カテゴリー : 2012年 7月

シリーズ 東京一極集中の功罪~マスコミ編(9)

地方の情報は一度東京のフィルターを通さないと全国に流れない。
多分、日本のマスコミはそういう形で全国ネット体制を作ってきたのだと思います。
というか、東京のマスコミに載せることがまず第一。
東京人の知らないことは、存在しないも同然と言う人さえいます。
東京人の知っていることは、全国の人間が知っているものと考えていいとも言います。
知らないの?田舎ものだね~。
完全に人をバカにしたような言い方が、この国では通用するんじゃないですか。
地方人、特に東京にバカにされたくない思っている人は、知らないことは許されない、東京で流れたニュース、情報は地方に住んでいても知っていないといけないという強迫観念を持っているような気もします。


東京にどっぷりつかったマスコミ人(地方出身者)に、私は色んなことを言われてきました。
例えば、全国ネット番組の視聴率。
広告業界的には、視聴率は東京だけでいい、それで全国を考えてさしつかえないと。
例えば、大阪だけ10%そこそこでも、東京が20%を取っていれば万々歳なのだと。
東京で話題になればいいのです、大阪ではあまり知られていなくても、そんなものは無視していい。
全国の人が知っているのだ、大阪人が少々知らなくても、大勢に影響はない。


こんな発想するの、多分東京人だけですよ。
最初から大阪を無視するのなら別です。
でも、それなら全国ネットにする必要ない、大阪だけ外していればいいのです。
全国ネットなのだから、当然大阪を入れる、なのに、視聴率のことは東京で十分だというのはどういう発想でしょうか。
東京から流せば、無条件で全国に伝わるという神話が存在するのでしょう。
前にも例に出しましたが、特番で番組対抗のバラエティを作る時、何故か東京ローカルの番組まで出演したりします。
私がプロデューサーなら、全国ネットで東京ローカルの番組を流しても、東京以外の人はシンパシーを持てないし、中味をとりあげてもピンと来ない、だからリストアップから外そうと提案するでしょう。
でも、そんな斟酌、東京人は多分しないでしょう。
東京ローカルは単なる地方のローカル番組ではない。
全国に通用するコンテンツなのだ、また地方の視聴者も見たがるはずだ、何しろこれは東京の人気番組なのだ、知らなかったら、この番組を見て勉強すればいいのだ、と言わんばかり。


私、細かいことにこだわっているつもりはないですよ。
それならそれでいいんです、私も今や東京在住24年で、そう考える制作者が存在することに拘泥はしません。
ただ、この発想、ひょっとしたらおかしくないか?と、ちらっとでも頭をかすめてほしいと思うわけです。
逆の立場に立ったら、何かわけのわからないものを押し付けられているのではないか、そういう感想を持ったりしませんか。


平成元年に始まった番組、いかすバンド天国(通称イカ天)、あの番組も完全な全国ネット番組ではありません。
大阪でも、全く放送されておらず、イカ天と言ってもほとんどの人は知りませんでした。
でも音楽業界的にはもりあがったため、イカ天バンドというのが次々に生まれ、全国的な話題になりました。
東京にいて、支社制作番組を量産していた私は、当然ながらイカ天バンドをからませて番組を作ったりしたのですが、本社からは、イカ天なんか知らないよ、知っていて当然というスタンスで番組作るな、とクレームを受けたりしました。
また、私がプロデュースして大阪城ホールで「ロックサーキットin大阪城ホール」というバンド総出演のイベントを実施したのですが、イカ天系のバンドはほとんど受けていませんでした。
8000人のお客さんがいたのですが、大トリのカブキロックスが出てきたときには1000人ほどに減っていました。
リーダーの氏神一番は大阪出身で当日はご両親もお見えになっていたのに、大阪のファンはほとんど帰ってしまったのです。
多分、イカ天から出てきたバンドに対し、あまりいい感情を持っていないというか、そんな大阪で流れていない番組でブレイクしたからといって、何のシンパシーも感じていませんよという意思表示だったのかもしれません。


大阪本社の人間からも言われました。
「大阪の客なめたらあかんよ、何でも東京でブッキングして、それ持ってきたら大阪人も納得するだろうと思ったら大間違いや。」
弁解に聞こえるかもしれませんが、そんなこと私は百も承知だったのです。
だから、イカ天色が出ないように色々努力し、プロデュースしたのに、イベント実施1ヶ月まえにそれを土台からひっくり返されるような事件が起きたのです。


実は、このイベント、あるバンドの大阪凱旋公演というのがメインでした。
そのバンドの名前は、ラフィン・ノーズ
大阪で結成された伝説のパンクバンドです。
それが1987年の日比谷野音でステージ前でファンが将棋倒しになり、死者まで出ました。
おかげで、彼らはしばらく謹慎。
そして、1989年になって活動再開となり、じゃあ大阪凱旋公演を大阪城ホールでやろう、きっと大阪のファンは待っているはずだと考え、提案した物件だったのです。
だから、当日のファンの半分以上はラフィンのファンになる、それにイカ天バンドも加えれば、そこそこ盛り上ったライブになるだろうと考えたのです。l


