カテゴリー : 2012年 6月

㈱radikoの黒字化

文化通信によると「(株)radikoは11年度決算で黒字化した。」らしい。
14日の株主総会で発表したというのだが、さてこれをどう評価したらいいのだろう。
企業の決算が黒字というのは、誰が考えても万々歳なことだ。(粉飾決算でない限り)
だが、ラジオ局側からするとすこし複雑かもしれない。
何しろ、㈱radikoの売上は、どう考えても参加各局からの会費だからだ。
最新資料によると、現在参加局65局+放送大学。
まあまあの売上、まあまあの黒字額(多分何千万ぐらいかな?)ではないだろうか。


とはいえ、文化通信にはこんな記事もある。
「在京ラジオ6社11年度決算、赤字4社に増」
在京6局というのは、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、エフエム東京、J-WAVE、RFラジオ日本のことだろう。
2/3のラジオ局が赤字、なのにradikoは黒字、う~ん、これをどう考えたらいいのだろう。
radikoには今のうちに力をつけていただいて、ほんとにラジオの経営が苦しくなったらそこで全部救済していただければ幸甚です、ともいえないこともない。
要はradikoと今のラジオ局が、win-winの関係になれるようなビジネスモデルの創出である。
一方が集めた金から利益を出し、一方が存続が危ぶまれるとなったら、ラジオ局は何をやっているかわからない。
もちろんradiko側から見ても同じ。
自分たちが毎年赤字で、ラジオ局側がそれで黒字になったとしても、そんな関係は長続きしない。
さて、そんなwin-winなモデルは生まれてくるのだろうか。


先日、ある人からお聞きしたところ、「シンクロアドという、ラジオCM(音声)とシンクロ(同期)して、radiko.jpの聴取放送局の画面上にバナーが掲出される商品が売りに出されている」らしい。
詳しいことは、徐々に人口に膾炙するだろうが、肝はその値段がユーザーの人数と時間の掛け算で決まることのようだ。
これをTET(テット/time exposed to target)と呼び、GRP的に使えるものになるらしい。
広告効果が数量化され、その価値が実態的に明らかになるというのは、ラジオ業界にとっても好ましいものかもしれない。


しかし、手段がどれだけ高度化されても、肝心なことはそれをラジオ局側が使いこなせるかどうかだろう。
ラジオの商売は基本的に今まで通りでいい、それに付加的にradikoによって価値がアップすると思うから我々は参加しているのだと考える局も多いのではなかろうか。
本当にどれだけの人がラジオを聞いているのか、そんなものを明らかにしたいとはラジオ局側は思っていないという人もいる。
大体、テレビ局の視聴率だって怪しいものだ。
視聴率50%というお化け番組と言っても、実際に2人に1人が見ていたということを実証した局は一つもないと。
これは私もそう思う。
街を歩いている人に、実際に見たかどうかも追調査するべきだと思うが、そんなことすれば数字が小さくなるのはテレビ局の人間なら本能的にわかっている。
サッカーの試合が30%を越えた、井岡の試合が20%を越えた、それでいいのである、余計な詮索をされたら迷惑がられるだけだ。
ある意味、戦争中の大本営発表にのようなものである。
都合の悪い情報は開示しない、視聴率なんか気分の問題であり、みんなが見ていますという指標として広告業界の人間が思ってくれればそれでいいのである。


さて、radikoの話にもどる。
本当の数字なんか要らない、USTREAMのような今何人アクセスしていますなんて数字、絶対にいらない。
自信があるない以前の問題。
悪い数字が出てイメージダウンするリスクを考えると、そんなもの公にするなんてバカのやることとしか思えないようだ。
リアルタイムに聴取率を競って、その数字でリスナーに遊んでもらう企画なんて、恐ろしくってどこもやらないだろう。
ラジオって、本当は自由競争なんかしたくないのではと思うことも多い。
みんなで護送船団方式的にwin-win的な経営をこれからも続けて行きたいのではないか。
何しろ、国から頂いている電波を共有し合っている仲だ。
新しい勢力が入ってきそうなら、団結してそれを追い返そうというギルド的な性格をもったラジオ局連合である。


ということで、radikoの黒字、ラジオ局の赤字というアンバランスが生まれ始めた2012年である。
これからそれがどう推移するか、興味を持って見守って行きたいと思う。



