カテゴリー : 2012年 1月

ラジオな日々

藤井青銅著「ラジオな日々」(2007年小学館刊)を読んだ。
「70年代終わりに放送作家になった著者が綴る、<ラジオがきらきら輝いていた時代>の自伝的クロニクル」だそうである。
舞台が主にニッポン放送なので、そこに出てくる人々は超一流のアイドルだったり、声優さんだったり、アーチストだったりする。
当時のラジオがどう作られたかを、放送作家の目を通して描写されていると考えると、そこそこ興味をひかれる人が多かっただろう。
小学館がわざわざ本にしたのも、そういう名前がフックになると思ったからだろう。


とにかく出てくる人がビッグで、東京のラジオのキー局を舞台にしているだけ、華やかに見えるかもしれないが、ここで起こっていたことは、スケールの差はあれ、どのラジオ局も同じようなものだったろう。
放送作家を志したものが、ラジオという世界に初めて触れる時、そして原稿を書くときの苦労、出演者との語らい、そしてプロデューサーやディレクターとの葛藤、その本質的なものはひょっとするとどの世界でも変わらないかもしれない。
ラジオ業界とは関係ない人にはとても興味深いかもしれないが、中の人間にとっては、今さらという話が1冊の本になっているという印象だろうか。


そういうことで、私もちょっと同じような話をかいてみることにした。
私の中のラジオな日々という感じかな。
まずは、ラジオ(私の場合はFM)との出会い。
FM局というのは、私がまだ学生の時にスタートした新興の放送局だった。
音楽好きの若い連中は知っていたが、大多数の人は「FM? SMなら知っているけど、似たもの?」なんて言われていた時代だ。
ある時、家でぼーとFMを聞いていたら、「社員募集」のスポットが入った。
多分、実際にFMを聞いているリスナーに入社してほしかったのだろう。(他には朝日新聞等で募集をかけていたらしいが私は見ていない)
で、ほとんどシャレで応募することにした。
私は大学院に進む予定だったので、就職試験とやらを体験したかっただけというか。
交通費とかもくれたので、受けて損はないという感じかな。


それが何故か、筆記試験を通り、第一次面接を通り、第二次面接まで行った。
200~300人が受けていて、実際に通ったのは最終的に3人。
私としては、第二次面接まで行ったのに面食らい、第一志望かという問いに対して、いえ、実は大学院に進学するつもりなどと言わなくてもいいことを言ってしまった。
後で聞くと、ある面接官はカチンと来て私を落としてしまったらしいのだが、何故か内定を出した1人が別会社に行ってしまい、悪いけど来てくれないかと連絡があった。
どうしようかと思っているうちに、大学院の入試が始まり、講座の諸先生方との最終面接というのがあった。
そこで、教授からきつい一言。
君、民間の会社が決まったんだろ、そちらに行きたまえ。
あらま?
勉強なんかいつでもできる、社会に一度出て、それからでも遅くない。
問題意識が生まれたら、またここに戻ってくればいい、そうしろ、そうしろと周りの助教授、助手の方も。
サラリーマンかあ、なりたくないなあ・・・。
いや、バチあたりもいいところであった。


しかし、運命とは恐ろしいものだ。
そんな気、全くといってほどなかった私が放送局に入り、番組のディレクターになり、ニュースアナウンサーになり、営業マンとしてそこそこ成績を残し、そしてプロデューサーとなって会社を辞め、今に至るわけだから。
途中、何度か大学に戻ろうかと思ったのだが、その度に新しい仕事を抱えたり、人事異動されたりして逃げられなくなったというか。
会社を辞めたのは43歳の時。
演劇の制作会社から是非にと言われて転職したため、その後も新しい仕事に追われて大学院に入りなおすどころではなかった。
バブルが弾け、演劇の仕事が激減してしまった時に、そのチャンスは生まれたのだが、如何せん最後の演劇で大赤字を背負い、それからは勉強するどころではなく、借金の返済に大わらわ。
世の中、本当にうまくいかない。
何か、こういう話をしはじめると、愚痴ばかりになりそう。


で、思うのだ。
「ラジオな日々」を書いた人、本当に幸せなラジオデイズを送ったんだなあ、と。


いや、私もラジオデイズを書けば、そこそこ面白い話書けるんですよ。
でもね、幸せだったかと言われると、作者の藤井青銅さんほどではなかったなあと思う訳ですよ。


オーハッピーデイズ、そんな時代もあったね~と♪
などと今回は書き連ねてみましたけど、面白かったですか?

FM局盛衰記・6

FM大阪のタイムテーブルを見た感想。
その2回目だが、とりあえず今回で「FM盛衰記シリーズ」は小休止したい。
サイドバーに「いいたいことはあっても口に出せないことの一部でも書く」と宣言したが、当事者にあまり刺激を与えるのは本ブログの趣旨ではない。
そういうことで、ぜひとも書いておきたいと思いつつ書けなかったこと、今回は「『SDD』=STOP!!DRUNK DRIVING」について。


SDDが始まってから5年あまり経ったろうか、今年も2月19日に大阪城ホールで「LIVE SDD」で行われる。
参加は無料だが、募金、ドネーション2000円を徴集、それを交通遺児のための基金に寄付することになっている。
飲酒運転防止という目的、それによって被害を受けた交通遺児を育成するという趣旨は誰もが支持するはずである。
放送局がこういった社会的啓蒙活動を行い、同時に何らかの募金活動を行うと言うのは、日本テレビ系列の「24時間テレビ~愛は地球を救うキャンペーン」(1978~)や、ニッポン放送など全国10局が実施している「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」(1975~)などで話題になることが多い。


