カテゴリー : 2012年 8月

シリーズ 東京一極集中の功罪~番外編・2

キーステーション云々に関して、コメントをいただいてから色々考えることがありました。
それは、コメントへの返信にも書いていますが、私はこの番組はネット番組であり、どこが制作しているかに関しては言った方がいいのかもしれないと思ったりしました。
今、話しているあなたは、どこの誰ですか、どこから放送しているのですか?
そういう情報があった方が、リスナーにとって放送している模様がイメージしやすいかもしれないな、と。
で、思いだしたのですが、私がとった方法は、葉書の宛先を番組の制作局(私の場合はFM大阪)にしたことです。
宛先は、お聞きの放送局の○○という番組あてとしても良かったのですが、葉書の到着にタイムラグが生じるので、すべて制作局宛てにしました。
ファックスの宛先は、これは仕方がないというか、すべて大阪の電話番号なので、リスナーにはどこが制作しているかわかります。
メールとなれば、アドレスに放送局名が入りますので、自動的に制作局に行くことになりますね。


さて、問題はここです。
このように、リスナーに対しその宛先で自分たちの場所を説明しているのに、何故にわざわざ「この番組は、何々をキーステーションにして全国の皆さんにお送りしています。」と言うのかということ。
TBSの「dig!」は、リスナーの意見を交えながら進めますから、常に電話、ファックス、メール、ツイッターを明示しています。
その上に、「キーステーション」と言うのは何の意味があるのでしょう。
私はこれを自分たちの存在誇示、あるいは権威付けと解釈してしまうわけです。
私は、自分の番組では、決してキーステーションという言葉は使いませんでした。
そんな大層なものじゃないという気もあったし、それを使ったからといって、何かいいことがあるわけでもない。
慣用句として使っているのだとしたら、そんな言葉に意味はないから使わないと思ったわけです。
3年ほど前に、私のプロデュースで「吉川ひなのLIFE with PET」というネット番組をFM大阪キーで制作しましたが、その時にも「キーステーション」という言葉は使っていません。
で、ひとまずこう結論づけたいと思います。
東京の局は、「キーステーション」という言葉を比較的使いたがる、それに意味がある、リスナーも知りたがっていると判断している、と。


日本の7放送業界には、キー局、準キー局という言い方があります。
一般的に言って、キー局は全国ネットワークを持つ東京局を指していますし、準キー局は大阪、名古屋の全国にネットする番組を制作している局を指しています。
ラジオの場合もほぼ同じ、FM大阪は準キー局などとおだてられたりしています。(実体が伴っているようには見えませんが)
キー局、すなわちキーステーション。
東京の放送局が、「なんとかをキーステーションに」というのは、自分たちがキー局であるということを日々再確認しているのではないでしょうか。
準キー局なんて、早い話キーステーションそのものじゃありません。
電車でいえば、急行と準急は扱いが違う。
ひどい私鉄になると、準急とは名ばかりで普通電車が止まる駅を3つ4つ通過するだけなんてのもあります。
大体、準キーなんて名称、外に対して主張するものじゃありません。
キー局は、その名称自体にブランド価値が存在しますが、準キーなんて「キー局のパチモン」じゃないですか。
パチモンを有難がる奴の気が知れない。


そういうことで、私がキーステーションという言葉を使わなかった理由、何となく御理解いただけるのではと。
使う奴も気にくわなければ、例えキー局の立場に立ったとしても、態々使う言葉じゃない、自分を落し込めるだけだと。
ま、私のちっぽけなこだわりです、皆さまお見通しかもしれませんが。


FM大阪に文句があるとしたら、その準キー局様、本社にネットワーク担当部署を持っていないんですね。
全国38局の現状を把握している部署がないのです。
タイムテーブルを整理もしていない。
日々のつきあいも薄いし、ややこしなくなったら東京支社に一任したりする。
何かあったら、半蔵門のFMセンターに行けば、全局支社をかまえているから聞きにいけばいいというスタンス。
長い間、FM大阪は銀座周辺に支社を置き、JFNとは距離を置いていたこともあり、結局準キー局としての機能はあまり果たしていなかったような気がしますね。
今は、TFMに経営権を押さえられていますから、仕方なく半蔵門に移転しましたが、そうなったら地方のFM局は経費削減でどんどん支社機能を縮減、あまり情報を収集する場としては使いにくくなりかけているようです。


そのうち、地方局の支社機能は、すべてJFNが担当することになりそうな感じもします。
実質的に、TFMのブランチとして全国のFM局が統合されてしまう日が来るのかもしれません。
もはや、地方のFM局は、赤字基調で推移する運命から逃れられない。
東京一極集中がどうのこうのと言う前に、地方だけでは生きていけない時代に入ってきたというのが実情かと思われます。



