カテゴリー : 2012年 6月

radikoのある生活

今日は、難しい話はやめ、radikoが私の生活にどれだけ入りこんでいるかを書いてみようと思います。
私は、今大阪にいるのですが、ブログを書くまではradikoでTBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」を聞いておりました。
プロバイダが東京認識のため、大阪にいても東京の放送が聞けるというわけです。
おかげで、クリアな音でTBSの「dig!」やNACK5の「STROBE NIGHT!」などを聞くことができます。


大阪の放送をradikoで聞くかと言われると、MBSラジオは時々聞きますね。
いつのころか、クリアに普通のラジオで聞けなくなったんですね、MBS。
まるで、遠いラジオを聞いているみたいにフェージング現象が。
周波数周辺に雑電波が増えたのでしょうか。
そういうことで、土曜日の夜はiPhoneを持ち出し、ウォーキングがてら「さんまのヤンタン」を聞いたりしています。
音はクリアなのですが、通信環境が3Gなので、場所によっては切れてしまう。
また、いきなりカットアウト。
ネット環境に左右される状況なので、どうしてもフラストレーションが起きてしまいます。


radiko、どうやればネット環境で音がぶつ切れにならないようにできるか、安定した受信が可能か、色々と課題は多いのではないでしょうか。
ビジネスにするには、安定したサービスの提供が必須です。
ネットがビジー状態では、聞く方の生活の中にすんなり入ってきません。
まだ、途切れないだけ電波の方がまし、そう思われないよう、工夫してもらえればと思います。


radikoではないですが、NHKのらじる★らじるもよく聞きます。
AMもFM同じ並びにあるのは便利ですね。
番組内容もわかりやすいので、ちょっと贔屓してしまいます。
悪いですが、radiko、各局の宣伝画面が鬱陶しい。
今放送している画面を出すべきでしょ、それを見て聞こうかなと思うこともあるはずだし。
電通さんに言われたとおりにしているのでしょうか。
何が何でも、radikoの客をとりこもうというハングリー精神を感じないんです。
多分、ついでにやっているという意識から離れられないのでしょう。
radikoに資材を投資するという話、あまりラジオ局側から聞こえてきませんし。


とにかく、早くradikoはエリア制限を解除してほしいですね。
地域の人々に情報を発信するという考え方ではなく、インターネットユーザーを新規に取り込むという発想が必要なのではと思います。
だいたい、最近のラジオ、ネット番組がますます増えつつあり、東京のローカル放送が全国に流れているだけという印象が強まっています。
地域の情報を発信しているのは事実ですが、その割合減り続けているんじゃないでしょうか。
売上減→制作費カット→ローカル番組減→地域情報の発信機能低下。
これからは地方の時代と言われ始めて久しいですが、ラジオの世界は中央集権が強化されていませんか。
金がなければ、情報発信なんか無理なのはよくわかりますが、その金をかせぐために、インターネットユーザーそのものを相手にするという発想も持つべきだと思うのです。
それができなくて、東京の局に吸収されるならそれも仕方がないでしょう。
今までと同じような待遇を維持するために国家的規制を続けろでは、産業自体がスパイラル的に発展することはありません。


radikoの商売のやり方、ネットを基本とすればいくらでも考えられるはずです。
何故、過去のビジネスモデルの構造を温存し、新しいモデルの構築を拒否するのでしょう。
エリア規制の解除は蟻の一穴だと思っているのかもしれませんが、あなたはそれで自分の会社人生を終えることができても、後から来る世代には何も残りません。
確かにradikoには破壊的イノベーションが内包されています。
それを恐れる前にすることがあるはず、そこで流動性(カオス)を作っておき、その中で未来を考えればいいのではないでしょうか。


とにかく、レッセフェールな環境になれば、多くのネット社会のイノベーターがradikoから派生するアプリを考えてくれるはず。
ラジオは本来無料という考え方から発しているのですから、ネットとは適合するはずなのです。
現行のラジオヒエラルキーは維持できなくても、ラジオという世界は生き残れるでしょう。
抵抗する人は、ただそのヒエラルキーを守りたいだけなのではないか、私はそう思うのですが、実際はどうなのでしょうね。



radiko ~破壊的イノベーション

今日の朝日新聞朝刊のコラム「経済気象台」は「破壊的イノベーション」を話題にしていた。

米国の著名な経営学者クレイトン・クリステンセン氏は、イノベーションには2種類あると言っている。一つは通常の持続的なもので、もう一つはこれまでの産業を覆すような破壊的なものである。

