カテゴリー : 2012年 11月

蟷螂の斧というばってん

12月に衆議院選挙がある。
自民党と公明党の政権がまた生まれ、何故か残った民主党が連立するなんて言われている。
維新と石原慎太郎さんが合体し、メカロボがいきなり現れた。
で、この人たちが考えている日本の形態が何か恐ろしいというか、一緒にいたくないというか。
でも、日本という国で生活したければ、こういう人たちの支配の下で生きるしかないのかもしれない。
言っていることの中で、少しでもましな部分を選び出し、ああ、それなら仕方ないですね、よろしくお願いしますと頭を下げる。
上から目線の方々に対応するにはそれしかない。
まさか、反抗したら即逮捕ということはないかもしれないが、年金とか健康保険とか、いきなり剥奪されるかもしれないからね。


ある会社にあるとんでもない社長がおった。
自分の言うとおりにしない社員は罵倒し、思い通りにならなければバシバシ切って行った。
あげく、失脚。
当たり前だろ、オーナーでもない小物が虎の威を借りて何を馬鹿なことをするんだと思ったものだ。
ま、それはいい。
私が問題にしたいのは、その虎の威野郎のへいこらして、自分だけは何とか今の立場を守ろうとした連中。
おまえらが、もしその虎の威野郎に対抗していたら、救われた人々がどれだけいたことだろう。
救われなかった人々におまえらはどう向き合えるのか。
そうしないと、自分が救われなかったとでもいうのか。
自分を守るのか重要か、人を救うのが重要か。


すまない、人はみな弱者だと考えると、他人に覚悟を問うのは筋違いかもしれない。
わかるだろう、私が言おうとしていること。
宮澤賢治に「グスコーブドリの伝記」という童話がある。
自分の命を犠牲に、多くの人々を救う話。
自分の命と多くの人々の命が等価だと思えるか、普通。
多くの人々が命を失おうと、自分の命が残ればいいと思うのが人情ではないのか。
こんなのは、童話なのだから気にするな?


じゃ、この前の大戦で、死んでいった兵隊さんはどうなのか。
みんな、日本を守るために死んでいったと喧伝されている。
誰が、他人の命を守るために死にたいものか。
祖国を愛するがゆえ、そのために自分の命を捧げるのが尊い、そう信じなければ誰が二度と帰ることのない特攻の旅へ赴ける?
今、新しく台頭してきている勢力は、それをことさらに強調し、日本人ならああしろ、こうしろ、それができない奴は売国奴だ、チョンだ、チャンコロだと、恥ずかしげもなく吹聴する。
友達にはしたくない、変な比喩かもしれないが、「サウンドオブミュージック」で、トラップ大佐の長女の恋人がナチスの親衛隊になり、隠れているトラップ大佐たちを通報する場面を思い出す。
恋人よりも、祖国が大事なか、お前はと思う人と、彼のやったことは当然だと思う人。
下手をすると、後者が増えそうだ、これからの日本は。


ちょっと考えてみてください。
本当に大事なことは何なのか、と。
で、ここである人のブログを紹介する。
既に、ツイッターには書いたことだが、タイトルは「霞が関公務員の日常」
という。
その中の次の部分。

自己責任を強調して弱者保護を敵視したり、公共事業の大盤振る舞いをしたり、重々しい国家を前面に出して国民の忠誠を求めたり、毅然とした強腰外交一辺倒で戦争責任すら否定したり、そういう政治勢力が勢いを増していると感じるだけに、なおさら。

安倍自民党総裁が好きな「美しい国」という言葉が象徴的だと思います。 怠惰なホームレスやニート、国家権力を毛嫌いする自由人、意のままにならない外国、日本の過去の戦争責任は、日本国を統治する人の目から見て美しくはないでしょう。

そういう美しくないものを排除して、統一感ある美しい日本を求めるか、美しくないものを丸ごと飲み込んで、多様で猥雑で騒々しい日本を求めるか。 私個人としては正直、後者の方が好きなんですよね。