シリーズ 東京一極集中の功罪~番外編

今回は、東京一極集中に関して、若い頃に思った違和感などを書いてみたいと思います。
別に、マスコミが東京に集まり、そこから情報発信しようとそれ自体をどうこう言うつもりはありません。
それが合理的だとほとんどの人が判断するなら、私もあえてそれに抗おうという気になれません。
別に、私にとって損得がそこに存在するわけではないのですから。
やはり東京生活24年になると、考え方も少し中央よりになるというか、東京からの発信で全国に伝わるならそれが一番いいのではと思わないのでもないのですから。


さて、では私の違和感とは何か。
それは、私の学生時代にさかのぼります。
御多分にもれず、私もまた学生運動にまきこまれ、何度か東京の集会に動員されたりしておりました。
何かの抗議集会だったでしょうか、ある東京の学生(出身は知りません)が、次のような言葉でアジテーションを始めました。
「本日の集会に結集した、全都、全国の学生諸君!」
はあ、何それ?
何が全都、全国の学生諸君だと思ったわけです。
わかりますか、この言い方変じゃないですか。
全都って何よ。
全東京と言う意味なのか、じゃ、東京の学生だけが相手?東京の集会に来るのは千葉も神奈川も埼玉の学生もいるでしょう、それ無視?
しかも、これ元々全国集会でしょ、何故全都なんて枕詞をつけないといけないの?
何か、反体制のくせに、権威主義に陥っていない?東京が何物にも優先する、全国なんてその付属物だと。


ひねくれているかもしれないですが、この言い方にすごくひっかかりました。
全都、全国の学生諸君!というアジに対して、「異議なし!」と叫ぶ学生連中に私は一人、「異議あり!ナンセンス、ナンセンス!」と叫んでおりました。
多分、田舎から東京に出てきた連中は、東京のやり方をまねるのに一つの美意識を持つんだろうなと思いました。
正直、そんな連中らと団結する気、なくすよなという気分です。
イデオロギー以前の問題でしたね、私には。


東京のやり方に合わせることこそ、至高の美意識なのでしょう。
言葉もそうですし、ファッションも、考え方も。
東京イズナンバーワン、東京に同化した自分も、ナンバーワンの存在だとでも思うのかもしれません。
もちろん、ずっと東京に育った人間はそんなこと思わないでしょう。
至高も何もそれしか知らないし、また東京をそこまで美化もしないはずです。


大阪人は東京に来てもなかなか同化しないといわれていますが、根本的に東京こそナンバーワンだと思っていないところがあります。
だから、東京を無条件にまねたりしません。
もちろん、それが価値あると判断できるものは評価します。
何が何でも大阪が一番なんて思いません。
ただ、それおかしくない?ということには、当然ながら強く反応します。
何で東京ではこんなルールがはびこるのか、悪いけどその事に関しては、大阪の方が合理的だと思うことも少なくありません。


放送業界での違和感、それは今日もTBSラジオ「dig!」で繰り返されていました。
それは次のようなフレーズ。
「この番組はTBSをキーステーションにお送りします。」
もちろん、これはTBSだけではありません。
TOKYOFMもしょっちゅう、「TOKYOFMをキーステーションに全国38局をネットしてお送りします」と言いますし、ニッポン放送も「ショウアップナイター、ニッポン放送をキーステーションに全国の皆さんにお送りしています」などと繰り返します。
何なのでしょう、このセリフ。
何を誇らしげに言っているのでしょう、キーステーションと。
それ、言わないといけないのですか、ステーションコールみたいに。
誰かからクレームでも来るのですか、どこがキーステーションかを明示しないと。


私も、FM大阪時代、何本かの全国ネット番組を担当しました。
でも、一度たりとも、「この番組はFM大阪をキーステーションに~」などというメッセージは入れませんでした。
何故か?どう考えてもそれを言わないといけない必然性を感じなかったのです。
また会社からも、その表現をしろとは一度たりとも言われませんでした。
どこの放送局が作ろうと、私たちは皆さんに対して放送をしている、一人一人に対してメッセージを送っている、だから、私たちは、皆さんが聞いている放送局の人間でもあるのだという気分でした。
なのに、東京の局は、キーステーションにこだわるのです。
私たちは皆さんが今聞いている局の人間ではありません。
何と東京というナンバーワンな場所から皆さんに語りかけているのです。
わかってますか、私たちは東京人です、そう思って、ありがたく私たちのメッセージを受け取ってくださいね。


