カテゴリー : 2013年 10月

ラジオマンの悲劇と喜劇(3)

私が愛読している古典に「徒然草」がある。
兼好法師(吉田兼好)の随筆集と言われている。
その56段に次のような言葉がある。

よき人の物語するは、人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞くにこそあれ、よからぬ人は、誰ともなく、あまたの中にうち出でて、見ることのやうに語りなせば、皆同じく笑ひのゝしる、いとらうがはし。

私は、ラジオマンならこの言葉を大切にしてほしいと思っている。
特に「人あまたあれど、一人に向きて言ふを、おのづから人も聞く」というのが、心に残る。
そこに何百人、何千人の人が集まろうと、一人の人に向かって話すようにすれば、自然にその他の人たちも耳を貸すと言うのだ。
とにかく、自分の言葉を皆に届けたいと思えば、抽象的な皆に語りかけるのではなく、具体的な一人に向かって語るように語れ、そうすれば他の人も何を言っているのだろうと耳を傾ける、そういうことだ。


新しくラジオの世界に入られることに、ぜひそれは告げておきたい。
マスに向かって語るなかれ、個人に向かって語れ、と。
その個人にあなたの心が届くなら、おのずから他の人にもその気持ちは伝わるのだと。


ラジオは、1%の人に向かって放送すべきだと私は前回書いた。
全体に語りかけるのではなく、少数派に向かって語れ、1%、いや、0.1%でも多いくらいだ。
基本は、誰か一人に語りかければいいのだ。
もちろん、その内容がその一人にしか理解できないものならば、別にラジオというメディアを使う必要はない。
今のSNSで十分だ、メールなり、LINEなりお好きな手段で伝えればいい。
だが、ラジオにはラジオの特性がある、それを通じてのコミュニケーションがあるはずだ。
誰か一人に語りかけることが、またそのメッセージがその一人をつかむことができるならば、自然とそのメッセージは他の人もつかむことができる、その構造をラジオが持っているということだ。
わけのわからない大衆に向かって、放送を漫然としていても、そのラジオは広がりを持たない。
もし、今ラジオを聞く人が年々減っているとするならば、そういう本来ラジオが持っていたコミュニケーションの構造を失いはじめたからではないだろうか。
一人をつかむことが、いつか多くの人をつかむ、その構造をもう一度ラジオマンは再認識すべきではないかと思うのだ。


営業を優先にすれば、その番組を始めた時から多くの人をつかんでいないといけない。
それは極めてテレビ的な発想だと思う、ラジオがいきなりリスナーを多数つかむなんてガラにあわないと私は思う。
仕方ないので、有名ゲストを呼ぶ、商品を豪華にする、番組自体を祭状態にするなんてことを、聴取率週間にあきもせず繰り返す。
しかし、ラジオは、テレビのようなハレのメディアではない。
日常、ケ、それを愚直にフォローしていくから、ラジオに人々は愛着を得てきたのではなかったか。
愚直に一人一人に語りかけて行く、今生きている人々に辛抱強くメッセージを届ける。
その結果が、多くのリスナーをつかみ、広告媒体としても機能していくものなのだ。
第一回から大人気、そんなものテレビに任せておけばいい。
小さなことからコツコツと、それでいいではないか、俺たちはラジオなんだから、いきなり多数を狙うなんて、そんな発想は少しやめてみないか、一人一人への語りかけを始めてみないか、「一人に向きて言ふを、おのづから、人も聞く」、その言葉を考えてみないか、今のままを続けていても、これからどうやって次代のラジオに展望を見いだせると言うのだろうか。


などと、あまり具体的な例を出さぬまま、ラジオについて書いてしまった。
ちょっとラジオ番組の具体例について、今後書いてみようか、そのコンテクストを通じて、何か法則性が新たに見えるかもしれない。
(もちろん、見えないかもしれないけどね。)
ということで、今回はわけわからない話になったかもしれないけど、ご批評、ご意見など、まだ送っていただければ。

ラジオマンの悲劇と喜劇(2)

ラジオというのは、100人のうち1人聞いている人がいれば、何とかなると私は書いた。
このあたりは、商売人の感覚というか、とにかくどういう顧客がどれぐらいの割合でいれば、店は成り立つという肌感覚の問題だ。
ラジオにその感覚があるのか、ちょっと気になる。


