カテゴリー : 2012年 1月

ビジネスで必要とされる「認知的スキル」

最近読んで感銘をおぼえた書のひとつに、山田昌弘著「なぜ若者は保守化するのか」(東洋経済新報社刊)がある。
山田昌弘氏は、社会学者で、パラサイトシングルとか格差社会、そして今大流行の「婚活」という言葉を世に出した方でもある。
何故当代の若者が保守化したのか、読後はしごく納得してしまったのだが、そのあたりは実際に本を読んでいただくことにして、今日は、本の中で「ビジネスで必要とされる認知的スキル」と題された部分をとりあげてみたい。


まず、資本主義社会とは、他人の欲求を満たすことによっておカネをもらう社会である、と書く。
「だから、ビジネスでおカネを儲けるには、他人の欲求を満足させるための商品やサービスを提供しなければならない。」
当然のテーゼだ。
「一通りのモノがそろっている豊かな社会では、人々の欲求の質に変化が起き、ありきたりのものでは満足しなくなる。(中略)生活するための必要最低限の商品、サービスは供給されるが、その価格は極度に低下し、それで利益を出すことはますます困難になる。」
何か、音楽業界とか放送業界にも関係してきそうな話である。


「従来の商品、サービスにプラスアルファがついていないと利益が出る商品ができない。(中略)商品やサービスに付着したプラスアルファを消費するのが、ニューエコノミーの特徴である。」と書き、プラスアルファの欲求には次のような特徴があると続ける。


①新しい欲求は際限がない。商品自体の賞味期限は長くとも、プラスアルファ部分はすぐに効用が低下する。つまり飽きられる。ビジネス側は、常に新しいものを提供する必要がある。
②プラスアルファ部分は個性的である。ある人が満足するものだからといって、別の人が満足するとは限らない。個性化した感性の中核にヒットしなければ、見向きもされない。つまり、いくら似ていようとも二流とみなされたサービスは売れないのだ。
③プラスアルファの部分の内容は、本人も事前にはわからず、消費してはじめて満足を得る。新しい経済では、消費者はこのような商品やサービスがほしい思って求めるのではない。特定の商品に出会うことで、自分の内側に隠れていた感性が呼び覚まされ、それを消費して満足に至るのだ。


商品自体は、さほど変わらない、例えば服は服だし、カバンはカバン、それ自体の機能は変わるものではない。
だが、それに付随するもの、例えばデザインであったり、それを使う時には、こういうものと組み合わせるとか、ついでにこういう機能も加味することによって、別の欲求を生み出すということなのだろう。

また個性化した感性の中核にヒットするというのは、重要なファクターである。
広告業界では、これを「刺さる」と言ったりするようだ。
心に刺さるというか、ユーザーの感性に刺さるとか表現する。
刺さらないものは、外形が同じであっても相手にされない、ま、そういうものなのだろう。


消費者がこういう商品を求めているという時代ではないというのも示唆的だ。
消費者のニーズは消費者自身はさほど自覚していない、確かにそんな気がする。
そういう商品を目の前に置かれて、初めて自分の中のニーズに気づくということ、そう、その通りなのだ。
自分の心もそう、ある一つの言葉、ある一つの思想体系に触れて初めて自覚するということ、それが人間の認知というものだ。
初めに真理ありき、人の心は後についてくるだけだ、ややこしい話だがそういうことだろう。

デジタル系の商品なんて、本当にそれを外から眺めているだけでは何かよくわからない。
ブログというのもそうだし、ツイッターも又そうだろう。
やってみないとわからないのが現実なのだ。
外から眺めているだけで、ブログとはこういうもの、ツイッターとはこういうものという言説を語る人がいるが、それが如何に空論であるかは、既に皆さんご理解されていることだろう。
自分の内側の感性が、ブログにもツイッターにも呼び覚まされることがないなら、それを消費して楽しんでいる人の気持ちはわかるはずはないのだ。