後者が好きとか嫌いとかいう問題ではない。
どちらが本当に人は幸せかということだ。
多分、今の人は、幸せではないかもしれない。
だから、幸せな奴は許せないし、そこにふんぞりかえる奴はさらに許せない、なんて連中が目立ちはじめるのかもしれない。
でも、そういう連中が、何故に自民党という既得権集団の塊だった輩を支持できるのかが私にはわからない。


困ったことだ。
本当に、日本という共同体はこれでいいのだろうか。
私にできることは、とりあえず今の思いをブログに託すだけ。
人知れず、多くの人が不幸せになる社会が来ることに抵抗することだけ。
でも、いつまでできるのだろうか・・・。



何か、不安なんだけど。

すみません、ブログ書くの10日以上もさぼってしまいました。
こんなに長い間、空けるつもりはなかったのですが、気がついたらこんな日に。
あっという間に秋が深まり、もはや冬の装いが感じられたりして。
ツイッターでは、何だかんだと偉そうなことを書いているのですが、まとめて論理を展開するには力不足なんでしょうね、また書きたいこともあまりないというか。
なんてことを言う間に、衆議院が解散されてしまいました。
これからどうなるのでしょう。
やはり、自民党と公明党が政権を奪還するのでしょうか。
何か、少しも反省していない連中がまた権力を握るのはどうなんでしょうね。


とはいえ、もっと怖いのは維新を中心とした、時代にあおられる政治屋集団。
石原さん、もう引退したほうがいいですよと思うのですが、一度権力の味を知った人には、こういう争いが楽しくて仕方ないのでしょうね。
本当に、中央集権をやめて地方分権にするのが目的なら、私は何も言いません、しかし、やりたいのはそこじゃないでしょう、違います?
橋下さん、目的を限定してください。
中央集権の打破、それだけで十分です、世の中、変わります。
これに憲法九条がどうの、徴兵制がどうの、尖閣、竹島・・要りません、そんなややこしい話。
せめて原発をそろそろ考え直そうぐらいは言ってほしいけど。


民主党、本当、野田首相、何がしたかったのか。
消費税、こんな状況でよくやったものです。
何にせよ、国を運営するには、税金が必要なのですから、それをどういう形で取るのかは時の政権にお任せするのは吝かではありません。
消費税でもいいし、所得税でもいいし、法人税でもいい。
みんなが納得できる税制をお願いしたいと思います。
しかしねえ、やみくもに消費税をおしつけるのはどうなのかな。
理屈が通れば、税金ぐらい払いますよ、現に私も個人、法人の両面でちゃんと納めているはずですよ。
志、それが民主党にどれだけあったのか。
解散まぎわに自分を主張するのなら、もっと前から消費税に対する志を語るべきでした。
どうみても、官僚にそそのかされたとしか思えない。
日本の官僚制、一度根本的にリストラすべきでしょう、大体、キャリア官僚という概念自体がおかしい。(ま、現代の科挙と捉えればそうなんだろうけど。)


選挙が終って、また昔に戻るなら、止めてという気分。
とにかく原発は考え直すべきだし、中央集権はやめるべきだし、既得権益は一度白紙化すべきだ。
日本はとてもいい国なのだから、その伝統は失うべきではないと思うが、最近何か不公平な不条理な状況が生まれ始めているのが気になって仕方がない。
ネットを使った一部の偏った連中が、我が物顔で跋扈するというのも看過できないのだが、皆さんはどう思っておられるのだろう。
大丈夫かな、日本。
私にできること、あるはずだと思うから人知れず頑張る。
みんなも頑張って。



キーステーション・2

さてラジオの世界でキーステーション、キー局といっても、AMとFMでは微妙に違うようです。
AMでは、ネットワークというのは2つあり、一つはJRN,もう一つはNRNです。
ジャパンラジオネットワークとニッポンラジオネットワーク。
前者のキー局はTBSラジオ、後者は、ニッポン放送と文化放送のダブルキー局。
何か適当だなという感じですが、加盟社もやはり適当で、大阪の朝日放送、毎日放送はどちらのネットワークにも所属しています。
一言で言って、とてもゆるやかなネットワークですね。