大体、100人のうち一人が聞いてくればいいという考え方はラジオ局側にない。
あいかわらず、マジョリティに向かって放送している。
今のAM局、誰が見ても老人層をごっそりつかむつもりで放送をしているように見える。
数字はほとんど40代から上から頂戴している。
ある程度の年代より上はこんな話が好きだろうとばかりに、ずぶずぶの会話が今日も繰り返されている。
団塊の世代を狙う、それがラジオなんて言い方もある。
団塊マジョリティへの放送、それが今のAM局。
FM局はちょっと中途半端になりかかっている。
J-WAVEは相変わらず、開局した頃の路線を何とか続けようとしている。
だが、ご承知のように、もはやかつての神通力はない。
若い人は、J-WAVEに盲目的な支持を送ったりはしない。
かっこいいと思うのは、一昔前の若者たち。
それに気づくべきなのがラジオ局なのだが、果たしてどこまでコンセンサスを得ているのだろうか。


ラジオの人たちは、決して少数派に向かって放送しているとは思っていない。
常に多数派に向かって、番組を作っている。
でも、それが効果的なラジオ番組の作り方なのか、私はとても疑問だ。
本当、考えてもみなよ、1%だよ、たった1%。
多数に向かって放送する愚を感じない?どうして少数派を捕まえようとしないの、どうして?
私が、人気番組を担当していた頃、聴取率は5%ぐらいあった。
そう、一時期の大阪のFM802が喧伝していたぐらいの数字。
確かに、作りながらその重みは感じていたけど、そんな数字はあぶくみたいなものだという実感はあった。
5%といっても、20人のうち1人が聞いている程度だ。
本当に聞いている人に出会える機会なんかなかなかない。
それでも、ラジオ局はそれを人気番組と言っていた。
それだけでも、ちょっと違うんじゃないと私は思っていた。


ラジオなんて、そんなに聞かれているわけではない。
でも、聞かれていないのにかかわらず、何故かその影響力は大きい。
何故だろ、そう思わないか、何故だろうって。
つまり、1%をとれればいいのだよ、ラジオは、そうすれば、何故か人はそれを人気番組だと思ってくれるのだ。
100人のうち1人に聞いてもらう番組、それを作ればいいのだ、何も集団のど真ん中に爆弾を投げ込む必要はないのだ。
あんたの好きな人たちに対して、あるいは仲間たちに対して、本当に心から喜べるような番組を流し続ければよいのだ、会社のエライさんが何を言おうと、うるさい社員プロデューサーが何を言おうと。
あんたが楽しければ、それを楽しむ人もいるのだ、それが上昇スパイラルを呼び、聴取率1%、2%の人気番組になるのだ、決して10%の番組になんかなるはずもない!


ねらえ、1%の人気番組、それは広告代理店を説得もしなければ、会社のエライさんを説得もしない。
いきおい、クライアントへの訴求力も弱くなるかもしれないが、リスナーはきっと支持するはず。
だってそれは、1%の人気番組なんだから。
1%じゃ、ご不満?
でも、聞いてくれているんだよ、毎回毎回、貴重な時間をラジオに割いてくれているんだよ、1%の人が、その重みがあんたにわかるか、基本、ラジオとはそういうものなんだよ、多数の上にあぐらをかくものじゃないのだ、違う?そう思わない?


あはは、こんなこと言っていると完全に馬鹿にされるかもしれないね、でもいいんだよ、最近ますますそう思うんだ、ラジオは1%のメディアだと、それでいいじゃない、何が不満?ねえ、私のどこがいけないの~?



ラジオマンの悲劇と喜劇

最近、そろそろ次のブログを書きませんかという声も減ってきたようだ。
面白いね、あまり反応がないと、こちらのモーチベーションも上がらずで、問題意識もあまり持たなくなってしまう。
このまま、普通なら消えてしまうのかなあ、それもちょっと癪。


がんばって、ブログを書いてみる、中味があるものができるかどうかは自信ない。
少し前だが、あるコミュニティFMを訪れた。
態々社長さんに応対していただき、色々ラジオについて語ったのだが、「すると、コンサルタントのようなお仕事をされておられるんですか?」と聞かれてしまった。
「い、いえ、私はコンサルタントじゃありません、プロデューサーという立場で、基本、放送現場の対応がメインです。」と答えたが、はたして真意は伝わったろうか。


