カテゴリー : 2012年 2月23日

シリーズ 広告代理店・8

私が営業部に異動させられた時、いわゆる外勤担当(セールスマン)は私も含めて5人いました。
それぞれに広告代理店担当を割り振ります。
大きな代理店、大阪では電通、博報堂、大広、今はなき万年社ということになります。
私は制作から異動してきたほやほやの営業マンですから、これらの担当は私以外の4人。
大広担当の方は、家が京都ということで、京都の代理店も担当しています。(京都電通、京都博報堂なども担当)
また万年社担当は、家が阪神地区だったので、神戸の代理店も担当。(神戸電通、神戸博報堂・・・)
博報堂担当の方は、阪急グループを一手に扱われていた大阪読売広告社の担当でもあり、これら4人の方は代理店に行くだけで、そこそこの仕事話はありました。
私には、そういうことで大きな代理店担当はなし。
最初から負担にならないようにというか、変なことをしないようにという会社の配慮だったと思いますが、それゆえすぐに仕事などほとんどありません。
そりゃ、どこかの大きな代理店を担当していたほうが楽に決まっています。
毎日顔を出していれば、そのうち仕事が回ってくるといいますか。
楽といえば楽だったんじゃないでしょうか、ま、横から見ていてですが。


そういうことで、私は中堅から小規模の代理店専門という感じでした。
早い話、ほとんど扱いのない、代理店ばかり。
とはいえ、営業に配属された頃はそんな事情はわからないというか、私にとってはどうでもよいことで、言われた担当の代理店をひたすら回ったものです。
何しろ直ぐに売上を上げろとは言われていません。
ので、勉強がてら、あちらこちらと顔を出していたわけです。
正直、良い人たちにめぐり会ったなという感じでしょうか。
何の扱いもないFM局の営業さんが何しに来たの?というところから始まり、何だかんだと話しているとおぼろげながら広告の世界が見えてきたというか。
日々会う方から新しいことが学べるという感覚で、意外と営業も面白いなと思うようになっていったのです。


私の担当は、大阪の代理店ばかりでしたが、参考のためその後扱いが増えた代理店を幾つか列挙したいと思います。
一つは、日本交通事業社(現JIC)、JTBのハウスエージェンシーで、主にJTBの新聞広告やパンフレット制作がメイン、他にJRとの結びつきも強く、京都駅の地下商店街ポルタ、大阪駅のエスト一番街などを担当。
私が担当になった時は、扱いはゼロでしたが、後にJTBの提供番組もスタートさせましたし、エスト一番街は1983年のオープンの時から代理店の方と二人三脚で媒体計画などをプランニングさせてもらいました。
その結果、FM大阪に年間で1000万近い売上をいただき、本当にお世話になったものです。
JR傘下の開発会社の社長さん、常務さん、営業部長さん、課長さんにも、すごく可愛がっていただいたのもいい思い出です。
1年ほどで、私は営業から又制作に人事異動したため、エストとは少し疎遠になってしまいましたが、今でも代理店の方(今は別会社の社長さん)とは仲間みたいにつきあわせてもらっています。


他に、大阪毎日新聞系の代理店、大毎広告さんにもお世話になりました。
私が担当になった時は、心斎橋にあったビフテキの花ふささんの週3の扱いがありましたが、私が通うになってから、何と週5になり、20秒スポットが30秒スポットに。
また、松山に支店を出すということになり、FM愛媛さんのベルト番組(交通情報)も担当させてもらいました。
その後、いただいた単発スポットは数知れず、当時の媒体部長さんが名古屋に出張する時に、岐阜のスキー場の広告計画を決めに行くんだけど、あんたとこも欲しいかと言われ、「ほしい、ほしい、ぜひちょうだい」とおねだりしたら、何と200万もスポットを取って来て頂きました。
大日岳スキー場というのですが、全く関西人には知られていなかったスキー場。
一度お礼にすべりに行かなくちゃと思っていたのですが、これも営業を外れて制作現場で大忙しになり、その後どうなったのか全く知りませんでした。


さて、この調子で思い出話を書いていると、あと倍の量になりそうです。
後半はまた次回ということにします。
お世話になった代理店の第二部、ぜひまた読みに来てください。