カテゴリー : 2012年 1月

音楽業界の行方

「P2Pとかその辺のお話@はてな」というブログがある。
音楽産業の現状、特にネット関係を含めて興味深い情報を提供されている。
リンクされている回は「ガラケーからスマホへ:どうなるCD、どうなる音楽配信」というタイトル。
携帯がスマートフォンに変わり始め、危うしレコード協会というような内容だ。


ガラパゴス携帯で音楽を聞くとなると、やはり一番メインなのは「レコチョク」。
特に力を入れていたのは着うたフルで、1曲420円。
外に持ち出しができないため、CDの販売を阻害しない、共存できるという媒体である。
それが、携帯のメインがスマートフォン(特にiPhone)になると、ユーザーはiTunesを利用ことになる。
こちらは、基本1曲200円である。
アルバム単位で買う人も多いので、確実にCDの販売と競合することになる。
レコード協会(レコチョク)側は、これでは困る、何とかならないかという話。
ま、何ともならないだろうが。


そのあたり詳しくはブログをお読みいただくことにして、私が注目したのは以下の部分だ。

レコード産業は、利便性を高めることが不正入手や意図しない使われ方をすることに繋がると恐れ、消極的になっているのかもしれないが、この10年を振り返るに、そうした消極性はAppleや、違法配信界隈を利するだけではなかったか。一方で、デジタル時代への適応の遅さは、リスナーの生活の中での音楽の希薄化につながっていったのではないか。


既存のレコード産業を、延命ではなくサステナブルなものとしたいのであれば、一刻も早く、利便性を高め、そのことを広く周知する必要があると思う。それによって、日常生活においてさまざまな場面で音楽に触れる環境を作り出し、広く深く濃い音楽体験をリスナーに提供することができる。配信だCDだと語ってきたが、今必要とされているのは商業レコードそのものの価値をどうやって高めていくか、なんじゃないのかな。

レコード業界は、ネットの時代になっても従来の商売のやり方を変えず、そのためにあえてユーザーの利便性を邪魔して、自分たちの都合のいい音楽の消費の仕方を強制し、その結果ユーザーの音楽消費行動を抑制してしまったと書いているのだろう。
利便性を重視して放置すれば、ある意味ユーザーに音源を自由勝手に使われてしまい、その結果、本来消費によって得られる利益が著しく減殺されると業界は危惧したのだ。
やれることは、とにかくユーザーにコンテンツを自由に扱わせないこと、そのためには著作権法を持ち出し、ユーザーを下手すると泥棒あつかいしかねない言説をばらまいたりした。


メディアを選ぶのは、おれたちレコード業界である。
周辺で、新しいメディアを使って音楽を流通させようとする動きがあるが、そんなのは俺たちがNOと言っている間は何もできない。
とにかくネットでの音楽流通は時期尚早、まずCDによる流通が基本であることを、ユーザーは認識すべきだ。


何か、以上のような高飛車な言葉で、音楽業界(特に日本の)はパソコンや携帯などの消費メディアを頭から規制してきたのだ。
そして、業界は消費者から総スカンを食った形になり、CDの売上大幅減という体たらくに陥った。
当たり前だろう、と私は思った。
CCCDなんかも、悪あがき以外の何物でもないと正直情けなくさえ感じていた。
利便性を無視して、流通などしない、それぐらい商売を長くやっていてわからなかったのだろうか。


とにかく、音楽業界はいきなりやってきたデジタルの波、ネットの波に、自分たちが作った防波堤を次々に破られたのだ。
消費者を泥棒扱いしたり、俺たちが上流にいる限り、下流のものはおとなしくそれを受取っていればいいのだという不遜な態度を見せたり、こりゃ、技術革新の波に飲まれるのは必然だなと思われても仕方がなかっただろう。


何度も書くが、ラジオ業界も同じような防波堤を築きながら、今のデジタルの波に立ち向かおうとしている。
それよりも、必要なものは自らが変わることではないかと指摘する人は多い。
今のままでいたければ、自らが変わらなければならない。
誰でも知っている言葉の重みをもう一度かみしめる必要が音楽業界にもラジオ業界にもあるはずだと私は断言しておきたいのだが、これも又不遜な言葉に聞こえるだろうか。