音楽業界のジレンマ

改正著作権法による「違法ダウンロード刑事罰化」というニュースがネットを賑わせている。
TBSラジオの「dig!」、NHKの「NEWS WEB24」でも、津田大介さんをゲストに呼んで、その問題点を議論していた。
何と、国会ではほとんど議論もないまま5日間で成立してしまった。
津田さんも、こんなことをすれば音楽をネットで聞こうとするファンが減少するだけだと慨嘆されていた。
ネットで音楽を聞かなくなるということは、音楽そのものを聞かなくなるのとイコールだ。
それでもいいのか?音楽業界、今日はそんな話をしてみたい。


私が唖然となるのは、業界が違法ダウンロードによって損害を受けた、その額は7000億近いというプロパガンダ。
違法ダウンロード回数に正規の値段をかけると7000億弱になるそうである。
逸失利益だというのだが、何だよそれというのが正直な感想。
CCCD騒動の時もそうだった。
若い子は、CDを買わずにCDRに次々と焼いてそれをみんなに配っているのだと。
その証拠にCDRの売れ行きが半端ではない、これを何とかすべきだ。
だから、コピーが制限されるCCCDの導入。
その結果、何が生まれたのか。
CDを買う人が大幅に減った。
そんなCDもどきを買わされるぐらいなら、そんな音楽は聞かないというユーザーが増えたのだ。
ある意味、ユーザーを覚醒させた、CDを売っている連中は自分たちのことしか考えていない。
ユーザーがどれだけ不便を感じていても、それを甘受して当然だと言うのだ。
自分たちのやり方で音楽を聞け、そうしない奴は泥棒予備軍みたいな言い様。
そりゃ、音楽業界への信頼感は持てなくなるだろう。
そんな連中のために金を払うのは馬鹿らしい、多くのユーザーがそう思い、その結果CDの売上はどんどん落ちて行った。
違いますか?


CCCDで懲りたはずの音楽業界なのに、言っていることは相変わらず。
今売上が減っているのは、ネットの所為だと決めつけている。
違法ダウンロード、まあ、それを言われれば誰だって反論はできない。
違法なのだから、それを正しいという言論人はいない。
ただ、みんなどこかで思っているはずだ。
ネットで音楽を聞くのがそんなに悪いの?
ネットでしか音楽を聞かない人が増えているのに、一体どうやって新曲の情報を得よというの?
皆が皆、TVを見ているわけじゃないし、ラジオを聞いているわけじゃない。
音楽雑誌なんか、見たこともないという音楽ファンも増えているのだ。
頭の中が、昭和なのである、業界人は。
ネットですべてを完結させている音楽ファンに対して、業界はどう付合おうとしているのか、それが感じられない、ネットだけで音楽を聞くな、CDを買え、その情報はテレビを見ろ、ラジオを聞け、か。
自分たちがハンドリングできているメディアは許せても、ブラックボックスなネットは許せないのだろう。


でもね、考えてもごらんよ。
CDの売上が音楽業界のすべてなの?
私の子供の頃、多くの人気歌手が生まれ、その歌はみんなが覚えて歌ったりしたけど、レコード自体の売上は数万程度だったじゃないか。
ラジオで聞いた曲を覚えた人が、みんなに教え、のど自慢大会などで発表し、歌声喫茶などで一緒に覚え、バスガイドさんが歌い、またそれをみんなで覚え、ヒット曲は多くの人の記憶に刷り込まれていった。
だから、少し前のヒット曲はたいてい歌える、歌えなくても全体的な雰囲気は覚えているというのが普通だろう。
今のヒット曲とやら、いったいそういうスパイラルがどれだけ生まれているといえるのか。
だから、ほとんどの人は、オリコンチャートの曲を歌えない。
タイトルすら知らない、でも、この人が今人気なんですとテレビで言われ、そんなものなのかなと無理やり納得しているのにすぎない。


かつてヒット曲が生まれる時に、レコード会社はどれだけ儲かったのか?
レコードだけじゃ、大したことはなかったはずだ。
今ほど著作権がどうとも言わなかったし、それが金に換わるとも思っていなかったのかもしれない。
何しろ、ラジオで曲を流しても使用料はとられなかった。
使用した曲のレコード会社(レーベル名)さえ最後に言えば、一円も徴集されない。
多分、これも宣伝の一つだと思ったのだろう。
だが、アメリカから音楽出版権がどうのこうのというビジネスモデルが入ってきて、音楽界の事情は変わって行った。
今は、音楽の枝葉末節まで権利権利でがんじがらめ。
CDバブルの頃に、その枝葉末節がすべて金に換わったため、それが既得権化し、今に至っている。
CDが売れなくなれば、枝葉末節にぶらさがる連中が困るのである。
都合の悪いものはすべて排除する。
何がネットだ、この泥棒猫!という悪罵中傷とともに。