私が最初に覚えているのは、近畿放送を使った「宮城まり子のチャリティーテレソン」で、25時間ほぼ全く寝ないで「ねむの木学園」をはじめとする、積極的な社会福祉活動を啓蒙されていた。
1975年のことだというが、私はこの活動には痛く感銘を受けた。
この人は本当だ、こんなこと、並みの気持ちではできない。
記憶違いなら指摘していただきたいが、この方法論に触発された放送業界が、その後の24時間チャリティ番組を次々に制作していく、そのきっかけになったのだと思う。


先ほども書いたが、私は本当にこの企画は凄いと思った。
気持ちが伝わってくるというか、真剣さがビンビン来るのである。
残念ながら、その後に始まったチャリティ番組に、この時ほどの真剣さは感じられない。
出演者は皆さんノーギャラです、放送局も利益を得ていませんなどと言っているが、関わっている人たち皆さんが、そんな純粋な気持ちでいるとは何かイマイチ信じられないなという気分である。
だいたい、何で走るのよ?愛が地球を救うためか?
まだ、間寛平さんが、世界を走った時の気持ちの方がずっと純粋ではないか。
欲得ずくで走るのではない、自分のためであり、それが後に何かを残してくれれば本望だったのだろう。
まるで、フォレスト・ガンプが哲人のように走り続けた場面と重なるというか。


つまり、私の気持ちはそこにあるのだ。
SDDに、あの時の純粋さを感じない。
これは何のためにやっているのか、放送局のイメージアップのためなのか、それともキャンペーンをきっかけにしてクライアントを開拓するためなのか。
本当に、寄付を集めたい、飲酒運転をやめさせたいなら、もっと他のことにも力を入れるだろう、純粋な気持ちがあるのなら。
有名なアーチストを並べ、大阪城ホールという一流の場に人を集める、祭としてはマアマア及第点だろう、気持ちは高揚し、やったやったと思うだろう。
でも、祭が目的だったのか?
人々を集めて、自分たちの力を誇示する場を設定したかったのか?


一つだけ、指摘しておきたい。
SDD、5年を経過し、多くの人々を集めて来たにもかかわらず、ウィキペディアには独立した表示もないし、何のデータベースもない。
これは、言いかえればネットユーザーに全く刺さっていないということではないか。
FMOは、それでいいのか。
単に祭に酔いしれているだけでいいのか。


ということで、今回はとりあえずこのあたりで。
また、この項目に関しては書くことがあるかもしれないが、筆が走りすぎるきらいがあるので、自重、自重。



FM局盛衰記・5

FM大阪のタイムテーブルを見たところで、軽く私の感じたことなど書いてみる。
古巣ということもあり、中途半端に情報と接している分、あまり断定的な表現を使うのは躊躇するのだが、言っても怒られないような話に限定しながら始めてみよう。


番組にはスポンサー表記をしてあるのだが、概してナショナルスポンサー(全国を対象にした広告主)は東京からのネット番組。
大阪ローカル枠で、ジョージア、タイガー魔法瓶、サラヤ、NTTドコモ、神戸屋、東映、ECCなどの名前もあるが、基本的に東京から配分されている分が多いようだ。
早い話、TFMだより、ネットだよりということになる。

JFNには、ネット体制が組まれた時から、スポンサーのテリトリー制というのがある。
ナショナルクライアントの本社があるところが、営業キーになるという決まりである。
それゆえ、FM大阪が東京のクライアントに企画を持ち込み、それが採用されても、営業キーはTFMになるのだ。(もちろんローカル枠、あるいはTFMをネット局から外す場合は可能)
逆に、例えば今金曜日に放送されている「やまだひさしのラジアンリミテッド」の提供会社、江崎グリコは営業キーはFMOということになる。
実際にはTFMの大阪支社がケアをしていたとしても、営業キー局はFMOということになるわけだ。


何のメリットがあるのかというと、全ネット局の売上が一度キー局に入ってきて、そこで各局に分配する権利が生まれるのだ。
そうすると、キー局にはネット手数料というのが各局ごとに入ってくる。
何か、せこいような話だが、全37局をネットして2000万の売上があれば、例えばその3%がネット手数料になる。
つまりネットするだけで60万円が入ってくるというわけだ。
別な表現をすれば、クライアントが地元にいるだけで権利金が入ってくるみたいなもの。
営業に熱心なローカル局には、何とも理不尽なルールだと私は思うのだが、JFNグループ各局はおりこうさんが多いのか、おとなしくテリトリー制に従っているというのが実情のようである。


営業キー局といういい方をしたが、これは制作キー局とは別だ。
やまだひさしさんの番組は制作キーはTFMである。
制作キー局の特典は何かというと、制作費が総取りできること。
だいたいクライアントから提供料をもらう時、名目上は電波料と制作費に分かれているが、払う側からすれば区別なんか存在しない。
グロスの額があるだけである。

営業キーも制作キーもある局が押さえられれば(実際TFMがほとんど押さえているが)、まず制作費をトップオフし、残りを各局に電波料として分ければいいということになる。
ネットされている局はキー局が実際にグロスでいくらもらっているかなど知りえないのだから、結局キー局になったもの勝ちなのである。
にもかかわらず、営業テリトリー制は守られていて、FMOをはじめローカル局はなかなかキー局になる機会は生まれない。
全国ネットの番組を提供したいクライアントはほとんど東京に本社を持つか、宣伝部を持っており(宣伝事業部が東京にあるローカルスポンサーは東京スポンサーと看做すらしい)、その窓口は自動的にTFMになってしまうというのが現実なのである。
私なんか、これは不平等条約みたいなものだ、破棄しろと主張していた一人なのだが、多勢に無勢というか、その制度が今も続いているのである。


ということで、今日の話はひとまず、これで。
タイムテーブルを見て感じたこと、次回も続きます。