NHKラジオ深夜便

n4543さんからいただいた「新たな装いのラジオ雑誌!」のコメント、なるほどなと思いました。
どうもありがとうございました。


NHKのラジオ深夜便、ラジオ関係者なら常識になっているのですが、番組としては60才代以上の最大のキラーコンテンツとなっています。
ご案内のように、ラジオ深夜便という月刊誌が毎月10万部以上売れているとすれば、これは十分放送のビジネスモデルを形作ることができるでしょう。
FM雑誌の項でも書きましたが、放送ー雑誌ークライアント(シニア・ターゲット)のトライアングルが見事にできていると考えていいでしょう。
これが民放の番組だったら、このモデルはマーケティングの問題としてもっと取り上げられるのですが、何故かNHKは本格的なビジネス素材として「ラジオ深夜便」を話題にはしません。


NHKは基本的に番組と企業のタイアップを積極的には行わないのです。
ある企業のために、番組を使うのはご法度、多分そういう考え方なのでしょう。
私の知人に、ラジオ深夜便に関わっている人がいるのですが、民放なら当たり前のように流れているタイアップ的情報を、NHKは一切取り扱わないのだと言っていました。
それぐらいいいじゃないかと思われることでも、何らかの必然性や公共的な使命と関わらない限り、勝手なプロモーションはさせてもらえないのです。
お役所と同じなんですね、前例のないことはダメ、早い話山口百恵の「真っ赤なポルシェ→真っ赤な車」という言い換えが笑い話でないのと同質な話です。


NHKはそれぐらいであっていい、私はそう思いますが、もうちょっと何とかならないのかなあと言っている業界関係者は多いようですね。
そういうことで、ラジオ深夜便は、雑誌などでひそかにビジネスとして成り立っているらしいのですが、それは声高に語られることはありません。
FM雑誌のように、「ラジオ深夜便」を特集した雑誌が発刊されれば、あるいは健康関係の雑誌(「壮快」や「健康」など)にラジオ深夜便のページができれば、そこそこ話題になるかもしれません。
今、テレビやラジオで、どれだけの健康関係(それもシニア向け)のCMが流れているかを考えれば、深夜便さえOKを出せば、一時期のFM雑誌のような賑わいを見せるのではないかと。


ま、多分、NHKはOKを出さないでしょうけどね。


じゃ、民放がラジオ深夜便みたいなものをやればいいのにと思いますが、やはり全国放送のNHKラジオにはかなわないようです。
NHKだって、元々は単なる時間つぶし、フィラー代わりに流していただけで、こんなに当たるとは考えていなかったわけで、意識してやるようなものではなかったようです。
ラジオ深夜便みたいな番組、今も実際に民放で流れていますが、帯でやっている局はありません。
これ、帯でやるからいいんです。
せめて1時から6時まで、それぐらいやらないとシニアは聞いてくれません。
ラジオ深夜便に不満を持つ、シニア、私の周りにも何人かいます。
もっとこうしてほしい、この時間はできればこういう内容にしてほしいという要望、NHKにも多く届いているはずですが、局としては新しいコーナーを作る気もなければ、新規投資をする気もないというところではないでしょうか。
何か突発的なことが起こった時のフィラー番組という位置づけは今も変わっていないと思います。
たまにやるリスナーとの集いが精一杯なんでしょうね。


ということで、ラジオ深夜便に挑戦しようという民放局、もしあるとしたら、絶対毎日の帯番組にすることをお勧めします。
シニアには、土曜も日曜もあまり関係ないのです。
のんびりと自分と一緒に流れていく時間を共有してくれればいいのです。
ほしいのは、人の息吹といいうか、人の身体のぬくもりというか。
もはや、夜の12時から朝の6時までは、聴取率調査の対象ではないのでしょう?
何やってもいいのなら、ぜひシニア向けののんびりした番組を流してみたらどうですか?
文字通り、ラジオの復権ということになるかもしれませんよ。



