カテゴリー : 2012年 3月

シリーズ ラジオの生きる道(1)

3月半ばを過ぎました。
このシーズン、ラジオ局は4月改編でバタバタしている時期でしょう。
終わる番組をどうソフト・ランディングさせ、新しい番組をどうやって軌道に乗せるか、一人一人のスタッフが一番頭を悩ませている頃です。
しかし、それ以上にラジオ局が頭を悩ませるのが、この年度の売上がどうなるかだと思います。
とにかく、ラジオは前年比90%そこそこで推移してきているのが現実。
これを続けていけば、そのうちになくなってしまうのは素人でも予測のつくことです。
反転攻勢なんて勇ましい言葉で社員を鼓舞されている局もありますが、所詮カラ元気なんて自嘲的に言う局員の方もおられます。
とにかく、ラジオ業界、バラ色の未来を語る材料は乏しい、夢を見たいと思っても、その夢には光り輝く黄金はかけらすら登場しません。
どうしたらいいのだろう、何かいいアイデアはないですかね、と真顔で尋ねられるラジオ局の役員の方もおられます。
聞く相手を間違っていませんかという気分ですが、溺れる者は藁をもつかむという心境なのでしょうか。


そういうわけでというわけでもないのですが、しばらく私もない知恵を絞ってこれからの「ラジオの生きる道」を考えることにしました。
そんなにすぐに答えを導き出せるとは思えませんが、何かの参考になれば幸いですというところでしょうか。


今のラジオ界に足らないものは何かと聞かれて即答できるのは、「ラジオが今何を見せることができるか」への努力が感じられないことだと答えたいと思います。
つまり、ラジオからは何も見えない、という率直な感想を持つからです。
もちろん、ラジオは聞くものであって見るものではありません。
でも、例えば私がいたFM局が一番話題になった頃は、ラジオを通して多くのものが見えました。
見える、想像を喚起すると言い換えてもいいかもしれません。
それほど、ラジオから想像を喚起するメッセージが伝わってきたということですし、FMに関しては、FM雑誌という強い味方もいました。
新聞には「FMウィークリー」という見開きのページがあり、レコードジャケットから見えてくるアーチストのビジュアルイメージがFMラジオを補完していたと思うのです。
つまり、ラジオはそういう多くのメディアによって見える部分を補ってもらっていたのです。
それは、ラジオ局が自発的に作ったものではありません。
ある部分は、広告代理店が作り上げたものかもしれませんし、新しいメディアを支える媒体のイノベーターによって演出されていたのかもしれません。


ラジオを支持するイノベーターの皆さんが、大きな枠の中でラジオに自分の思いを乗せた、だから、ラジオは人々の思いに一番親和性があると私は考えます。
テレビは、こういったイノベーターの方との親和性はさほど大きなものではないと思っています。
テレビとはある意味結果のかたまり、それに比べてラジオは常に何かを生み出す過程と考えれば、その機能はわかりやすくなるでしょう。


昨今、ラジオは衰退している、それはとりもなおさず、従来ラジオを支えていたイノベーター層が離れてしまった結果と言えるのではないでしょうか。
ラジオは自分たちだけで自立していたのではない。
欠落しているビジュアル部分を、別のメディア、あるいはイノベーターが埋めていたのだと考えてみてはどうでしょうか。
今、そういうものは何もラジオにないのです。
インターネットというビジュアル部分を補うメディアが生まれているのに、それを活用できるラジオ局はほとんどない。
ラジオ局側にイノベーションがない、とにかくその言葉につきるのです。


ということで、ラジオに必要なものは、「見える」ということと、それに連関する「イノベーション」です。
ラジオは放送を始めれば自己完結すると考える放送マン、意外に多いのです。
宣言しておきます。
ラジオは自己完結しません。
自分たちで考え、自分たちで編成し、自分たちで放送を売れば、ラジオはこれからも生き延びられるなんて考えは「幻」です。
あるいは、かげろう、逃げ水。
自分たちの放送が、どうリスナーに見えているのか、スポンサーに見えているのか、一般の人々に見えているのか、まずそこから始めなければ、未来はいつまでも見えません。


私は、本当の意味で「見えるラジオ」「ラジオのイノベーション」について考えてみたいと思います。
シリーズ「ラジオの生きる道」、しばらく続くと思いますが、どうぞお付き合いください。



