カテゴリー : 2013年 1月

ラジオが衰退するきっかけって?

ラジオが衰退するきっかけって何だったのでしょう。
やはり音楽業界と同じ理由、早い話若者のニーズに対応できなかったためということでしょうか。
もちろん、デジタル社会、ネット社会の到来によって若者マーケットからラジオが外れてしまったということなのでしょうが、その原因の一つにラジオ局が若者マーケットの変遷に頭がついていかなかったというのがあるようです。


2004年頃だったと思います、当時FM大阪にもマルチメディア局というのが生まれ、その担当者に会いに行きました。
その人はこう言いました。
「代理店の人に言われた。放送局のウェブサイトだからといって、それで商売できるわけじゃない。毎日100万ヒットぐらいのアクセスがないと、ネット的には意味がないと。マルチメディア局といっても、これからが大変だ。」
私は思いました、今頃何を言っているのかと。
感覚的に、2周も3周も遅れているランナー、それがデジタル時代のラジオ局(FM局)でした。
放送局のウェブサイトなら、みんながアクセスするだろうという発想から抜け切れなかった、そういう体質を放送局の人間は持っていたということなんだと思います。
私は、その時に今後ネット社会でビジネスをするなら、こうしろああしろとサジェッションしたのですが、残念ながら理解されなかったようで、私の助言は何ら功を奏さずじまいでした。
デジタルセンスがない、とでもいうのでしょうか、やはりFM局の成功体験を持つ人には、ネット社会を受け入れるのは困難だったようです。


ネット社会に適応できないということは、若者マーケットから疎外されることでもあります。
その後、広告代理店はネット社会のマーケティングから、ラジオという存在をどんどん外していきます。
言っても対応しないのだから、仕方ないだろう、多分そう代理店は判断したのでしょう。
若者をターゲットとするスポンサーはどんどんラジオから撤退していきました。
FM=おしゃれメディアという観点から女性マーケットに食い込んできた歴史は、バブルがはじけた時に終焉しましたから、FM局は若い女性の次にヤングジェネレーション層をも失ったのです。


AM局、深夜ラジオは全滅状態です。
20世紀は、深夜放送はスポンサーがあふれていました。
90年代のオールナイトニッポンのスポンサーを並べてみました。
ポニーキャニオン、ブルボン、角川書店、ポッカコーポレーション、白泉社、メガネスーパー、モード学園、ワニブックス・ワニマガジン社、明星食品、日本通運、青春出版社、セコム、BVDフジボウ、アサヒビール、東芝EMI、カワイスチール、春日井製菓、 KENWOOD、ケンタッキーフライドチキン、ヤクルト、辻調理師専門学校。
数えると21社。
1晩10万だとしても、210万。
月に4000万程度は軽く稼いだと思われます。
今は、毎晩数社程度のスポンサーしかありません。
よく、番組の制作費が出るもんだと感心してしまうほどです。


で、ほとんどのラジオ局は夜から深夜の放送を諦めてしまいました。
稼ぐのは朝から昼、夕方。
ターゲットは40代以上。
一番効率がいいのは、ラジオショッピング、リスナーの人には迷惑かもしれないが、今無条件で稼げるのはそれしかない。
多分、ラジオショッピングを禁止したら、ラジオ局はつぶれるでしょうね、もはや麻薬のようなものです、打ち続けるしか生きる道がない。
宗教系の番組もそう。
ラジオにとっては、最後の望みなのです。
ブランド価値は確実に毀損されますが。