カセットにラジオからエアチェックした音楽の数々、あれは何だったのか。
あれが許されて、ネットで音楽を交換しあうことが何故そんなにダメなのだろう。
音楽を聞く習慣が変わってきている以上、それに合わせたビジネスモデルと言うのがあるはずだ。
それが、違法ダウンロード刑罰化の延長上に見えているのか。
ラジオ業界と一緒だ、手垢のついたビジネスモデルに固執するなかれ。
客は確かに文句は言わなくなるだろうが、急速に音楽市場から消えていくだろう。
それを恐れないのか、音楽業界は。


長くなった。
私もアイドルビジネスに少し参画している状況なので、身勝手な業界の論理がどうしても気になるのだ。
角を矯めて牛を殺す、そんなことにならないように自戒してほしいと強く望む次第。



ラジオの周辺

radiko関連で書いたツイート。
自分でも納得したので、再掲する。

小さな火種から、ビジネスとして燃え上がることもある。ラジオの世界に今必要なのは、衰退をただ見守るのではなく、そこからまた別の不死鳥が生まれることを願うことだ。ラジオが好きだという人の気持ちを大切に考えれば、今のような制作費カットの結果をさらすような番組を続けていいわけがない。

「制作費カットの結果」が今のラジオなのである。
私から見れば、もはやサブカルをフォローする余裕も失っている気がする。
制作者側に思い入れがないと、サブカルを盆にのせることはできない。
カルチャーを追いかけるだけでは、ラジオは確実にテレビに負ける。
カルチャーを内包するムーブメントを自ら醸成する気構えがないと、サブカルの宣教師とはとても言えないだろう。


で、ふと考えた。
今のFMのリスナーって、何を求めて聞いているのだろう。
私の時代、FMは新しい音楽をリスニングルームに招いてくれる正真正銘のサブカル・ツールだった。
洋楽の世界では独断場。
すべての情報はFMを通じて流れてきたと言っても過言ではないだろう。
じゃ、今のFMは何で目立っているのか。
何にもないんじゃない?
音楽のゲストは確かにAMよりは出てくる。
TFMの全国ネット番組(JFNの白ネットに出てくるアーチストもそうだが)、アーチストのDJ番組が目白押し。
だけど、リスナー、本当にそれを聞きたいと思っているのか。
アーチストの世間話を毎週聞きたいと思っているのか、桑田さんにしても松任谷さんにしても。


もはや名前が売れてしまった人の話、それを毎週聞きたいという人、あまりイノベーター層にはいないと思う。
沢田研二さんが言っていたけど、「ぼくのファン、別に新しいことを聞きたい人なんていない。ただ、ぼくが今何をしているか知りたいだけなんだ。」ということ。
時代に敏感に対応している人は、アーチストの日常なんてどうでもいい。
その人が次の時代に向かって何をしようとしているかを知りたいだけなんだ。
ただ、同じような日常が続いているだけなら、何の興味も浮かばない。
悪いけど、アーチストの大御所と言われる人はほとんどそれ。
Fmに毎週出て、何かを喋っていたとしても、その言葉が何かを生み出すこと等、本当に稀である。
ちょっとは政治的な発言でもすれば、またそれを盛り上げようと言う人がいるかもしれないが、今時だれが、民主党くそったれ!などと叫ぶだろうか。


ラジオに出てくるアーチスト、君たちは今何を語っているのか。
新人アーチストとして、DJのよいしょを受けている君たちにとって、今ラジオは何を伝えることができているのか。
残念ながら、今のラジオは次の時代を作り上げるポテンシャルを持たない。
ベルトコンベアーにのった素材をいつもの工程で処理し、その作業に対する報酬を得ること以外、何もできない。
今のラジオには志がない。
志を持つスタッフを育てはしない。
金になることを行い、それを回収するだけ、果たしてこれでジャーナリズムと言えるのか。


ということで、今日もひとしきり、ラジオ業界をぼやいてみた。
かつてのラジオの時代を担った一人として、最近の風潮には望みを失うばかりである。