ウェブサイトを眺めているだけの放送局の管理者や経営者に、サイトビジネスの本質はわからないと本ブログで書いたと記憶しているが、つまり刺さることの原体験がなければ、ユーザーのニーズに応答できないということなのだと思う。


さて、田中昌弘氏は、プラスアルファを作り出すために必要な能力として3つのCをあげている。
①新しいモノや組み合わせを考えつく能力ー創造力(Creativity)
②相手が何を欲しいかを察して引き出す能力ーコミュニケーション力(Communication)
③新しい感性に訴え、「クール」であることを判断できる能力ー美的センス(Cool)
これらを認知的スキルと呼び、こうした能力を持つことがビジネスで成功する条件とされているのだ。


私は、特にこの3つのCの中で、コミュニケーション力を強くあげておきたい。
結局人とどれだけ多く交わっているか、社会性を持っているかが鍵になると思うからである。
放送局ならリスナーとのコミュニケーション、音楽業界なら音楽ファンとのコミュニケーションである。
とにかく、消費者を泥棒と呼んだり、消費者の楽しむためのツールを一方的に指定し、折角自発的に工夫して作られたものを一方的に無力化するなんて愚の骨頂以外の何者でもないだろう。
長くなるので、そのあたりを具体的な話を交えて、次回にもう少し。




過去のブログより~会社を辞める

今日は久しぶりに、過去の私のブログ、それもあまり公開されていないものから「会社を辞める」というタイトルをついたものをご紹介します。
10年前のもの、ホント、一昔前ですね。
私がFM大阪をやめた時の話が書かれています。
別に、そんなに辞めたくて辞めたわけじゃないのですが、当時の社長が無理やりやめさせた感じもしますね。
今の会社を辞めようと思っておられる方に参考になればと思って掲載します。
では、のちほど。

2002-1-18 21:39
リストラ大はやりですね。
労働者をこんなに簡単に首を切る時代がやってくるなんて思いもしませんでした。
ターゲットはもちろん団塊の世代でしょう。
絶対数が多いし、50代だし、仕事の中味が収入とつり合っていないし。

本人も辛いでしょうなあ。
新しいことも今さらできないし、管理職以外はあまりやりたくないでしょうし、今住んでいるところから離れたくはないでしょうし。

内心、こんな会社辞めたいと思っていても、その後の人生設計がまるで思い浮かばないのが本当のところでしょう。
いつ死の宣告が来るのかをヒヤヒヤしながら待っている、そんな心境なのでしょうね。

私がFM大阪を辞めたのは43歳の時でした。
ミュージックバードに出向していて、ここで仕事をしていても自分のプラスにはならないと実感したのがきっかけでした。
自分の時間が勿体無いと思ったのです。
で、FM大阪の社長に「やめたいのですが・・・」とおそるおそる申し出たところ「お、それはおめでとう。君がやめるのは会社としても好都合だ。とにかく今後の活躍を期待しているよ。」
あっさり言われてしまった。
義理でも引き止めるぐらいの言葉はないんかい。

強く慰留されたら、会社を辞めるのは思いとどまるつもりだった。
でも、全くその素振りなし。
勝手にやめて申し訳ないなと少しでも思った気持ちも空回り。
結局、俺はそれぐらいの存在だったんだと意気消沈した次第。

会社を辞めて得したか、損したか。
それは、何とも言えない。
今は会社の経営者なので、そりゃ普通にサラリーマンしているよりはるかにしんどい。
植木等さんの歌にもあったが「タイムレコーダ、ガシャンと押せばどうにかカッコがつくものさ」のサラリーマンだ。

時間の自由はないが、それでも毎月ちゃんと振り込まれる給料があるだけでも、どれだけ幸せか。

経営者なんて無茶苦茶儲かっている時しか心休まる時はない。
ちょっとぐらい儲かっている状態だと、かえって金の使い道に迷ってしまうだろう。
何しろ、社員は儲かっていることを知っている。
当然給料を上げてほしい、ボーナスをもっと寄越せとか、色々と要望がでてくるはず。

