シリーズ 広告代理店・11

さて、私の愛した広告代理店の話は置いておいて、私の経験した代理店にまつわる話を書くことにします。
第8回で、FM大阪の営業外勤は私を含めて5人いたと書きました。(東京支社にも同じだけの営業外勤がいたと思いますが、支社の話はまた別途触れたいと思います。)
他の4人は、代理店を回るだけでもそこそこ発注が来るが、私は自分で開拓しない限り、発注が向こうからやってくるということはなかったというのが率直な感想です。
ただし、私は元制作ディレクターで音楽業界や映画、演劇など芸能方面にも詳しいと思われたのか、レコード会社、イベンター、映画会社はすべて私担当でした。
元々、FM局の需要はあったのでしょうが、私が担当してから前以上に引き合いがあったような気がします。
イベンターさんは、前にも言いましたが、ほとんど直扱いです。
私が担当する前からそういう慣行だったというので、その後生まれたイベンターさんもすべて直扱い処理にしました。
ほとんど、私のところに直接に連絡されてこられたので、代理店を挟むのはかえって鬱陶しい気がしたからです。
それで、売掛金が回収できなくても、知ったことかという気もありましたね。


ある時は、NHKサービスセンターさんからの発注もありました。
ジョン・デンバーが来日するので、FM大阪でもスポットを打ちたいんですと連絡をいただきました。
へえ~、NHKさんでも民放にスポットを打たれるんですねと聞く私に、ま、私たちは子会社ですからとの返事。
NHK-FMにスポットを打ちたくても、流してくれないからとその時おっしゃっておられました。
今なら、流してくれるかもしれませんが、当時はえらい固いことを言われたらしいです。
で、もちろん、扱いは直。
NHKが払わないはずはないだろう、という私の判断でした。
額も数十万というぐらいでしたから。


後の映画とかレコード会社は必ず代理店がからみます。
レコード会社と代理店で、色々展開を考えておられましたし、いわゆるプール金みたいなものも蓄えておられたような。
一々東京に予算を申請する手間をはぶくために、ある程度の額なら大阪だけで決済しようという思惑なのだと思います。
(最近はそんな慣習を続けるのは難しくなっているはず。実際プール金の話はあまり聞かなくなりました。)
映画会社は、新聞広告や映画案内欄の出稿を担当する代理店が、放送関係も仕切っておられました。
代理店の皆さん、本当に毎日地道に仕事をされる方ばかりで、私たちのような放送マンがどれだけいい加減な営業をしているかを考えさせられたことも多かったです。


さて、私以外の営業マンは、代理店に行くことが重要な仕事になるということになりますが、いわゆる中間管理職の人達(営業部長、次長、課長)は、あまりそれを良いようには言いませんでした。
営業会議というのが毎週月曜日の朝に行われ、先週の営業活動を報告させられるのですが、管理職は「おまえ、その話、先週と同じじゃないか、代理店の話はもうええ、スポンサー行ったんか、スポンサー?」と何かにつけては突っ込みが入ります。
代理店で聞いてきた話だけで、営業報告するなといいたいんでしょう。
確かに、代理店情報だけで、自分の報告時間は埋まるわけですが、そういう態度が気にいらんというのが管理職側なのでしょうね。
そのあたり、代理店情報だけでは全く自分の時間が埋まらない私は、どうしてもスポンサー関連の話しかしませんでしたので、あまり「スポンサー行ったんか!」という突っ込みは受けませんでした。
内心、管理職の3人も、自分が平の時は多分代理店まわりの報告でお茶を濁していたんだろうと思います。
だから、その気持ちがわかるので、あえて同じことを繰り返していたんでしょうね。
人間なんて、所詮そんなものです。


ああ、それで思い出しましたが、ある同僚が毎回ある子供服のメーカーの名前を出すのに業を煮やした営業課長が「おまえ、スポンサーに行けと言っているのに、どうなっているのだ。もういい、おい、フロム、お前、スポンサー行って来い!」なんて会議中にいきなり言い出すのです。
は?ですよ。
何で私に話が振られるの?
横でスポット・デスクが苦笑していました、かわいそう、とばっちり受けてと後で皮肉交じりに言われたものです。


子供服のメーカー、もう30年も前の話ですが、ミキハウスといいます。
本社は大阪、八尾市のはずれ、信貴山のふもとの緑あふれる地にありました。(今もあるのかな?)
その営業課長の話なんか、知らん顔していればいいのですが、興味がないわけでもないし、別に私が営業の責任をとるわけでもないだろうと気軽な気持ちで訪れたわけです。
「あの~FM大阪といいますが、宣伝担当の方とお話させていただけますか?」
断られたら、「断られました。飛び込み営業は一切受け付けられないとのことでした。」と嘘をつけばいいのです。
二度と行けないと思わせればいい、その課長が自分で訪問するはずなどありえないからです。
そんな骨のある課長なら、私などに行かせず、もともと自分で行くでしょう、そう思いませんか。


でも、ミキハウスの方は、ちゃんと応対してくださいました。
しかも、後で聞くと、お会いした方は宣伝のキーマンだったということで、他の人が行ってもなかなか会ってもらえない人だったとのことでした。
そんなことは知りませんから、私、本当に適当なことばかり喋りました。
一番、しゃべったのは野球の話。
ミキハウスの方は、制服が全員野球のユニフォームだったので、放送局対抗の野球大会(民放連野球大会)の話ばかりしてしまいました。
本当に、こいつ何しに来たんだと思われたのではないでしょうか。
で、最終的に得た情報、FM大阪を広告媒体として検討したことは一度もないということでした。
そうでしょうね、子供服の広告媒体はテレビと雑誌でしょうね、と相槌をついたりして。


その後、社に戻って毎回会議でミキハウスの名前を出していた同僚に引継ぎ、私の仕事は終了。
本当、何考えて、私をスポンサーに行かせたんだろう、あの課長は・・・・。


さて、この手の話、しばらく続きます。
色々思い出すのが、楽しくなってまいりました。



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