3/11 私の教訓

今日は3月11日。
あの未曾有の災害をもたらした東北大震災から1年たった日です。
私は3/11の地震が起きた時は、東京タワーで行われる予定のセレモニーに行くため、地下鉄大江戸線に乗っていました。
新宿の都庁前まで後1分というところで、いきなり電車は急停止。
車内放送で、大きな地震が来ます、そのため電車は停止しますとのアナウンス。
その直後、電車は大きな力で左右に揺さぶられはじめました。
私は一番後部車両に乗っていたので、窓から地下道の模様が見えます。
トンネルがぶれるというのでしょうか、相当の激しい揺さぶられ方です。
私は、阪神大震災にも遭遇しています。
その時も、とんでもない揺れ、経験したことのない、周波数の高い縦揺れ、何だこれは、これはやばい!と心から恐怖しました。
今回の地震はそれに比べれば横揺れの部分が大きいので、あの時の恐怖は生まれませんでした。
むしろ、これは大きい、多分どこかの震源地に近いところでは、もっとひどい状況が起きているのではという予感がしたものです。
揺れは2分程度続いたでしょうか。
車内の乗客は誰ひとり動きません、誰ひとり声を発しません。
私は、あまりの揺れが長いので、「ちょっと長いですねえ」と声をかけました。
でも、誰も答えませんでした。
声が出なかったのでしょうか、ほとんどの人が携帯電話を見つめていました。
こんな地下じゃつながらないよと思うのですが、それが皆さんには唯一の安心できる画面だったのでしょう。
二人の作業服を来た人が、携帯電話をいじりながら、「どこかで地震があったらしいよ。」と言って、前の車両へ移って行きました。
あの人たちは何だったのか、何故電話を受けられたのか、今もよくわかりません。
しばらくして、揺れはおさまり、また車内放送で、「近くの駅までゆっくり進みます。」とアナウンス。
1分あまりで都庁前着。
私は、急いで電車を降りようとすると、車内の人、誰も降りようとしません。
え?どうして?何故降りないの?
途端に、発車ベルが鳴ります。
まさか、あんな地震の後に、何事もなく発車するの?おかしいだろそれ、と思いました。
でも、わかりました、自動的に発車ベルが鳴るようなシステムになっていて、それが作動しただけです。
こんな時に駅員さん、そこまで気が回らないのです。
あんな揺れの後、電車を動かすわけはない、なのに、この乗客の皆さんは何を期待して電車の中にいるんだろう?
まるで、あの時にすぐには津波から逃げなかった人たちと、どこか共有する心理みたいなもんがあるのかもしれません。


私は動くはずのない電車を離れ、さっさと地上へ向かいました。
とにかく、外で何が起きているか気がかりだったのです。
そして、階段を上へのぼっている時に二度目の揺れ。
そこからは、西新宿の高層ビルが少し見えました。
建物は揺れ、何かが落ちる音がします。
「ウォールが落ちているので、上に行かないでください。」と警備の方に制止されました。
私は、都議会棟の地下から外を眺め、一体何が起きているのか、動かぬ頭で考えました。
そうだ、とりあえずツイッターをチェックしよう、何か情報があるだろうと思ったからです。
ツイッターには、混乱が渦のように溢れていました。
事務所にいたスタッフからもダイレクトメッセージがあり、「事務所やばいです。机や荷物が散乱しています。とにかく危険なのでひとまず撤収します。」と書いてありました。
都議会棟にある献血センターへ行くと、テレビが表に置かれていて、多くの人がそれを見ていました。
テレビはとにかく叫んでいました。
お台場から火の手があがっています!震源は東北の沖です、震度は7です、余震に気をつけてください!
もちろん、この時は津波の情報はありません。
それに接したのは、新宿から私の事務所にとりあえず、歩いて戻ってからでした。
西新宿周辺は人であふれていました。
そして、一番目立ったのは、何と外国人の方。
多分、ツーリストの皆さんだと思います。
とにかく、これからどうしていいのか、電話は通じないし、交通手段はすべてストップ。
もちろん、私にも情報があるわけではありません。
辛うじて、ツイッターによる皆さんの書込みがあるだけです。
それでも、しばらくすると何となく事態を掌握できるようになります。
何故、西新宿の公園周辺に人が多いのか。
それは、そういう指示が出ているからだそうです。
とにかく、人をどこかに集めようとしている、分散されているよりは連絡がとりやすい、そう思ったのかもしれません。
私は、迷わず、スタッフが危険だと言った事務所に帰ることを優先しました。
歩いて30分くらいですし、道はウォーキングなどで日常的に歩いていたルートなので、途中で何かあっても土地勘が働きます。
西新宿にいても、これといってメリットはありません。
道路は少しずつ混み始めていました。


その後は、夜遅くまで混乱が続きました。
山手通りは人が黙々と北へ向かって歩き、事務所のある早稲田通りには西へ向かう人の波。
道路は外へ向かっては、車は全く動きません。
雨こそ降りませんでしたが、まだまだ寒い夜です。
事務所は、確かに机が倒れ、備品がいくつか砕け散っていました。
使えなくなった電子機器もいくつかありました。
事務所はビルの10階にあるのですが、エレベーターは3日間動きませんでした。
店からは水が消え、何故かヨーグルトも消えて行きました。
そして電気も・・・。