でも、ちょっとぐらいの儲けなんて、どこかのクライアントが飛んでしまえばそれで簡単に消えてしまう。
その為の金がやはり確保されねばならないし、万一の為に自分の財産も投げ出さないといけないかもしれない。

よく、社長の給料を高すぎるなんて言う人がいる。
社長の給料は、いわゆるオーナー社長である限り、高ければ高いほどいい。
社長は社員と違って、入った収入はいつでも会社に投げ出す義務がある。

儲かっている時は、できるだけ多く貰うが、会社が厳しくなると一円も会社からは貰わないなんてことも覚悟しないといけない。
社員には給料は払っても自分は我慢する。
資金繰りがすべてなのだから、自分の給料貰っている場合ではないのだ。

つまり、それほど会社を経営することは自分を犠牲にすることでもあるということだ。

やっぱりサラリーマンは気楽でよかった。
サラリーマン社長なんて言う人も多いが、こういう人は結局実業の世界では決して評価されることはないだろう。

ダイエーの中内さんも本当に大変ですね。

さて、会社を辞めることは、とにかく大変なのである。
得か損かはわからない。
ただ、辞めたしばらくは、ほとんどの人が迷うだろう。
私の選択は本当に正しかったのだろうか、と。
文句ばかり言っていた会社だが、今から考えるといいところもたくさんあった。
こういうことは外に出ないとわからないものだ。
本当に何でやめてしまったのだろう。
あんな、社員思いの会社はそうはなかったのに。

でも、これは仕方のない話です。
辞めてしばらくは、どちらにせよ新しい環境で自分の場所を見つけだすことから始まります。
そりゃ、大変です。
前の場所にいたら、しなくてもいい努力です。
その分、前の方が良かったと思うのは当然です。

結局、会社を辞める時に必要なものは、自分の夢にかける情熱です。
それがなければ、辞めるのは最悪の選択です。

さて、会社を辞める話は書き出すときりがありません。
長くなるので、今回はこれぐらいにしておきます。

あれから10年経ちました。
私も本当にいい歳になってしまいました。
今よく思うことは、あの時辞めなかったら今頃私はどうなっていたかということです。
何かややこしいことに巻き込まれていたような気がします。
あれからFM大阪を含めてラジオ業界、本当にいろんなことが起きましたからね。
例え今私が会社のトップになっていたとしても、戸惑うことばかりだったろうと思います。
経営者なんか、誰でもなれるとは思わないほうがいいですよ。
結局、今の自分に耐えられる人しか、困難な時の経営者には向かないというのが私の意見です。
景気のいい時は誰だって社長になれますからね。
さて、長くなりますが、本編には続きがあります。
ついでに載せておきますので、おヒマな時にでもお読みください

2002-1-19 23:44
会社を辞める年令について考えてみる。

20代で辞める人。
今はいくらでもいるだろう。
辞めた側も辞められた側もあまり痛痒を感じない。
結婚していたり、子供がいたりするとちょっと問題かも。
ま、そういう状況の人はその理由だけで辞めたりしないだろう。

辞めることによって次の世界がありそうなのは、30代半ばぐらいから40代半ばぐらいの人。

この世代は、辞める理由が他の世代よりはっきりしている。
今の環境にいるよりも、別の環境に行った方が自分は生かされるという判断がある。
10年以上も会社に居れば世の中の大体のこともわかるし、自分の力量もわかる。
ちょっとした管理職も経験しているだろう。

そういった状況にあって、会社を辞めるわけだ。
そりゃ、他の世代より意味ある転職が可能だろう。

40代後半から50代で会社を辞めるというのは、ちょっと悲惨。
そこまで一つの会社に居れば、なかなか他の会社に馴染めない。
応用力も衰えているし、体力もちょっと心配。

