなんて馬鹿な会社だ。菅氏もなかなかだし、フジの三宅氏もいい線いっている。ま、狭い私の知る範囲だが。)

さて、欽ちゃん現象として、今回何をいいたかったかというと、もう巨人も長島さんじゃないだろうということ。

才能はすごいとか、キャリアはすごいといってみても、視聴率はとれない。
カリスマだ何だかんだといっても、それが数字にはつながらない。
いくら欽ちゃんをみんな好きだとはいっても、やっと10%そこそこなのだ。
今さら、ゴールデンのレギュラーを作ってくれとは誰も頼まないだろう。
欽ちゃんはすごい、だけど今はもうそれだけでは数字はとれないと、スタッフがわかっているからだ。

巨人戦もそう。
巨人が野球をしているだけでは、もう数字はとれない。
もっと付加価値をつけない限り、客はどんどん減っていく。
金を持っている層がファンとして強固にいるので表面的にはカッコがついているが、絶対的なファンの数は減る一方だ。

何か新しい付加価値をつけないといけない。
長島監督では、もう付加価値にはならない。
ただ、勝てるだけのチーム編成だけでは、客は寄って来ない。(アンフェアなやり方には生理的な拒否感さえ生まれつつある。)

では、新しい付加価値とは何か?具体的なプランは?
もちろん、原新監督などという古ぼけた手法では話にならないが。

欽ちゃん現象が今色んなところで起こっている。
あなたのまわりでも、私のまわりでも。

この件に関しては、もう少し考えてから続きを書きたい。
とりあえず、今日はこれぐらいで御勘弁を。

プロデューサーって何歳までできるのかな?



巨人の話は、何か今日的というか、状態はますます病膏肓に入るという感じだ。
ナベツネさんも、本当にそろそろ退かれたほうがいいのではないかと思う。
このままではどんどん客が引いていく、それを肌で感じないと。
老醜を曝け出すだけというか、読売グループ自体の後進性が暴露されるだけというか。
どこかのFM局もそれで色々苦労していた。
今は、ちょっと落ちついたのかな。


確かに巨人軍にも、いいプロデューサーがいない。
ヒエラルキーが優先されると、画期的なプロジェクトは生まれないのは事実のようだ。
権力者は謙虚であってほしい、最近それを痛感している。