コミュニティFM業界では、このコンサルタントという言葉がよく出てくる気がする。
私が育ったラジオ業界では、コンサルタントという言葉、ほとんど聞いたことがなかった。
コンサルなど必要がないというか、周波数さえ割り当てを受ければ、その日から儲かるというイメージが強かった。
多分、コミュニティFMも、認可されれば何とかなると思われていたような気がする。
それゆえ、会社を作る時に億単位の資本が集まったり、投資を行われたりした。
今なら、バカじゃなかろうかと思われる金の使い方を、その当時のコミュニティFMは当たり前のように行っていた。
このあたりのことは、私の別のブログ、「フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編」に色々紹介されているので、お時間のある方はご参考までに。


さて、コミュニティFM業界に突然と跳梁跋扈しはじめたコンサルタント、何しろコミュニティFMを始めた人たちは、放送の現場は何とかイメージできても、実際どうやって会社を作り、どうやって運営していいのかわからない。
それゆえ、どうしてもコンサルタントにおんぶにだっこにならざるをえなかったのだろう。
結構なコンサル料とか放送機器の購入、設置、調整などでずいぶんな額を持って行かれたと聞く。
コミュニティFMに、そんなものオーバースペックだろうと思われるものでも、何故か本格的なプロ機器を欲しがるところが多く、結果的にそうなってしまったのだろう。
で、放送開始、なのに、さっぱり収入が入ってこない。
コンサルタントって何だったんだ、今ではそう思っておられるコミュニティFM関係者も多いと聞く。
ま、そういうことで、今やコミュニティFMのコンサルタント業はあまり商売にはならなくなったようだが。


コミュニティFMのコンサルタント、まじにやったら大変だろうと思う。
コミュニティFMに必要なノーハウ、それは営業部門だと私は思っている。
早い話、マーチャンダイジングとマーケティング。
どんな商品を作り、どんな客にそれを売るのか、そのダイナミズムを教えるコンサルタントがいない。
これが放送局のビジネスモデルです、などと説明される方はおられるが、もはやその発想は古いというか、コミュニティFMには適用できないのではないかと思うことが多かった。
大体、コミュニティFMを売るにあたって、広告代理店と相談して云々なんてのは、営業をやったことがないのかと私でさえ疑問に感じることだ。
広告代理店が相手にしてくれるわけがない、地元の看板を売ることをメーンにしているところならともかく。


確かに、コミュニティFMで、地元の広告代理店がバックについているところだと、まだ相手にしてくれるだろうが、多分、それを実際に扱うとなると何らかの工夫をしないと無理だと気づいておられるはずだ。
何らかの工夫、これ大事だ。
それが、コミュニティFMのマーチャンダイジング、マーケティングに通じるのだ。
ここでは、くだくだしく書かないが、従来のラジオ業界の常識だけで、コミュニティFMを経営しようというのは無謀に過ぎるというのが、私のこれまでの意見である。


さて、コミュニティFMのことを書くつもりではなかった。
タイトルのラジオマンの悲劇と喜劇が泣くというものである。
で、ここでまた、村上春樹氏のエッセイから引用をする。
話はそこから始めよう。

「たとえ十人のうちの一人か二人しか貴方の店を気に入らなかったとしても、その一人か二人があなたのやっていることを本当に気に入っていくれたなら、そして『もう一度この店に来よう』と思ってくれたなら、店というものは、それでけっこううまく成り立って行くものなのだ。」(ロールキャベツを遠く離れて)

何か客商売の基本を言われているようだ。
実際、バーを長く経営されていた村上さんだから、その結論には体験が裏打ちされているのだろう。
で、私、、ラジオ業界も同じだと思っている。
十人のうち一人、二人ではない、百人のうち一人や二人で十分だ、それがラジオなのだと。
聴取率、1%、2%の争いである、つまり百人いればそのうちの一人が聞いてくれれば、何となく維持できる、それがラジオなんだということを。
つまりは、多数等押さえる必要はない、少数をいかに顧客にするか、それがラジオの肝なのである。
なのに、現実にラジオがやっていることは何か。
常に多数にどうおもねるかばかりやっている、まるで100人のうち100人の人が聞いてくれるとでも思って、番組内容を決めている。
違うんだと思うよ、そんな多数を狙うより、少数派を狙う方が効率がいいんじゃない、そう思わない?


みんなが聞くようなものは、ラジオにはもはや必要じゃないかもしれない。
ま、安心して聞けるラジオというのはその通りだと思うけど、中味まで毒にも薬にもならないようだと果たして毎回聞いてくれる人がどれだけいるのかという話だよね。
ということで、しばらくそんな現場の悲劇と喜劇について書いていくつもり。
話が中途半端になった時は、どうぞご指摘あれ。