カテゴリー : 2012年 3月

シリーズ ラジオの生きる道(4)~ラジオとイノベーション

ラジオとイノベーションについての2回目。
とにかく、ラジオは幾つかのイノベーションを通じて、今のビジネス的位置を占めていると書いてきました。
しかし、今ラジオは行き詰っています。
それは、新しいユーザーの開拓に失敗しているからに他なりません。
過去の客で何とか今の苦境を乗り越えようとしています。
それを私はラジオ=老舗という考え方で解き明かそうとしました。
老舗には昔からの客がいて、その人たちはかつての思い出を大事にしていますし、そのブランドが今後もできれば続いていってほしいと願っています。
唯一、不愉快なのが、ラジオショッピングであり、レスポンス広告。
こんなのできるだけ早くやめてほしいと思っています。
見苦しい、暖簾(ブランド)を傷つける、私がシンパシーを持っている出演者にそのお先棒をかつがせるな、と。


でも、ラジオはそういう顧客の要望に耳を傾ける余裕を持ちません。
何しろ、そういう商売のやり方を持ち込んできたのは代理店なのですから。
代理店にばかり顔を向けて、リスナーの要望を話半分に聞いてきたのがラジオ局なのです。
しかも、最近代理店はラジオのことにあまり注意を向けてくれません。
唯一あるのは、電通さんがわざわざ用意してくれたradiko。
さあ、この新しいツールを使ってイノベーションを起こしてくださいと、半分投げ出したように提起されています。
でも、ラジオ局、そのradikoを遠まわしに眺めながら、「で、私たち、これを使ってどうすればいいのです?」と電通さんに問いかけている状況に見えます。
イノベーションの起こし方も、おんぶにだっこ、ま、仕方ないでしょうね、自発的にイノベーションを起こした経験などないのですから。


ラジオ局の社員の数は、この10年、減る一方です。
制作会社も減り、ラジオの番組制作のための外部スタジオも減り続けています。
仕事がない、それが外部の人たちの声です。
つまり、ラジオ関係者の絶対数が減っている、そんな世界にイノベーションが起こる確率は確実に少なくなっています。
人が増えれば、関係性は人×人になります。
人のn乗です。
それが減れば、イノベーションが起こる確率も乗数で減っていきます。
簡単な理屈ですが、それが現実に生きているラジオ関係者には見えていないのかもしれません。
制作費を減らせば、会社の利益は確保できますが、それは次年度の制作費を減らす結果を招きます。
いわゆるデフレスパイラル、制作費が減れば人は減り、そしてまた生産価値は落ちて行きます。
どうすれば、イノベーションが生まれるのか、一度立ち止まって考えてみてください。
新しい、しかも当を得た投資とは何かを冷静に考えてください。


それが、地上波デジタルラジオだと思うなら、説明できるような構造をプレゼンしてください。
今あるのは、技術だけであり、どこにもニーズはありません。
ユーザーが何を望んでいるというのでしょう、その地上波デジタルラジオで。
いえ、よく言いますよね。
ユーザーが何を望んでいるかを問いかけて、返ってきた答をそのまま実行すると失敗すると。
ユーザーは、己のニーズを自覚してはいません。
潜在化しているニーズを掘り出し、それを形にして提起した時、ユーザーはそれが自分の望んでいたものだと声を上げ、得ようとするのです。
ラジオ関係者にその努力が今あるでしょうか。
目に見えますか、少なくとも私は業界の端にいる人間として、何も見えておりません。


ラジオが生き残る道、それはまだまだ目に見えない、そんな感想を強く持っております。



シリーズ ラジオの生きる道(3)

ラジオとイノベーションについて書いてみようと思います。
その前にイノベーションと言う言葉についての説明。
Wikipediaの説明が的を射ていると思うので、転載することにしました。


イノベーション(innovation)とは、物事の「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。一般に誤解されているように、新しい技術の発明だけではなく、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革である。つまり、それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す。