でも、その夢は打ち砕かれました。
イベントを1ヶ月後に控えたある夜、居酒屋で人と談笑しながら、NHKのニュースを見ているといきなり衝撃的なテロップが。
「ロックバンドのメンバー、新潟で暴行事件」
ラフィン・ノーズのギタリストが新潟の飲食店で酒に酔って、居合わせた客を殴り、暴行の疑いで逮捕されました・・・。
ガーン!です。
何てコトをしてくれるんだ~、お前たちの晴れの舞台が台無しじゃないか~。
考えていたこと、すべてパーです。
クライアントにも出演中止を伝えないといけないし、メンバーをもう一度組みなおさないといけない。
ほんと、このイベントはラフィンのために考えたんだ、その主役がいなくなって、ほんと何てことしてくれたんだ、客を殴るんだったら、イベントが終わってからにしてくれ~。


以上、言い訳でした。
今も思い出すたび、青くなるできことでした・・・。
ということで、話がそれてしまいましたが、東京一極集中の話、気をとりなおして又次回。



シリーズ 東京一極集中の功罪~マスコミ編(8)

東京一極集中の功罪と題して始めたこのシリーズですが、理屈ではなくなるだけ私の経験を交えた状況説明を主にしております。
何故東京一極集中化したのかを考えると、やはり中央集権国家、地方分権、効率化などの話をしないといけませんが、個人的にはそういう言葉がいまひとつピンと来ません。
道州制とか大阪都構想なんて話は聞きますが、具体的にどうなるのか皮膚感覚でわからない。
最近の橋下市長も維新の会も、下手をすると集団ヒステリーみたいになってきているので、あまり近寄りたくないですね。
文楽に対して発する言葉は、庶民感覚としては理解できるところもありますが、伝統文化を冒涜しているのではと誤解されます。
その勢いで、茶道や華道、舞踊に謡などの家元制度も批判すればいいはずなのに、そういうのはノータッチ。
宗教団体にも、言わないといけないこと一杯あるはずです。
でも、そういう固い岩盤があるものに対しては、あまり何も言わない。
全権を掌握したら、ぶっ潰してやる、のでしょうか。
小泉さんもそんな発想されていましたが、結局は途中で放り出されてしまいました。
この道は、いつか来た道~♪ にならないことを祈ります。


さて、マスコミの中央集権化について。
実は、私が若い頃は、マスコミはこんなに東京一辺倒ではなかったような気がします。
関西のラジオ局、どこも大阪発のイノベーションを起こすような番組が次々に生まれていました。
東京では、「オールナイトニッポン」「セイヤング」「パックインミュージック」が有名でしたが、大阪ではほとんど話題にされませんでした。
何しろ、朝日放送「ヤングリクエスト」毎日放送「ヤングタウン」ラジオ大阪「大阪オールナイト」KBS京都「ハイヤング11」というのがあり、相互に切磋琢磨して若者を取り合いしておりました。
名古屋に「ミッドナイト東海」というのがあり、森本レオという名前を初めて聴き、一部でヒットした「親父にさよなら」(1970年)を不思議な感じで聞いたのを思い出します。


つまり、東京の深夜放送が盛り上ろうと盛り上るまいと、大阪や名古屋ではそれとは関係なく大きなブームを起こしていた、イノベーションが起こっていたのです。
これを東京の目からすると、地方にも深夜放送が生まれていたが、東京の3局が本格的に若者に深夜の時間を開放したことにより、それが全国に波及していったということになるようです。
つまり、東京が主導することによって文化として洗練されたのだと言わんばかり。
言っておきます、大阪のムーブメントは東京とは関係がありません。
大阪の若者は、別に大阪の深夜放送で十分だったのです。
それ以外のものがほしいとは思っていなかった。
それぐらい、関西という土地は次々と新しい若者文化を生んでいたのです。


フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」、東京では「オールナイトニッポン」で大々的にかけてヒットし、話題になったのだと言われています。
しかし、昨年でしたか、ANAの機内放送「オールナイトニッポン クラシックス」(DJ:斉藤安弘)に北山修さんがゲスト出演し、オールナイトニッポンでヒットしたという話をあまり肯定的には語っておられませんでした。
そりゃそうでしょう、その前に関西では、大ヒットしていたのですから。
元々、ラジオ関西の深夜放送でかかったものを口コミでどんどん広まり、他の局も何とか音を手に入れてバンバンかけた。
おかげで、毎日、どこかのラジオ局でかかっていました、フォーククルセダーズが何者か全然わからないままで。
すでに話題になっていたものを、東京で取り上げたからといって、ヒットさせたのは「オールナイトニッポン」だと言われても、「へ?何言ってんの、あんた」になりますわね。
このあたりの関西人の違和感を東京人がわからない。
受益者のくせに、何を供給者の顔して上座でふんぞりかえっているんだと、東京の態度に不快な気持ちを持って当然じゃないでしょうか。


