カテゴリー : 2012年 9月

ラジオの入口

ラジオのことを色々書いてきました。
ふと、思いました。
今のラジオの未経験者たちは、どの入口から入ってくるのかと。
私の時代には、家にすでにラジオがありました。
そのラジオを通じて、日常にはない娯楽が身体の中に取り込まれていくのがわかりました。
音楽、笑い、人々の心、正直とても楽しい時間を与えてくれました。
ラジオの入口は家の中にあったのです。


今、ラジオは家の中にあるのでしょうか。
入口がなければ、誰も新たに入ってこられません。
また、入口を探してまでも、その娯楽を享受したいと思うほどの影響力は今のラジオにはありません。
影響力があった時代、そうですね、例えばJ-WAVEやFM802が生まれた頃は、まだ十分話題性があったみたいですね。
ラジオが衰退した理由、やはりネットの時代になったからかもしれません。
若者たちの時間は、ケータイだったり、ネットだったり、ゲームだったり、私がラジオに使っていた時間は簡単にこれらに置き換わってしまいました。
音楽業界も同じような嘆きを表現していますね。
CDが売れなくなったのは、非合法にネットでダウンロードしているからだという声も大きい。
気持ちはわかりますが真実からは、ちょっとずれているような気がします。
じゃ、ダウンロードを規制したらCDが売れるようになりますか?
ますます音楽業界から若者たちが離れていくだけではないでしょうか。


ラジオに対して、若者たちが仲間意識を持っているか。
お分かりの通り、ラジオにシンパシーを持つ層は中年以上が大半です。
若い頃に入口を見つけ、そこから入ってラジオの世界を体験した層が今も固定リスナーとして支持してくれているのは事実です。
しかし、若者はその入口を意識することはありません。
入口がどこにあるかを考えることもしません、他のメディアで満足しているのですから。


ラジオはこのままだとリスナー層はますます高齢化し、衰退していくことは目に見えています。
どうやって若い層をつかまえるか、何かそんな努力しているでしょうか。
今までの客で何とかしのいでいる、ラジオショッピングなんかその典型。
多分、若い人はラジオショッピングなんか目もくれないと思います。
そこにイノベーションはありません。
橋下大阪市長的に言えば、ラジオなんか文楽と一緒。
新しい客をつかまえて、さらに発展していく努力をしているように見えない。
ま、文楽に関する私の意見は、橋下さんとは違いますが。


私がよく指摘する、制作費がないからと言って安易に東京からのネットを受け入れていいのかというのも、このラジオの入口を狭くしているのに等しいと思うからです。
東京のラジオを聞きたいとリスナーが望んでいるからネットします、なんて愚の骨頂。
新しいラジオファンをそれではつかめません、イノベーションのないところに若者が寄り集まるはずもなし。
とにかく、そこに何かわけのわからないもの、それでいて魅力的なものが、泉のようにあふれていればこそ、新しい人々は集います。
東京からのネット番組なんか、もはや陳腐なコンテンツです。
自分たちの住んでいるところから生まれてくるイノベーションこそ、若者たちが望むもの。
それが、全く発信できなくなった町からは、若者はどんどん逃げて行きます。
情報の過疎化は、町の過疎化につながります。


だから、自分たちの町を守りたい、ラジオに若い人たちがもっと参加できるようにしたいと思えば、情報を発信する場を常に持つことです。
その場を東京に渡している、それが今の地方ラジオなのです。
そんなこと言っても、我々には作る力も金もない、と保守的なことを繰り返していては、下方スパイラルは強まるばかりです。
とにかくラジオの入口を増やす、何故それができないのですか、地方のラジオ局、とりわけ大阪や名古屋の基幹局の皆さん。


そういえば、そのラジオの入口として話題になり始めているのがradikoです。
このブログでも何度か書いています、radikoはパソコンやスマートフォンというメディアを通じて、若者にラジオへの入口を明示しています。
何だろう、このアプリ、何だろうradikoって?
若者はそのアイコンに興味を持っているはず。
それは、ラジオという新しい世界への入口なのだと何故業界は主張しないのか。


radikoは、今のラジオをネットの世界に置いただけでは未来はありません。
もっと色々可能性があるはずです。
例え短期的に今のラジオ局に不利益であっても、イノベーションを通じて新しいラジオの世界を若者たちに体験してもらわないと、一体この先どんな輝かしい未来がラジオにあるというのでしょう。
地域制限という規制を緩和し、実際の聴取実体のデータを開陳し、競争原理の下でお互いに切磋琢磨する、その意欲が重要なのです。
何とか、自分が経営をやっている間はごまかしごまかしでも生き延びたいという発想はやめてほしい。


ま、これ以上は繰り返しになるからやめておきます。
とにかく、ラジオ業界の皆さん、ラジオの入口はどこにあるのか、まずそれをみんなで認識するところから始めてみませんか。
とにかく、自分がいる時だけ何とかなればいい、そんな人たちに経営を任せるのはもうやめませんか。