ラジオが日本の家庭に登場した時、それは家族の真ん中にあり、集まって聞くエンタテインメントのツールでした。
唱歌「かあさんの歌」では、ラジオはこのように歌われています。

かあさんは 麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい

さみしい夜を慰めるツール、それがラジオだとこの歌は語っています。
ラジオの存在は一つのイノベーションであったことがわかります。
家族にメッセージを伝える機能もラジオにありました。
もちろんそれは、広告効果も高いことを表してもいたというわけです。


さて、戦後現れたテレビによって、ラジオは家族の団欒から排除されてしまいました。
お茶の間から排除されたラジオはどうなったのか、そうです、高度経済成長に伴い、新しい居場所を見つけることになったのです。
つまり、高度経済成長は各家庭の子供たちに個室をもたらし、その結果ラジオはパーソナルな空間に自分の存在意義を見出すようになりました。
折りしも乾電池で動くコンパクトサイズのラジオ、トランジスタラジオが大量生産され、勉強机の上には必ずといっていいほどラジオが置かれるようになっていったのです。
そして、若者たち(主に学生)をターゲットとした深夜放送が一大ブームになりました。
なにしろ、この時の学生世代がいわゆる「団塊の世代」そのものでした。
とにかく、広告ターゲットとしては、もっとも効率の高い層です。
それをしっかりと持つということは、ラジオの媒体価値を高め、多くの投資をラジオに呼び込むことになったのです。


ラジオにはその後、カセットが装着され、ラジカセが生まれます。
FM局が全国に広がり、エアチェックがより盛んになります。
エアチェックされた音は、ウォークマンによってポータブル化されました。
音楽は家で聞くという時代から、持ち運べる時代になったのです。
通勤・通学の時も、社会の喧騒から離れ、自分の世界に浸ることができました。
ウォークマンは音楽を更にパーソナライズしたのだといえましょう。


そして、PCの時代、ケータイの時代、スマートフォンの時代がやってきます。
音楽は、もはやラジオに寄り添うことはなくなります。
若者は、ラジオを必要としなくなり、家族の団欒からも、子供たちの部屋からも排除されるようになりました。
一体、今ラジオはどこにあるのでしょうか。
パソコンの中?
ああ、確かにradikoもらじる★らじるも、アプリとして画面の中におさまっていますね。


でも、これラジオ局の実態とイコールでしょうか?
ラジオはradikoなのですか?
だとしたら、何て居心地の悪い場所ではないですか、どう思われますか、皆さん。
私の感覚では、ラジオを聴く世代をこう分類できる気がします。
AMラジオを聴く人、60~70代、FMラジオを聴く人、40~50代。
30代以下、ラジオと言う形式のものはあまり聞かない、インセンティブが働かない。
確かに、これじゃスポンサーの30代以下の宣伝部の方、広告媒体にラジオを選ばないのは当然ですね。


ラジオの居場所、まだ何とか保っているのは、車の中ですかね。
だから、車で聞くラジオはまだ生き残っている感じがありますね。
FM東京系列の「日産 あ、安部礼司」なんかは、イベントに2万人集まったといいます。
ある程度予算もあり、大手企業が全面的にバックアップしてくれれば、ラジオはまだこれぐらいのパワーはあるということでしょう。(「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー」も、なかなかいい味を出しています。)


とはいえ、これからラジオはどういうイノベーションを図ることができるでしょうか。
ラジオが新しく持ったツールといえば、radikoであり、ケータイによる全国のFM放送の聴取であり、インターネットによる再送信であり、V-low帯を使ったデジタル放送ということになるでしょう。
さて、ここからどんなイノベーションが生まれるのか、次回はそのあたりを。



シリーズ ラジオの生きる道(2)