これに反してFMのネットワークといえば、TOKYO FMをキー局とするJFN、ジャパンFMネットワーク。
J-WAVEをキー局とするJFL、ジャパンFMリーグというのも存在しますが、こちらはどちらかというと親睦的ネットワークと言えるかもしれません。


他にAMには、独立局としてラジオ日本、ラジオ関西、岐阜放送が存在し、東京での巨人戦などをネットしていますが、最近は巨人戦の商品的価値が下がり、あまり話題になることもなくなりましたね。今後、経営環境はますます厳しくなることでしょう。


FMには、独立系のFM局が東京や大阪の周辺に存在しています。
私が少し関わっている埼玉のNACK5もその一つですが、聴取率は大健闘しているものの売上はそれにあまりリンクしていないようです。
大阪のFM802も聴取率がいくらナンバーワンでも、思い通りには売上が伸びないのが現実。
ラジオ総体の売上は今後も減少すると予想されており、経営を担う方々の悩みは続いていくことでしょう。


さて、ここで少しJFN、ジャパンFMネットワークについてしばらく書いてみたいと思います。
JFNに加盟している局の特徴、それは基本的にラジオ単営であり、その経営的基盤はそれほど安定していないということです。
AM局の大多数はラテ兼営局、すなわち一つの放送局がラジオもテレビも運営しており、少々ラジオの売上が厳しくともテレビが安定であれば経営陣はそれほどあたふたしなくてもいいと考えられます。
MBSのたね蒔きジャーナル事件の時に書いたことでもありますが、MBSとしてはテレビが優先、ラジオがどれだけ話題になろうとも、テレビの経営を揺らがせるような番組をそのままにはできないというのも、そう言った側面があるといえましょう。


ま、そういうことで、AM局はさほどキー局の動向に振り回されることもなく自主的な編成が可能ということになりますが、FM局はそういうわけにはいきません。
一部の局を除けば、キー局のTOKYO FMがJFN加盟局の生殺与奪の権を握っていると言っても過言ではないでしょう。
JFN加盟局は一致団結してTOKYO FMの方針に従いましょう、という声さえ聞こえてくるようでした。
私のような関西出身のあまのじゃくは、何か釈然としなかったりすることが多かったのですが、多数の意志に渋々従う一人であったような気がします。
JFNの意向だから従えと言われても、それ、単なるTOKYO FMのエゴじゃないの?なんて思ったものです、あまり大きな声では言えませんが。


でも、仕方がないと言えばそうだったと思います。
ローカルのFM局がキー局のTOKYO FMなしで生きていくのは不可能だったでしょう。
私のもう一つのブログ「フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編」で、FM大分を例にあげて書いています。
FM大分の試みはある意味評価したいところもないことはないのですが、単純に世間知らずと言われても反論できなかったのではと思います。
大分県には、大分放送というラテ兼営局があるものの、それ以外にラジオ局はないのですから、FM局が一局ぐらい増えても経営はできるはずと考えられたのでしょう。
何しろ、FMはブームでもあったわけですから。


しかし、大きな誤算が一つありました。
ナショナルスポンサーの出稿は、TOKYO FMを通じてしかなされなかったということです。
これらは主要な広告代理店が差配し、TOKYO FMを通じて分配するというスキームができていました。
FM大分がナショナルスポンサーがほしければ、このスキームに入るしかなかったのに、東京や大阪、名古屋の新局が成功しているのを見て、大分でもそれが実現可能だと思ってしまったのです。
広告代理店の立場に立てば、おとなしくJFNの傘下に入っていれば分配できたのに、独自に出稿を要請されても手間がかかるだけで金にならないというのは自明でしょう。


広告代理店の人が、嘆いていたのは当たり前でしょう。
大分のFM局が24時間を自社制作するなんて無茶としか言いようがなかった、ま、そういうことを今又思い出してしまいました。
さて、ちょっと頭の整理をしてから、この続きを書こうと思います。
また、次回。