心に響く言葉~教育論

今日、ある人の言葉をリツイートしました。
ここにも転載させていただきます。

kentaro isaka ‏@isa_kent

子供が努力しないのは、努力が報われない社会だから。
子供が勝負しないのは、負けたら終わりの社会だから。
子供が信用しないのは、裏切るのが当然の社会だから。
子供が挑戦しないのは、夢を馬鹿にされる社会だから。
子供が成長しないのは、責任を押し付ける社会だから。

教育論の一つとしてよくわかります。
今の日本の社会は、努力が報われない社会で、一度でも負けたら二度と這い上がれない社会で、人を裏切っても平気な社会で、他人の夢を馬鹿にする社会で、自己責任とか言って、何でも自分の責任にされてしまう社会だということです。


もちろん、今の日本社会を簡単にこう言い切るのには私は賛成しません。
努力を正当に評価せず、他人の努力による成果を自分の成果だと言い募る連中も多いのは事実でしょう。
しかも、そういう奴ほど出世したりします。
努力するよりも、いかに要領よく振舞うかが大事だと彼らは言いそうです。
いい大学に行くには、試験をパスできるだけの要領を身につける~今の塾や予備校がやっていることですね。
努力は大事だが、それよりも要領。
そのノーハウを金で買う、家で地道に努力していては非能率な感じもしますね。
この社会、結果こそ全て。
その間の努力を評価するシステムは存在しないと考えたほうがいいのかも。
一人一人の心には存在したとしても。


負けたら終わりの社会、そういう緊張感はありますね。
実力さえあれば、あるいはアイデアさえあれば、それに投資する人がいくらでもいるというのがアメリカ社会。
日本は、そんな実体のないものに投資する人は少数です。
自分の財産をかき集め、政府系金融機関からやっと少しの融資を受けて、起業する人は増えています。
でも、私の見るところ、ほとんどが失敗します。
そして、その人達は傷つき、しばらく再起不能になったり、落伍者の烙印を押されて社会の外に排除されたりします。
彼の再起に手を差し伸べる人は少ない。
だから、最初からチャレンジなどせず、おとなしくサラリーマン(公務員)やっていればいいのにと、親御さんたちは嘆きます。
誰も助けてくれないし、負けたら終わりという現実を知っているからです。
本当に、その話を聞いて、子供たちが最初から勝負しなくなっているのかは何とも言えません。
しかし、世の常識はどこにあるかは、自ずと明らかでしょう。


裏切るのが当然の社会?いえ、ちょっと違います。
何かの拍子に裏切られる社会といった方がいいでしょう。
裏切られるのが当然と考えているなら、オレオレ詐欺に誰も引っかかったりしません。
おいしい儲け話に飛びついたりしません。
だまされる人々が、毎年何十万、何百万と生まれています。
人々は基本的に他人を信用しないわけではないことがわかります。
ただ、人を見れば泥棒と思えという教訓だけは言葉として知っています。
知っていても、行動とリンクしない。
人間とは基本的にそういうものです。
子供は信用しないかもしれませんが、大人になれば知らぬ間に信用してしまうものです。
信用のない社会には、正直とても生きていけませんからね。


夢を馬鹿にされる社会、そうですね、他人の夢を馬鹿にしないと自分が惨めな人が多いからではないでしょうか。
ドリーム・カムズ・トゥルー、夢はいつか叶う、その言葉、実は皆さん常に持っておられます。
夢を追い続けることができれば、それはいつか成就するものだ、問題はちょっとしたことに挫折し、その夢を諦めてしまうことだと思っておられるのではないでしょうか。
だが、無理な夢は所詮無理です。
夢物語という、御伽噺になってしまいます。
どうせ、できもしないのに夢ばかり追って・・・、でも、だからといって挑戦しなくなる子供が減るとは思えないのです。
自分の夢には挑戦する、でも人の夢は馬鹿にする、それも人の性でしょう。
皆からおだてられれば、夢のない子供でも木に登るでしょう。
政治家などを見ていると、そんな感じしませんか?


責任を押しつける社会、そうですね、イジメの問題でも、とにかく誰かに責任をとらせないと許さない風潮がありますね。
善意のある指導者は、進んでその責任を甘受しようとするのですが、実はそういう人たちに責任を押し付けてはいけません。
責任から逃げ回っている人、オレは関係ないと言い張る人、そういう人たちに限って、悪いのは誰それだと善意の人々を血祭りにあげます。
善意のある指導者を私たちはもっと擁護しないといけません。
じゃ、誰が悪いんだと言い募る人たちの言葉にひるむことなく、善意の人々を守りましょう。
私たちに必要な事は、善意の人々、弱者の立場に甘んじる人々を最後まで守り抜くことです。
それが、最終的に自分を守ることにもなると私は思っています。


さて、私の意見をとりとめもなく書いてきました。
それでも、最初にとりあげたツイートは貴重なものです。
実際に2万ものリツイートがされているということで、その反響はわかるでしょう。
子供が成長しないのは、責任を押し付ける社会だから~これからの日本が少しでも成長していけるように、私たちも責任をただ誰かに押し付けるだけではなく、今自分ができることを躊躇せずに実行する瞬発力を持ちたいものです。
とにかく、今日はダイアリーがわりに、思うところを書いてみました。