カテゴリー : 2012年 1月

FM局盛衰記・4

昨日書いたブランド論、現在放送局にいる人にはなかなかピンとこないことかもしれないが、私のような局を離れた人間にとっては切実に感じることなのである。
ブランドを均等性、均質性、価値の維持と書いたが、別に言うと「ブランドとは信頼性であり、品質保証であり、持続性である。」ということだ。
それを買えば社会的に信頼できるし、中味は安心できるし、それは今後も長く使えるという予想もつく。
放送は、もちろんリスナーのためのサービスなのだが、それを金と交換してくれる人は広告主、クライアントである。
ユーザーを、リスナーとするのか、クライアントとするのかでブランド論は少しニュアンスが変わってくる。


リスナーに支持されたからと言って、番組が続くわけではない。
結局スポンサーに恵まれなかったために、惜しまれつつ終了した番組は多い。
皆に愛されている、レーティングの数字も高いだけでは、スポンサーを呼び込めるようなブランドには育たないということの典型だろう。
そのブランドが持続できる要素を既に内包していないと、民放ではより大きい力に抗えないのだろう。


私の経験の中だけでも、FM大阪の番組として懐かしく思い出してもらえるもののほとんどはサス番組(Sustaining Program)である。
早い話、スポンサーなしで維持する(sustaining)番組なのだが、その中にブランド意識というのが隠れているような気もする。
サス番組は、スポンサーがついていない時間の穴埋め番組という言い方もできるが、これと少しニュアンスの違うのがPT番組(participating program)
提供スポンサーという売り方をせず、自由にスポットを流せる番組とでもいおうか。
今のほとんどのラジオのワイド番組はこの形式だ。
そして、一番収益を上げているとも言われている。(ラジオショッピングの占める割合が多いのも最近の特徴)


そういうことで、今のラジオのブランド力というのは、ほぼこういったワイド番組によって形成されている。
FM局のワイド番組というのは、AMほど人気化していない。
それは、音声のみの世界でファンを多く集めることができるパーソナリティの絶対数の差かもしれない。
FM局は、最近そういうDJ系のパーソナリティの発掘にかける金をセーブしているのは明らかだ。
新人で、こいつは凄いなという人材、ほとんど出てこないような気がする。
優秀な人材が入ろうと思えるような華やかさが決定的に欠けているのだろう。
つまり、ブランド力の低下ということになるのかもしれない。


新人が出てこれる場、それは例えば深夜番組だったりする。
テレビでは、まだこのルートは健在で、深夜で話題を集めた番組がゴールデンに進出、新人タレントが脚光を浴びるという例も日常茶飯事だ。
ラジオの世界でも、とにかくまずはとんでもない深夜で番組を始める。
自由に新人にしゃべらせ、面白くなるとリスナーがどんどん増える。
FM大阪で、最近のヒットはaikoだろう。
単なる普通の女の子が、わあわあ言っているうちに、カリスマ的アーチストになっていった。
本人のポテンシャルがそれだけ大きかったといえばそれまでだが、そういう幼魚を自由に泳がせるような大きな池がFM局側にあったということでもあるのだ。
ブランドはそれが育つ場所が必要である。
その場所をけちれば、しょうむないブランドしか生まれてこない。


何か、今回はブランド論に拘りすぎたかもしれない。
次回は、言いにくいけどやはり言っておきたかったことを書く予定。



FM局盛衰記・3

さて、私の古巣のFM局、早い話FM大阪の現状の話である。
最盛期と比べ、売上半減、社員数も半減。
大きくなったのは、中之島から湊町に移ったことによる会社のスペースぐらい。
それでも、大幅な経費のカットが要求されたときに、ばかでかいサテライトスタジオを廃止、2フロア借りていた分のうち、1フロアを返上、地下の倉庫及び駐車スペースの閉鎖など、移転した時の規模から比べると半分近くになってしまった。(それでも中之島時代より大きいが)
存在感も半分になったし、対外的にも会社の経理状態が相当悪いという印象を与えることになった。(ま、実際悪かったのだろう。)
目に見えるものは、圧倒的に説得力を持つものだ。
同じように大赤字になって意外感をもたらしたFM802、事務所は南森町にそのまま残り、あまつさえFMcocoloを吸収しようというのだから、誰も802がやばいなんて思わないだろう。
中は例え火の車であっても、それを対外的に見せない、それこそが経営者の矜持であり、イメージ戦略を考えるにあたって重要なことだ。


とにかくFMOは自社のイメージを傷つけることに無頓着でありすぎたのだと思う。
そんなことをすれば、例えば社外のものはどう思うか、制作会社の人がどう思うか、そこにもっとセンシティブであるべきだったろう。
ブランドイメージの毀損、この何年かのFMOに顕著に表れていたことである。
あそこからは、もはや最先端の情報発信はありえない、ただのラジオ、ただの二流メディアというイメージとでもいおうか。


それがFMO以上に現れたのが、神戸のKiss-FMだ。
内部の混乱がすべて露見し、訴訟合戦まで始まった。
一時期は、支払いも相当滞り、放送局の態をなしていないとまで言われた。
イメージもブランドも、ボロボロである。
情報発信の核になるなど、誰も信じなくなったし、今後もそう簡単に失地回復することはないだろう。


