カテゴリー : 2011年 11月

プロデューサーって何?(第2回)

ある人がツイッターで、こういう問題提起をされていた。

さして経験もなく予算も持たされていない若手をいきなりプロデューサーにする風潮がある。
年寄りDを仕切るのは難儀。いわばチーママ的存在。

放送局のなんちゃってプロデューサーが若年化しているということらしい。
今の放送局(特にラジオ局)の経営陣は、プロデューサーの価値をわかっていないのだろう。
つまりは、単なる番組の管理者としてしか見ていない。
どうせ、番組の企画制作は外部の制作会社にやってもらえばいい。
社員プロデューサーはそれを管理せよということらしい。


本当にプロデューサーが、そういう存在であっていいと思っているのだろうか。
何故、面白い企画が現場から出てこないのか。
何故、これからのラジオ局の生き方に革命的なものが出てこないのか。
一言でいえば、プロデューサーにハングリーさがないからだ。
何が何でもこれがしたい、良い人材を発掘しヒットさせたい、ブームを巻き起こしたい、ああ、したくてたまらない!


そりゃ、誰だって有名になりたい、他の人より立場が上になりたいと思う。
だが、放送局の社員にとって、それは管理職への道であっても、専門職の技を磨く道ではない。
プロデューサーでがんばって、会社の中で権力の階段を昇りたいというのでは、プロデューサー的ハングリーさは生まれない。


何しろ、本当に力のある、誰でもが評価する放送局のプロデューサーは、ほとんどと言っていいほど出世しない。l
本物のプロデューサーというものは、会社の管理の枠内からはみ出すものだ。
会社の枠内で、指示を出していても、下手をすると井の中のかわず、大海を知らずになりかねない。
プロデューサーの位置は放送局の中だけではない、もっと大きなクリエイティブの世界だ。
社内で権力の道を歩めば、クリエイティブの世界は閉ざされる。
付き合う相手が単純に権力にひれふす連中ばかりになれば、そこにはお山の大将の卑小なキングダムが生まれるだけだ。
プロデューサーは王になってはならない。
意識は上にありながら、常に大衆とともに時代と寝ることが要求されている。
時代のビート、時代のバイブレーション、それらを身体に共鳴させつつ、日々進化していく、それがプロデューサーの心得でもあるのだ。


管理なんて、くそくらえ!
権力なんて、投げ捨てろ!
そんなものに、なびく愚かどもを意識の外へ葬り去れ!
プロデューサーにふさわしいもの、それは他者への愛、自分への究極的な問いかけだ。
人々の犠牲の上に、自分の成功を夢見る、なんちゃってプロデューサーなんか、地獄へ落ちろ!
と深淵にかかる綱の上の愚か者は今日もぼやいております。


プロデューサーって何?(第1回)

ある程度の年齢になると、何でもかんでも自分がするというわけにはいかなくなる。
年齢に応じた格というか、ステータスが背中から見えるようになるわけで、その人が格下の仕事をすると色々と余計な摩擦が生まれるのだ。
そのあたりは、あまりくだくだしくは書かない。
ただ、私をはじめとする初老のプロデューサーは、誰でも感じることではないかと思う。


放送業界で、ステータス的にいえば、プロデューサーはディレクターより格上である。
つまり、ディレクターは部下ということになり、基本的にプロデューサーは指示監督できる立場ということになる。
その結果、放送局では、プロデューサーを管理職扱いしたりするようになる。
プロデューサーが役職扱いされると、放送局内ではろくなことがない。
プロデューサーの素養もないのに、名前だけプロデューサーが続出することになる。
プロデューサーの素養って、何?と言われるかもしれない。
簡単に列挙してみると。


1.作品(番組)のグランドデザインが描けること
2.全体の費用の概算が把握できること
3.作品(番組)の費用を調達できること
4.作品(番組)に必要な人材を調達できること
5.できあがった作品(番組)を的確に評価できること



もちろん、他にも色々あるが、これからプロデューサーになろうと言う人は、どこかで覚えておいても損はないだろう。
名前だけプロデューサーは、これらがどれも中途半端になるのだ。


例えば、1のグランドデザインなんか、大の苦手だろう。
人の管理や組織の管理を考えていても、グランドデザインなんか描けない。
今一番人気の企画は何か、どこでどういう企画が進んでいるか、とにかくクリエイティブな世界との親和性がなければ話にならないのがプロデューサーなのだ。
仕方がないので、何ちゃってプロデューサーは、誰かに企画を丸投げする。
後は、それを評価するだけ。(といっても評価なんて本質的にできるわけもないが)
費用なんて、何がどれだけの価値かわからない、で、丸投げ相手に予算も丸投げ。
費用の調達なんて、できるはずもない。
上から言われた予算つきの仕事しかできない、あるいは営業さんにおんぶにだっこ。
必要な人材のデータベースを持っていない。
で、つきあう相手はいつも同じ人。
放送局には、いつのまにか、こういうタイプの管理型プロデューサーが多数派になった。
そりゃ、面白い番組企画なんか、ラジオからは生まれないのは当たり前だ。


などと書いていると、だんだんイライラしてきた。
この話、しばらく続けることにする。



プロデューサーの休日

3日ほど更新をお休みしておりました。
11月6日の日曜日、大阪の天保山にある天保山マーケットプレースでイベントがあり、しばらく専念しておりました。
久しぶりに構成台本などを書き、何だかんだと指示を出していたため、ブログを書く時間がありました。
やはり、本業のプロデューサー仕事をしている時は、プロデューサー逍遥記などという悠長なものを書く気持ちにはなれないというのが実情ですね。
今日の朝日新聞夕刊に谷川俊太郎さんの詩が紹介されていましたが、その一節にこういうのがありました。
「悲しい時に 悲しい詩は書けません
涙こらえるだけで精一杯
楽しい時に楽しい詩は書きません
他のことして遊んでいます」
すごく納得します。
プロデューサーやっている時は、それを語る自分はそこにはいません。
終わって初めて語れる、そんな気がするわけです。
11/6の天保山のイベントの模様は下記のyoutubeで見ることができます。

NHKみんなのうた50周年で作られた「ピースフル!」の記念イベント的位置づけでプロデュースしてみました。
出演者は、大阪千林のアクターズスクールESSEアカデミーの子供たち、同所属でNHK「大・天才てれびくん」にレギュラー出演している鎮西寿々歌ちゃん、初代なにわ食いしんぼガールズのキャラメル☆りぼん他。
寿々歌ちゃんもキャラメルも、多くのファンに囲まれて楽しそうでした。
MCは松竹芸能所属のミッチー(元漫才師 さわやかでいい奴です。)
特別ゲストにみんなのうた「ピースフル!」を作詞作曲した、シンガーソングライターの松浦有希さん。
彼女とはFM大阪時代に「松浦有希の夕暮れ探検隊」でご一緒、本当に長いつきあいをしています。

http://www1.u-netsurf.ne.jp/~hydecazu/yuki/frame/yuugure.html

上は、リスナーがわざわざ作ってくれたその時の放送内容を紹介したサイト。
番組が人気だったことがよくわかりますね。


そういうわけで、今日は一日休ませてもらいました。
朝から晩まで、神経を集中していた為、なかなか元へ戻らない感じです。
若いころの、汲めどもつきぬエネルギーのほとばしり、ただ恋しい限りといいますか。
海遊館には、今日も多くの人が来られていました。
サントリーミュージアムやアイマックスシアターが閉鎖されたのは、本当に残念ですね。
では、また明日。