正直言って、私にはわからない。
何故、キーステーションがどうのこうの、なんて態々言うのだろう。
違和感、本当に色々あります。
でも、あまりそればかり言いすぎると、本質が見えてこなくなるから、とりあえず番外編として書いてみました。
まだまだ言いたいことはあります。
しかし、そればかり書いていると、また「ル・サンチマン」かと思われて終わりでしょうから、今日はこれぐらいにしておきます。
また次回。



シリーズ 東京一極集中の功罪~マスコミ編(10)

多分、今回が一番皆さんからの反応が多いシリーズのようです。
私の意見を肯定する方、否定される方、それぞれとても参考にさせていただいています。
最高にこたえるのは、私の意見はもう前の世代のそれで、今の若い世代は、そこまで思っていないという指摘でしょうか。
確かに、若い世代が何を考えているのか、これは分りにくいですね。
何しろ、彼らにとっては私はオッサンでしょうし、それとやはり適度な距離をおいてのコミュニケーションしか成り立たないので、私から、~についてどう思う?と聞いても、本音が返ってくるかどうかわかりません。
ま、そのあたりは、実際の若い人からの返事を虚心坦懐に待つしかありません。
そういうことで、私の偏見一杯の東京一極集中論を続けます。


一極集中という概念は、「独占、同質性、中央集権」と言う言葉で語られたりします。
これと対極するのが、「競争、多様性、地域性」という言葉です。
ある人たちは当たり前のように、東京に集中するのは当然だ、このシステムによって日本の経済も文化も発展してきたのだ、今更そこから引き返すことなど考えられないと言われます。
しかし、それは「独占、同質性、中央集権」を国是としてきた結果であり、それゆえに地方は疲弊し、国としての競争力は減退し、また商品の多様性が求めらるようになった今、その対応に追われているというのが、日本の現状ではないかと思うのです。


東京を通して、同じもの、同じ考え方を流していく、そしてそれが最高のものであるという意匠を付与した結果、地方の文化が育たず、若者を地方から更に東京へと移動させる結果になっているのではないでしょうか。
しかし、現実はそれが少しずつほころび始めています。
「独占、同質性、中央集権」のマスコミ的権化である、新聞、テレビなどのマスメディアが、長期に低落していく傾向が顕著になっています。
もちろん、マスコミ各社には依然大きな蓄積と政治的な影響力がありますから、その傾向を制度的に止めようと色々画策はします。
しかし、従来のような上からの政策(東京のコントロールセンターからの情報発信)だけでは、情報の流れを制御できなくなりつつあります。


言うまでもなく、その役割を担っているのがインターネットを初めとするICTというインフラ。
情報はどこからでも発信でき、どこにいても受けられるようになりはじめています。
東京というコントロールセンターは、今後それほど必要とはされなくなるでしょう。
むしろ、1つのところに集中するのではなく、幾つかのところに分散するのが合理的であるといわれています。
構造がいきなりがらっと変わるというのは、革命でも起きない限り無理ですが、底部ではじわじわと流れが変わりつつあるというのが現状でしょう。


イノベーター的な発想で言えば、「東京至上主義」はもう古いのです。
いわゆるフォロワー層は、皆さんおわかりのように、そう簡単には動きません。
既得権を持つ人たちは尚更です、そんなイノベーションを必死でつぶそうとするかもしれません。
しかし、底流としては、今の新聞のあり方、テレビのあり方、私が育ったラジオの世界も、新しい年を迎える度に少しずつ変化しているのを感じます。
特に、最近の放送業界の四月や十月改編。
変わるたびに、シュリンクしています、制作費のカットはラテ欄の紙面からもわかります。
金がかかっているかどうか、業界の経験があれば一目瞭然。
新聞もまた同じ。
広告の質を見れば、もはや過去の栄光はないと痛感してしまいます。


テレビが何とか売上を維持している、その一つの要素であるテレビショッピングというインフォマーシャル番組、どうも規制される方向にあるようです。
そりゃそうですよね、あれはどう考えてもコマーシャルです。
いくらそれを見て買う人がいたとしても、多くの人にとっては番組ではありません。
何故、そんなものに国民の共有財産である電波を独占させる必要がありましょう。
それこそ、インターネットでおやりなさいよ、国民が本当に望んでいる電波の利用法はもっと他にあるはず。
それのパブリックコメントでも集めるべきです。
大学などの研究機関は、もっと電波の利用に対して提案を行なうべきです。
「独占、同質性、中央集権」ではない、「競争、多様性、地域性」を、より深化させるために。


と、今回は一般論を少し書いてみました。
別に大阪がよければそれでいいとは思っていませんよという私の自己主張とお考えいただければ幸いです。