FM局の盛衰

2012年の展望、今日はお休みして、FM放送局の盛衰について今日は少し触れてみたい。
「FM雑誌と僕らの80年代–『FMステーション』青春記」(河出書房新社刊)を読了した。
栄光をきわめたFM雑誌、FMステーションの編集長だった恩蔵茂氏が書いた本だ。
もっとも人気があったころは、発行部数50万部だったという。
他の3誌、FMfan、週刊FM、FMレコパルも、少なくとも30万部ぐらいは発行されていたはずだから、何と150万部近くのFM雑誌が読まれていたことになる。
これはすごいことだ。
日本の人口の1%強がFM雑誌を買っていたのだ。
目的は、当時を知っているものなら容易に見当がつく。
FM放送をエアチェックするためである。
エアチェック、最近は死語同然の扱いを受けていて、若い人に聞いても「空気をチェックするんですか?」と答えてくる。
時節柄、放射能の問題があるから、そういう反応が返ってくるのも仕方がない。
参考程度に意味を書くと、「主にFM放送の番組をカセットなどに録音して楽しむこと。レコードと同じようにライブラリーにして保存したりしていた」というところか。
とにかく、自分の聴きたい曲、残したい曲がFM番組を受信するだけで手に入れることができた。
何もない部屋が、日々のエアチェックの結果、音楽の倉庫になるという感覚、今の人にはピンと来ないかもしれない。
エアチェックが若い人たちの生活の一部になれば、当然それに付随する商品が売れる。
ラジカセ、カセット、クラシックファンには高価なオーディオセットなどもバブルの波に乗ってバンバン買われていった。
FM雑誌はそういう購買層を150万人も持っていたと言っていい。
当然、広告はオーディオ関係で一杯になる。
また、新規参入企業も増え、広告ページは3カ月分先まで満口になったと恩蔵茂氏は語っている。
FM局、FM雑誌 オーディオ関係等のクライアント、その見事なビジネス・トライアングルは、上層スパイラルを描いて盛況をきわめたのである。
もちろん、音楽業界も当然その連関の中に加わる。
エアチェックされても、レコードの売り上げはどんどん伸びたからだ。
FM局は今までのAM局が紹介しなかったジャンルの音楽を湯水のように流してくれた。
新しい需要が生まれ、埋もれていた音源も又日の目を見た。
我が世の春、FMワールドが見事に花開いたのである。


なのに、いつのまにかそんな見事なトライアングルは消えた。
文字通り、「チーズはどこへ行った?」という感じだ。
FM誌からすれば、FMが単純でなくなったからという指摘がされるだろう。
FM局が東京・名古屋・大阪・福岡の4局とNHKFMだけの時が一番シンプルで安定していたのだ。
その後、全国にFM局ができていき、大都市にJ-WAVEやFM802などの第ニFM局が生まれ、それまでのシンプルなエアチェックスタイルを壊していったからなのかもしれない。
J-WAVEからすれば、それまでのFM東京などの既設局に勝つには、従来のトライアングルに乗っかっていては限界がある。
だから、とにかく今までの業界のやり方は踏襲しない。
新しいラジオ、スマートなラジオを目指し、モアミュージック、レストークを推し進めたわけだ。
しかも、生放送を重視し、事前に曲目なんか発表しない。
また曲はDJに合わせて、トークをのっけ、またフェイドアウト、フェイドインなどを駆使する。
リスナーがエアチェックしようとしても、うまく録音できず、結局若者からそういう習慣を奪っていく。
つまり、FM雑誌が衰退したのは、FM局がエアチェックをする媒体ではなくなったからということになるのだ。
音源を録音し、自分の部屋にストックするという習慣がなくなれば、当然オーディオメーカーはFMから離れる。
一番のお得意さんをFM局はどんどん失っていったのである、意識するかしないかに関わらず。


それを補っていたのは、CDが普及し、ミリオンヒットが連続して出るようになった音楽業界だった。
一番売れるのは、J-POP。
ほとんどのFM局はJ-POP中心の編成になり、レコード会社はCDの販売促進費をどんどんFM局につぎ込んでいった。
ヘビーローテーションもお金に変わっていった。
FM局でかかる(皿がまわる)ことが、人気のバロメーターになり、FM局にはレコード会社のプロモーターや有力音楽事務所のマネージャーが日参したりしていた。
確かに、これではFM雑誌の出る幕はない。
普通の音楽雑誌と大して変わらなくなり、出版社は次々と雑誌を休刊させていった。
(そりゃ、オーディオ関係のクライアントがFMから離れていけば、FM雑誌を発行するインセンティブなんか働くわけはないよね。)


ということで、バブルに浮かれたFM局は従来のエアチェック路線を放棄し、レコード会社などの音楽業界とのつながりを強めていったわけだ。
そして、今度はパソコンの時代になり、ネットの時代になり、CDの売上は激減。
オーディオ業界が果たした役割を引き継いだレコード会社は、冷徹な現実を受けてFMへ金をつぎこむことをやめる。
そして、FM局はかつての栄光を失い、今、どうやってこれから生きていくかを模索しているということなのだ。


おしまい。


さて、勢いにまかせて、FM雑誌とFM局について書きなぐってみた。
他にも色々思いついたことがあるが、長くなりそうなので又の機会に。