日本では、変化を嫌悪する組織の力が強烈なため、破壊的なイノベーションが抑圧されているとこのコラムは書くのだが、それが結局停滞を産むのだとも指摘している。
ここでは、その例として、原子力村のために新エネルギーへの投資ができなかったこと、医療業界でネット販売を阻止しようとすること、ウィニー事件のためソフト開発が停滞したことなどをあげ、「既得権を持つ業界の無言・有言の圧力に、秩序維持を目的とした法執行機関が敏感に反応し、社会の進歩を阻止してしまう」とも書かれている。
アメリカでは、破壊的イノベーションが経済を成長させているのに、日本はそれを許さないため衰退はますます加速するのだという。


わがラジオ業界でも同じような状態が生まれている。
せっかくradikoという新しいツールがラジオを活性化させる契機を与えようとしているのに、ラジオ局側はそれを抑制的にしか使おうとしない。
ラジオは県域で免許が下りている。
ネットも同じようにしろ、などという要求はイノベーションを拒否しているとしか思えない。
時代を進めさせる力は破壊的イノベーションにありという考え方は、インターネットによるIT革命によって否定することは難しくなったようだ。
今のままであり続けるためには、変わらないといけない、それも劇的に。
だが、ラジオ業界はそれに抗う。
ソフトランディング以外は認めない、今のままを前提に、新しい技術をそれに合わせるべきだと。


radikoは持てる力を発揮できる場を奪われ、ただサイマル放送のツールとしてのみ存在を許されているかのようだ。
音質がよければ使命は事足れりというのが、業界のコンセンサスなのだろうか。
radikoのユーザー側のメリットは音質だけではない。
それがデジタルであるがゆえに、ハンドリングがしやすくなるということがずっと重要なのである。
番組の録音、音楽のダビング、情報の検索など、デジタル化されたものを核とした利便性は格段に上がるはずである。
要は、そういうサービスを提供する気持ちがラジオ局側にあるかどうか。
ラジオがただradikoになっただけでは、今までラジオのユーザーでなかった層を新しいユーザーにすることはできない。


radikoはラジオ2.0と考えるべきだと私はこれまでにも指摘してきた。
ある意味、破壊的イノベーションのツールとしてradikoは機能すべきなのだと私は思う。
ほっておいたら、衰退するしか未来のないラジオである。
少々破壊的であっても、その未来をradikoの自由使用に託すべきだと私は思うのだが、いかがだろうか。


radikoの話は、今回はこれぐらいにして、今日の日経ビジネスに掲載されていた「NOTTVはテレビ村の掟を捨てられるか」という橘川幸夫さんのコラムにも注目してみた。
NOTTV,前にも書いたが、NTTdocomoが領導するVHF帯のhighバンドを使ったマルチメディア放送である。
日経ビジネスとしては、クライアントでもあるNOTTVをぼろかすに言うわけにもいかないので、適当に言葉を濁しているが、早い話、今のままではNOTTVは失敗しかねないというのが結論のように聞こえる内容だ。

評判は散々である。「モニター当たったけど、つながらない」「コンテンツが貧弱すぎる」。ネットには不満があふれていて、相当きついスタートをしたようである。

多分、状況はradikoと同じということかもしれない。
破壊的イノベーションを内包しない状況では、新しいビジネスモデルを作ることはできないという指摘なのである。
ハイライトは次の部分だ。

しかし、AKB48とプロ野球を番組編成の中心に置いてしまうような旧式テレビ業界の発想は、いくら資金を投入しても解決できる問題ではない。根本的なところで「テレビとは何か」「インターネットとは何か」「インターネット時代のテレビとは何か」という問いかけからスタートしない限り、旧来のメディアの二番煎じか、予備軍にしかならない。

確かにこう言い換えても通用するだろう。
「ラジオとは何か」「インターネットとは何か」「インターネット時代のラジオとは何か」という問いかけからスタートしない限り、旧来のメディアの二番煎じか、予備軍にしかならない。
いずこも同じ秋のゆふぐれなのである。
同病相哀れむかな。
長くなるので、この続きは又次回。



再び radiko!