かつて私はブランドの3要素として「均等性・均質性・価値の維持」というのをあげたことがある。
どこへ行っても、そのブランドに対応する商品が提供できること・・均等性
商品自体がどういう状況であってもブランドの質が保たれること・・均質性
そのブランドの価値は、時間が流れても維持されること。
それを前提にして、こういうことを書いたことがある。

ラジオ(番組)を売るというのは、局のブランドを売るということなのだと私は思う。
ブランド・イメージを売るということだ。
売れないのは、結局ブランド作りに失敗しているということに他ならない。
効果だけを前面に出しても、ラジオは売れない。
それ以上の効果を得られるメディアは他にもあるからだ。
J-WAVEを見ていると、全く問題はないわけではないが、辛うじてブランド・イメージを維持することに成功している。
大阪のFM802なども、まあまあブランド・イメージを維持しているほうだろう。
売上がどんどん落ち、何とか前年度を維持しようとして編成がガタガタになっているラジオ局には、もはやブランド・イメージを云々できる余裕はないようだ。
本当は、武士は食わねど高楊枝で、やせ我慢でもブランド・イメージを守りたいところだが、そこまで気骨のある放送局は少ないだろう。
ただ、レギュラーでスポンサーについてもらおうと思えば、まずブランドありきでないと辛いだろうと私は思う。
毀損されたブランドの価値は、驚くほど下がる。
聞いている人がいるとかいないとかいう問題ではない。

とにかくブランドを維持できない局には未来はない。
それを支える人員(社員)が減れば、すなわちブレーンの能力が落ちればブランドを維持することはおぼつかない。
当たり前の話なのに、それを実行しない(できない)ラジオ局。
次回もそのあたりを引き続き。



これは、私が信頼しているマーケティングの大家、阪本啓一さんの本です。ブランディングの原則がよくわかります。

FM局盛衰記・2

しばらくは具体的な話を書く予定だ。
思い違い、また誤解を与えるような表現があれば、その都度ご指摘いただければ幸いだ。
とにかく、少し感情が交じるかもしれないが、ご容赦ねがいたい。


前回バブルがはじけたと書いたが、ラジオ業界にそれが津波のように押し寄せたわけではない。
土地価格がドーンと下がったといっても、ほとんどのFM局はそういう余分な投資はしていない(ゴルフ場の会員券はスポンサーのからみでだいぶ買わされたりしたが)ので、いきなり売上大幅減にはならず、じわじわ、じわじわ影響が出ていったというのが実情ではないか。
レコード業界では、わが世の春だったファンハウスやフォーライフ等が失速、いずれも自社ビルを建てたばかりにバブルを影響を受けた形になったようだ。
その後は、レコード会社が外資系に買収されたり、音楽事務所が力をつけて原盤権や音楽出版権などおいしいところをレコード会社に渡さず、宣伝費だけレコード会社に負担させるという形になり、ますますレコード会社が苦しくなっていくのである。
赤坂のコロンビア通りにあったコロンビアのスタジオ(美空ひばりがレコーディングしたという由緒正しい場所)まで、外資の経営者によって売却されたり、その影響は日本のレコード会社の伝統を次々に破壊していったように思われた。


外資系は選択と集中を徹底し、それがミリオンセラーのCD続出という結果を一時的に生み出したが、その裾野はますます狭くなり、パソコンやネットの普及でその選択と集中も不可能になっていくのだった。
その反動で、まだ過去の伝統を継承できたレコード会社、例えば新興で株式上場緩和の恩恵を受けられたAVEXなどが、多くのアーチストを抱え、一人勝ちの状況になったことは押さえておいていいかもしれない。


ま、レコード会社のことは又別のところで語ることにして、ラジオ業界である。
既に古巣のFM局を退職していた私は、自分が企画立案しその後も続いたミュージカル上演の会社に転職。
バブル崩壊に見舞われながら、しばらくは演劇制作業務を維持。
当時の、産経新聞経済部出身だったFM局社長の「バブルは一時のことだ。後5年もすればまた景気は戻ってくる。その時は一緒に頑張ろう」などという言葉を信じ、無理をして事業を継続していたというのが実際のところだった。
しかし、この社長の言うことは、ことごとく外れた。
景気はどん底のまま、FM局の売上も落ちる一方、しかもライバル局がレコード業界との関係を強める中、完全においてけぼりになりはじめる。
もはや、FM局の業績が上向くことはなかった。


社員の数も70人余りだったのが、今や一時期の1/2である。
制作現場の社員、多い時は20人ぐらいいたが、現在は当時の1/4。
レコード室担当も最低でも2人いたのに、今やそんな室そのものがなくなってしまった。
技術部となると、多い時に10人いたのに、今では3人しかいない。
つまり、生産現場を外注し、営業部や総務部だけは必要人数は残すという考え方に変わったのだ。
これを、しなければいけない正しい合理化だと、当時の人事担当役員は言っていた。
多分、その任を解かれた今も、その人の意見は変わっていまい。
前のような体制を維持することは、売上減の前には全く不可能だったのだろう。


半分の社員の人数が生み出しのは何か、それは売上の半減だった。
いや、その逆かもしれないが。
半分の売上で養えるのは、半分の社員でしかないのだ。
いわゆる下方スパイラル、何か、戦国時代の衰退する大名のようなものだ。
城を守るものが毎日減っていく中で、外へ打って出る力もなくなっていったのだろう。
そして、今は。
その話は、ゆっくり考えながら次回に書いてみたい。