東京は常に供給者、地方を受益者だと勘違いしているのです、多分。
だから、大阪が供給したものも、東京を介してこそ全国に広がったと言い換えてしまうのです。
何故、そうするかって?
そりゃ、供給者でいたほうが儲かりますからね、大阪が供給者になったら、その分儲けが減ります。
儲けは東京に集める、それがこの国がある時から強化した方針です。
そのあたり、どうもピンと来ないと思われる方も多いと思われますので、次回にもう少し詳しく書くことにします。



シリーズ 東京一極集中の功罪~マスコミ編(7)

東京一極集中の功罪シリーズ、反応される人が多いです、何かみなさん、どこかでそう思っていたのかも。
何故、こんなに東京一極集中が注目されるのか、多分、その弊害が最近顕著になっているからではないでしょうか。
確かに効率的なんでしょうね。
情報をすべて東京に集中させ、そこで処理したものを地方に流す。
そうすれば、管理がしやすい、地方も東京から流れてくるものを受けていればビジネスになるわけですから。
ただ、この流れに欠落しているのは、地方で日々生きている人たちの生活感覚が抜け落ちることです。
地方の人は東京の情報だけで生きているわけではないのです。
生活感覚として受け入れている日常は、東京が象徴しているものの中には必ずしも存在しないと考えるべきではないでしょうか。。


FM大阪とTFM(JFN)のことについては、「シリーズ ラジオの生きる道(18)~ネットワークとFM大阪」にも書いていますので、ご一読いただければと思います。


いくつかの指摘を受けています。
例えば、大阪でも東京の番組を歓迎する人は増えていると。
中途半端な番組を大阪局が制作するなら、話題になっている番組を聞かせろという声ですかね。
実は、私は大阪にいる時、夜の10時台はTBSラジオの「dig!」を聞いています。
プロバイダ的にradikoで東京の放送を聴ける設定なので、家にいれば問題なくTBSが聞けるからです。
大阪には、こういう社会問題をサブカル的に話題にするラジオは寡聞にして知りません。
外でウォーキングしている時は、雑音まじりでも聞こえる時は聞いています。
基本的には、NHK第二放送を聴きながらエクササイズをするのですが、今は10時台はほとんどTBSですね。


そういうこともありまして、ご指摘の通り、MBSがTBSラジオをネットしてくれればいいのにと思わないでもないのですが、一番望む事は、大阪のMBSも「dig!」のような聴き応えのある番組を作ってくれることです。
競争というか、切磋琢磨して、より人々を啓蒙する番組を作ってほしい。
誰でもが簡単に作れるような番組を、放送ジャーナリストが制作してほくないのです。
素人が作れる番組をプロが作るようになったらおしまいです。
放送マンの矜持、大阪のラジオ局に是非見せてほしいものです。


それと、大阪の局が過度に全国のネットワークにとってマイナスになる動きをしがちではないかという指摘もありました。
私もTFMの人からよく言われました。
FM大阪の人は、何かと言えば大阪は違うと言われる。
JFNの一員なのだから、ある場面では、それを自覚して発言してほしいと。
これは難しい面もあるのです。
会社としては、JFNの利益=FM大阪の利益ではありません。
むしろ、大阪の独自色を出したほうが、差別化できて売りやすいのです。
FM802、まさしくそれだったでしょ。
大阪にはこんな力がある、東京のクライアントもこの大阪の力(=FM802の力)を使えば、こんなに全国的な展開ができると訴えました。
それは、成功しました。
東京のマーケットを分っている人が、FM802の戦略をそう作ったのです。
これは、やはり東京にいて、東京のマーケット志向が何となく理解できるようになった私には合点が行きました。


JFNに埋没するのではなく、大阪を主張した方がいい。
東京という市場で、FM802と対決する、それぐらいの気持がないと負けるだけだというのが私の意見でした。
でも、FM大阪の人間はあまりにも無知だったのです、多分。
802のやり方を大阪人の発想と同じだと思ったのです。
早い話、自分たちと同じだ、大して変わらない、そんなとんでもない発想を持っているはずがない、所詮、後発局、簡単に実績のある我々を抜けるはずがないと。
同じではありませんでした。
マーケットをよくわかっていました。
東京での展開の仕方は、ニッポン放送のノーハウを借用したようですし、音楽業界へは大きな影響力を持つ人材を数多く内部に持っていました。
東京にいて思いました。
勝つわけないじゃん、これでは、と。


大阪にいると世界が見えなくなるのでしょう。
私、東京から細々と警告はしたんですよ、でも、誰の耳にも届かなかった。
その頃の話、このブログを開始した2011-10-02の「私はいかにしてプロデューサーになったのか(第3回)」にも、FM802を敵に回して孤軍奮闘する東京支社の私のことを書いています。
おヒマな時にお読みください。
では、また次回。