ラジオの生きる道、私はツイッターで、ラジオ=老舗の店舗という考え方を提起しました。
まずは、そのツイートを時系列的に並べてみることにします。


「ラジオの生きる道」をずっと考えている。一つの考え方として提起しているのが「ラジオ局=老舗の店舗」だ。老舗と呼ばれているお店を少し考えてみよう。商品には自信を持っている、そこに伝統の重みも加わる。老舗としてのブランド力も盤石。格式も高い。だが、新しい客からは微妙に敬遠されている。

posted at 21:18:12

老舗の店は考える。これからどうやって商売を続けて行こうかと。先代から語り継がれて来た商法を捨てることもできない。今までの客は、今も喜んで店に来てくれる。若者に変に媚びるようなことはやめてほしいという声も多い。だが、今までの客は年とともに老い、客としての価値もなくなっていく。

posted at 21:20:42

老舗の店は、もはや時代には合わないという声が生まれ、それを継承するものにはプレッシャーが加わる。もう、昔の商売のやり方ではだめだ。では、どんな商売のやり方があるのか。商品を新しく開発すべきなのか。今までの商品は時代に合わないと考え徐々に捨てていくべきなのか。

posted at 21:23:06

で、老舗の店にある人はこう囁く。こういう商品を売ってくれれば、金を出しますよ、と。もはや、今までの商品では、お客さんは減る一方じゃないですか?そう言われて、その商品を売る。過渡的に金は入ってくる。でも、その商品を売ることによって、従来の顧客からはクレーム。何て下品なと。

posted at 21:25:35

老舗にはブランド力がある。それもそのブランドを支える商品、あってこそ。それが粗製乱造の商品に代わってしまえば、確実にブランドは毀損される。お宅も変わりましたねえ・・などと嫌味を言われる。かといって、過去の商品には若い人は飛びつかない。どうバランスをとるか、経営者の課題だ。

posted at 21:28:10

老舗の部分をラジオに変えてもらえればいい。ラジオはもはや老舗の持つ悩みを抱えている。売上を維持するためには、本来売るのを躊躇していた商品、例えばラジオショッピングとかレスポンス広告とか、それに手をつけるしかない。だが、老舗のブランドは少しずつ汚れる。 それは誰もが気づいている。

posted at 21:30:51

ラジオという老舗の店は、従来のリスナーには辛うじて支持されているが、新規の顧客からは魅力を感じられていない。何が面白いのかと思われている。老舗でいえば、そんな古くさい商品を並べて、店に入る気になれない、という感想。あるいは敷居が高いという感想もあるだろう。

posted at 21:32:59

ラジオという老舗は、商品を抜本的に変えることはできない。今までそうしてきた、それを変えるとなると、色んなところから反発が来る。このラジオ局を作ったのは私だ。私が目の黒いうちはそんなことはさせない、というOBも多い。ゼロから作り直すなんて、考えられないというのがラジオ局の現状だ。

posted at 21:35:40

ラジオという老舗は、それゆえ巨木が少しずつ朽ち、傾いて行くようにしか今後も存在するしかない。自らの力で一から状況を変えるのは夢物語だ。過去の華やかな時代を再現することはない。商品を変えれば、もはや過去は蘇らない。 ラジオには、バラ色の未来はない。ラジオ=老舗論の結論だ。

posted at 21:38:23

ということで、のちほど、ラジオ=老舗論のツイートをまとめてブログにあげるつもりだ。とにかく華やかな過去さえ求めなければ、老舗はその暖簾を守りながら今後も存続はするだろう。とはいえ、もはや老舗を有難がる時代ではないというのも、悲しいかな、事実なんだろうな。

posted at 21:41:15

ラジオが老舗という名のブランドに胡坐をかいているのか、それともそのブランドが重すぎてもはや思考停止にならざるを得ないのか。
一度、老舗という衣を脱ぎ捨て、自由な発想で一からビジネスをやり直すかしか方法がないのかもしれない。
とにかく、一つの比喩としてラジオ局=老舗論を書いてみた。
次回は、第一回目に提起した、ラジオとイノベーションについて書いてみる予定。