驚いた、Yahoo!の見出しにradikoのニュースが。

「radiko.jp」月間ユーザーが1000万人突破 開始から2年で~。

これはITmedia ニュースから。
他にもImpress Watch、CNET Japan 他のニュースサイトでも取り上げられている。


ニュース・ソースは㈱radikoがリリースしたこちらの報道資料による。
詳しいことは資料にアクセスしていただきたいが、主な項目を簡単に箇条書きにすると。


1.4月の月間ユニークユーザーが、開始から2年で1000万人を突破(1046万人)、
2.聴取ツールのダウンロード数は、ガジェット(PC用)が約400万DL、スマートフォンアプリが約500万DL
3.平均週間延べ聴取回数は約700万回前後。


増えた理由を㈱radikoは、震災以後ラジオの価値が高まったこと、参加局が増え配信地区が広がったこと、スマートフォンが普及したことをあげている。
最初の震災云々とradikoの相関がそんなにあるのか、何のデータも示されていないから断言するのはどうかと思う。
参加局が増え配信地区が広がったというのは、それによってユーザーが増えるのは当たり前なので、誇るべきほどのことではない。
最後のスマートフォンの指摘はその通りだろう。
タブレットPCの普及も同様、radiko側としては、この降ってわいたような千載一遇のチャンスを逃してはいけないと思う次第。


以上は、radikoがんばれ!という話だ。
radikoを評価している私としてはあまり批判的なことはいいたくもない。
ただ、その前にちょっと心しておきたいことがあるので、幾つか指摘してみようと思う。
まず第一、1000万ユニークユーザーを過大に書きたててほしくないこと。
これでは、人々はradikoを実際に使ったことがある人が月に1000万人いたと信じてしまうだろう。
1ユニークユーザー=1人ではない、それは報道資料にも書いてある通り。
「一人の方が複数のデバイスを利用した際は、それぞれのデバイスで1ユニークユーザーとカウントします。」と小さく表記されているはず。(もっと大きく書け!というクレームも来そう・・)


ちなみに私はradikoのヘビーユーザーの一人。
で、私はradikoのガジェットやアプリを東京と大阪に置いてあるPC2台とiPhoneとiPadとPCモバイルの計5台にインストールしている。
つまり私1人で5ユニークユーザーというわけだ。
家のPCと会社のPCとスマートフォンで聞いているという人もいるだろう。
1000万ユニークユーザーという言い方は誤解を受けると私は思う。(最初から誤解させようとしたという人もいるかもしれない、何しろネットでは最近ステマがどうこうとうるさい人が多いから。)
本当のユーザーは何人なのか、そんなことネットのトラフィックを見るだけでは正確にはわからないといっていい。
また、わかる必要はないと私は思う。
何しろ、radiko自体が商品ではない、それは単なる無料のツールで、それ自体が金と引き換えられるわけではないからだ。
ユーザーが何人いるからどうという話ではないというのは、自明ではなかろうか。


問題は何か。
データとして重要なのは、ユニークユーザーの数ではない、リアルタイムのアクセス数なのだと。
放送局ごとのリアル・データ、番組ごとのリアル・データ、どういう人がどういう番組をどういう頻度で聞いているかなどの個人データなどだ。
それがわかればクライアントにとってはラジオを広告媒体として利用するかどうかの判断材料になるだろう。
ipV6を使えば、よりデータの精度は大きくなるのではと私は思う。
もちろん、しばらくはラジオのリスナーの大部分は非radikoユーザーだろう。
それが多数派になれば、もはや聴取率調査は不要になり、無駄なスペシャルウィークもなくなるはず。


エリア制限をなくせというのも、ラジオ局の自由競争が活発になるきっかけだと思う。
そんなことをすれば地方局が潰れると言う人もいるが、それは今のまま続けていても同じことだろう。
キー局のようなものが全く存在しないコミュニティFMだって、苦労しながら何とかやっているではないか。
それより規模の大きい地方局にコミュニティFM局以上の経営ができないはずなかろう。
これまでのビジネスモデルでは続かない、それはもはや各局のコンセンサスではなかったか。
だから、新しいビジネスモデルを模索するということで、V-Lowマルチメディア放送とかradikoに投資をしようとしているのではなかったか。


さて、radikoはとにもかくにも、ユニークユーザー1000万というマイルストーンは達成した。
問題は山積だが、そこには別の可能性も見え始めている。
報道資料の最後にも次のような希望が語られている。

今後も、ラジオの「聴取機会の拡大」や「難聴取の解消」を目的とした『radiko.jp』は、情報過多の中で、言葉、音楽、スポーツの感動を通して、人の心を動かし、想像力をかき立てる音声メディア(=ラジオ)の存在意義をより高めるために、聴取環境を整え、ネットとの連携によって、引き続き、新しいラジオの楽しみ方を提案し、『radiko.jp』ユーザー(=ラジオリスナー)を拡大し、ラジオの媒体価値の向上を目指します。

その言や良しということで、とりあえず今日はこのあたりで。