又、辞めたところで、喜んで受け入れてくれるところもなさそうだ。
給与は下がるし、待遇も悪い。
当然、会社への文句も多くなるだろう。

俺が働いてやっているのに、何だこの待遇は。

そんな文句聞かされたら、受け入れる側も嫌になる。

この世代、辞めたら自分に対して謙虚であり続けるしかない。
世の中のついでで、私は生きさせてもらっております。
どうぞ、私をお好きなようにお使い下さい。

会社を辞めさせられた人も、この心構えは大事だ。

タレントの世界なんかもっとシビア。
本当に仕事が欲しい人は、どこまでも謙虚でなければならない。

何でもやらさせてもらいます。
レポーターでも文句言わずにやりまっせ。

そんな仕事、やってられっかい、俺はスターだぜ、なんて言っていると、仕事はどんどん減って行く。

本当にスターだったら、仕事の方からどんどんやってくる。
しかし、そうなったらそうなったで、自分の時間がほとんどない。
金はあっても使う機会がない。

で、スターは馬鹿馬鹿しいものに金を使う。
車、女、酒、マンション。

金の使い方を合理的に考える時間がないのだ。
哀れなり、日本のスター達。

閑話休題。

とにかく、貴方が30~40代で、今の会社にいても未来は開けないと確信し、自分の得意な分野を自覚していて、そのためには会社を辞めるしかないと思える人だけ、辞表を書けばいい。

それ以外の人にはおすすめしない。

ほっといても辞めさせられるかもしれないではありませんか。
自分から、嬉しそうに手をあげるなんて愚の骨頂としかいいようがありません。




2012年私の展望

さて、放送業界、音楽業界の2012年の話を適当に書き連ねてきたわけですが、今日は私自身の2012年の展望を書いてみたいと思います。
私事になりますが、私がマネージメントしている会社の仕事は、大部分放送局がらみです。
それゆえ、放送局がしっかりしてくれて、新たに新番組に投資してくれるようにならなければ、私たちの収入は増えることはないでしょう。
残念ながら、今おつきあいさせていただいている局、今年売上げが増えそうというところは今のところありません。
下手をしたら減るかも、いや、仕事自体終了といわれても不思議ではないといいますか。
本当にそれでもよく仕事を発注していただいているなあというのが、正直な感想です。


ということで、私の2012年、あまり展望が開けていないようです。
それでも、ある占いによると、私のこの1年は金に不自由しないとか。
細々と続けてきた音楽配信事業が大当たりするのか、それとも私が関係しているアーチストがブレイクするのか。
現在進行形の翻訳プロジェクトが、予想以上に反響があって大わらわになるのかもしれません。
未来は本当にわかりません、そんな夢みたいなことというのが、何かの拍子に実現したりするのが現代です。
とはいえ、占いは占い。
1年金に不自由しないなんて、この不景気な中、実際には考えられません。
Someday my dreams will come true.
ま、そう思って、今年も頑張りましょう。


先ほど、高橋秀実(ひでみね)さんが書いた「結論はまた来週」(角川書店刊)を読み終わりました。
高橋秀実さんは、R25という雑誌でエッセイを連載されていたのですが、それが単行本になったのが「結論はまた来週」です。
毎回、羽田空港に置いてあるラックからR25を取りだし、楽しみに読んでおりました。
高橋さん、発想が面白いんですね。
へえ~、そういう考え方があるんだ、ああ、そういうとらえ方もできるよね~。
自分の頭の隙間に、す~と入ってくる、そういう文章でした。
これ、ある意味私の理想でもあるのです。
私も、こういうブログを書きながら思うのは、人が気づかないことをなるべく書かないといけないということです。
そんなこと、多分他の誰かが書いているよ、私が考えないといけないことは、私しか書けないことは何かということだ。
一番重要なことは自分の言葉で書くこと。
そして、日々人がなかなか気づかないことに注意を向けることだと。


その点、高橋秀実さんは、毎回そのことを私に伝えてくださるというのでしょうか。
当たり前のことを書いてはいけない、自分しか思いつかないことは何か、それを考えながら文章にしろ、と。
さて、今回の私のブログはどうだったでしょうか。
何か、わざわざ書くほどのものじゃなかったのではと思わないでもないですが、高橋さんの著書を紹介できたことでも良しとしておきましょうか。
では、また次回。