ラジオにまつわるエトセトラ(2)

「他人が彼に対して何かを期待し要求してくれた。
それに応えることで、彼の人生はそれなりに忙しく回っていた。
しかし、その要求や期待がいったん消えてしまうと、あとには語るに足るものは名も残らなかった。」
(村上春樹「1Q84」第2巻)

要求や期待が消える、男の世界に顕著なことかもしれない。
いや、大きな要求や期待が私にかけられているのだと思えばこそ、男は必死になって働いたのかもしれない。
それを社会が肩書で答えたり、名誉的地位で答えたり、金という抽象で答えたのだろう。


課長になること、部長になること、そしていつかは社長になって、自分の名誉欲を思い切り充足させたい。
そんなサラリーマン、見あきるほど見てきた。
放送局も同じ。
出世しないと、自分のやりたいことはできないと思い、とにかく一歩一歩、自分をごまかしながら階段を上る。
そして、ある日、頂上が見えた時、ふと思う、自分は一体何をしてきたのか?と。
年をとり、人生の中で最高に輝いていた時をずっと記憶の中に大事にするしか、自分を確認することができない。
ある意味、多くの人は敗残兵だ。
でも、自発的に兵になったわけではない人は、年をとっても自然に生きている。
兵であった時は、それほど輝いてはいなかった。
だから、今も輝いていなくとも、それを恨むこともないだろう。


期待されている、何かを要求されている、年をとれば、その実感は漸減する。
老いてなお、他者からの期待も要求も変わらない人は、ある意味幸せ。
金がなくとも、社会的な評価がそれほど高くなくとも、コンスタントに他者とつきあえた人は泰然と老いを迎えることができるような気がする。
語るに足るものが残らなくとも、ケセラセラ・・・。


さて、前回を受ける形で、思うことを書いてみた。
最近、期待されても要求されても、あまり対応したくなくなった、それが今の実感。
このままフェイドアウトしたいとも思わぬが、いいように便利扱いされるのはご免だ。


今の私に、ラジオ業界から期待されたり要求されたりしていることがあるかというと、さてどうだろう。
一部の人たちは、次に何をするかを興味を持って見られているようだ。
何かの参考にしたい、できれば手伝ってほしい、そう思っている人もいないではない。
だが、大部分の関係者にとっては、もはや終わった人、いや早く終わってほしい人と思われている気がする。
何しろ、この10年ぐらいに業界に入ってきた人には、私は関係のない世界の人だ。
言っていることも、何言っているのか、よくわからないようでもある。
そして、そのラジオ業界の空気の中に、もはや正のエネルギーは醸成されていない。
元気だったラジオを知らぬ世代が、ラジオの現場を管理している。
ただ繰り返すだけ。
金になりそうなことを、ただ電波にはりつけるだけ。
そんな手抜きの商品に、一流クライアントが魅力を感じるわけはない。


FMCOCOLO、45歳以上をターゲット、曲はその世代が喜んで受け入れられるものを中心にオンエア。
安心して聞ける、45歳以上のリスナーは。
でも、それで商売になるのだろうか、どういうマーケティングをしているのか教えてほしい。
45歳以上が望んでいる情報は、過去の音楽そのものではない。
今、自分に必要な情報だ、健康とか、経済とか、人間関係とか、老後の問題とか。
COCOLOは何一つ応えていない。
ただ、45歳以上が聞いて邪魔にならない曲をかけるだけ。
BGに使えます、聴取率も上がっています。
でも、メッセージがない、802が開局の時どれだけ若者にエネルギーを与えたか。
何か、これが俺たちのメディアだ、何てエキサイティングなんだと思わせたはずだ。
それはFM大阪でも70年代に起きたことだ。
何も802が群を抜いて際立っていたのはではない。
その時代が、そのメディアに上昇気流を与えたのだ。
人間が頭の中でこねくりまわして得たもの等、さほど重要なものではなかった、そうは思わないだろうか。


だから、COCOLOに必要なものは、少し上がった聴取率ではない。
そのメディアがどうやれば今の空気の中のかすかな上昇気流を関知し、その風に合わせた番組を開発し、そしてその風を待つ忍耐力を持つかだろう。
こうすれば、数字が上がる、売上が上がると頭の中をぐるぐる回る議論を続けている間は、事態は変わらない、ユーザーに刺さってもいかない。
作り手側がどれだけ風を読めるのか。
その勘を持たない現場が、過去の番組をリピートしている、そうならないように経営サイドがどういう決断をするか、畢竟そのあたりに問題があるような気がしてならない。



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