さて、FM大阪です。
キー局のTFMは、唯一の全国ネットワークを持つFM局としてうまく立ち回っていますが、不器用なFMOの人間には、状況を打開する方策を考え出す余裕も無く、日々流転しているというのが現実なのかもしれません。
営業マンが日々努力しているのは、傍観しているだけの私にもよくわかります。
無理して、予算達成に努力する姿は立派です、ただ悲しいかな、未来が閉塞されていることを感じながらの努力なので、どうしてもモラール・ダウンは避けられません。
いつ終るかもしれない労働を続けるのは苦痛でしょう、またそこから得られる収穫も私が居た頃とはダンチであることは事実です。
働いていて、楽しいですか?社員の皆さん。
私が現役でバリバリ働いていた頃、辛いことも多かったですが、楽しかったですよ。
職場に活気もあったし、何かがここから生まれるという実感もありましたしね。
でも、それは金が血液のように、職場に循環していからだと思います。
みんな元気だったのは、お金という血液がみんなを活性化していたからです。
今は、貧血状態で仕事をしている状況、それで元気に働けますか?


お金は血液、それが回らないところに、元気が生まれるはずはない。
そんな血液循環のよくない環境に、新しく入ろうという人材が優秀なわけはない、何かそんな気がするのですが、どう思われますか、皆さん。
この話、また取り上げるつもりです。



ラジオ、その時流れが変わった~予告編

正月、昔の資料を整理していたら、FM大阪の決算資料が出てきました。
12/18のブログで、2010年の売上などを取り上げましたが、数字を再掲してみます。
売上  22億8,288万円(2010年3月期)
営業利益 6,455万円(2010年3月期)
純利益 4,707万円(2010年3月期)
で、私が見つけた資料は昭和63年(1988年)の上半期分です。
それによれば、
売上 22億8532万(1988年4~9月)
営業利益 4億9188万(同)
純利益 5億5860万(同)
何かすごいと思われませんか。


今の年間の売上を、半期で稼いでいたのです。
しかも、半期で10倍以上の利益をあげていた。
1年に換算すると、年間売上は46億近いですし、利益は10億以上計上していた。
優良企業そのものの決算と言わざるを得ません、本当いい時代だったと思います。
ちなみに、この頃の社員数は74人です。
今はそうですね、40人もいないでしょう。


当時の社長、山田稔さん(ダイキン工業社長、関経連副会長)は、放送局の社長なんか誰でもできると揶揄されていたことを思い出しますが、確かに誰が社長をやっても、よほどの浪費家でない限り、経営なんか楽なものだったろうと思います。
放送局は利権だった、確かにそう思いますね、社員の給与も1000万クラスがざらにいた時代でもあります。


ただし、FM大阪にとって楽だったのはこの頃までだったかもしれません。
次の年は平成元年(1989年)、あのFM802が生まれた年です。
地域のFM局として独占的立場にあったFM大阪が、相当な強敵の出現に会社自体が揺れ動きはじめた年でもあります。
業績は徐々に悪くなっていくのですが、世の中1992年ぐらいまではバブル景気が続いていたので、数字だけは何とか作ることができていたといいますが、1993年からは一気に落ちて行くことになったようです。


なお、私がFM大阪(東京支社)にいたのは1992年まで、その後ミュージックバードに出向しFM大阪からは隔絶、その後転職してしまうので、一気に落ちて行くころは経験しておりません。
その頃のこと、当時の責任者の方から詳しくお聞きしたいと思い、先日5年前まで専務取締役の立場におられた人とお会いしました。
何故、FM大阪が売上を半分以下にまで落としてしまったのか、その経過の中で内部でどんなことが起きていたのか、是非お聞かせください、できれば実名でこのブログを使って証言してもらえればとお願いしたわけです。
その方は、基本的にかまわないよ、他の人の名前が出ることにはちょっと抵抗はあるけどね、とのことでしたが、何とか私の疑問にはお答えいただけそうです。


ということで、近いうちにインタビューの場を設定することにし、その時の模様をこのブログの中で発表するつもりです。
多分、2月の上旬には形にすることができるでしょう。
何回かにわたる連載になると思われますが、よろしくお願いしたいと思います。


ということで、今回は「ラジオ、その時流れが変わった」の予告編ということでお届けしました。
インタビューでお聞きすることなど、今からまとめてみようと思っています。
ご質問、ご希望などありましたら、コメントなりメールなりいただければ幸いです。