あの大震災は、阪神大震災以上の被害を与えました。
しかし、その被害の大小よりも、人々の心に与えた心の傷はどちらも軽くはありません。
正直、私も地震の被害には、絶望的な感想を持っています。
どちらの地震でも、私の関係者の係累の方が多くなくなっています。
家の下敷きになって亡くなった方が目立った阪神、そして波に流されて亡くなった方が目立つ東北。
東京に直下型地震のおそれとマスコミは喧伝するようになっています。
だからと言って、私に、私たちに何をしろというのか、何もできないではないか。
一つ言えることは、私は次の震災が起きても、何となく勘は働きそうな気がします。
2度あることは3度あるなんてことわざなんかに惑わされず、自分にできることを無理なく行うことができればそれでいい、後は神の御加護を祈るだけです。


皆さまも、お気をつけていただければと念じてやみません。



思い出したこと

前回まで、色々代理店のことについて書いてきたのですが、ちょっと腹立たしかった私の思い出をここに述べてみます。
私の腹立ち日記の一つです。


営業外勤の時代、私はあるクライアントに会社から売れと命令されていた番組をプロモードしていました。
私の担当していた中堅広告代理店と組んで話をしていました。
ある時、定例の営業会議の席上で、営業次長がその番組についてこう言いました。
「おまえら、これぐらいの番組、売れないのか、俺には実は隠し玉があるんだ、これぐらいの仕事をしろ。」と胸を張って言いました。
営業課長もその隠し玉を知っているみたいでした。
どうも、ある大手の広告代理店から、決まればお願いしますと言われているようでした。
もちろん、彼らはクライアントの名前を知りません。
ただ、OKが出れば即連絡しますと言われているのでしょう、会議ではそれ以上言いませんでした。
ところが、その会議が終わるころにいきなり電話が入り、そのクライアント決定という通知がなされたのです。
その時、初めてその名前がわかりました。
何と、私がプロモートしていたクライアントだったのです。


私は、クライアントの社長の友人が大手代理店の営業マンだということは聞いていました。
しかし、番組といっても、それほどの費用がかかるわけではない番組だったので、まさかそんな大手代理店が強奪するとは思ってもいませんでした。
こうなると、私と一緒にプロモートしていた中堅代理店の立場がありません。
何しろ、最初にこの番組の企画を持ち込んだのは、確かにその代理店だったからです。
当然、ラジオ局としては、最初に話をしてくれた代理店を優先するのは当たり前です。
ところが、私たちに「俺は隠し玉を持っている」と豪語した次長は、すでにその大手代理店から情報を受けていたわけですし、会社としては、今更そんな話は聞いていないとは言えなくなりました。
バカな次長です。(課長も知っていたのですから同罪ですが)
その話を私に伝えていれば、そこの代理店の誰それさんは、私のクライアントの社長の友達でよく飲んだりしていますから、こういうジャンルのクライアントじゃないでしょうねと用心のため確認するようお願いしたはずです。
それを己の功を焦って、秘密にしておくなんて・・・。


中堅代理店の媒体担当の方は怒りました。
放送局は、私たちを無視して、大手の横槍に屈服するのかと。
怒りはもっともです。
私は、別に自分の落ち度ではありませんから、何てことしてくれたんだ、この中間職制どもはと呆れておりました。
しかし、その後起きたことに、呆れが怒りに変わりました。
何とこの職制ども、悪いのはすべて私だ、私がちゃんと担当の代理店に対応できなかったからこうなったのだと責任を転嫁したのです。
悲しきサラリーマン根性です、自分が代理店から聞いたことを私に伝えなかったという落ち度を認識もせず、一人悪者にしてしまうのですから。


最初は、私は自分が一方的に悪者になっていることには気づきませんでした。
とにかく、何とか私の代理店の怒りをなだめ、その結果を中間職制ではなく、営業部長に報告した時、「おまえ、今回お前がやった失敗の責任を感じているのか。反省したのか。」と偉く叱責されたのです。
私は思い切り叫びました。
「私が何をしたというのです。第一、そんな報告を部長にしたのは誰ですか。私は全く知らなかったことです。担当代理店に状況を説明するのは私の仕事ですが、それもとにかく伝えてくれと上司が言ったからじゃないですか。何故、私の責任になるんですか!」


代理店の話だけで仕事をするな、ちゃんとスポンサーの話も聞いて来い、と会議のたびにそう繰り返した中間職制、それなのに、結局やっていることは代理店の話を鵜呑みにして、俺には隠し玉がある、なんて愚かな発言をする。
繰り返します、今も腹立ち気分は抜けていません。
こんな奴らに、営業時代、色々悩まされていたかと思うと、自分があわれで仕方がないというのでしょうか。
ああ、度しがたきサラリーマン根性どもめ。


などと、書いてしまいました。
営業時代の腹立ち話、本当はもっとあるのですが、他の方に迷惑がかかるといけないので、様子を見ながらということで。
ま、それも又人生なのでしょう、今更怒る話でもありませんしね。