ラジオマンの悲劇と喜劇(2)

ラジオというのは、100人のうち1人聞いている人がいれば、何とかなると私は書いた。
このあたりは、商売人の感覚というか、とにかくどういう顧客がどれぐらいの割合でいれば、店は成り立つという肌感覚の問題だ。
ラジオにその感覚があるのか、ちょっと気になる。


大体、100人のうち一人が聞いてくればいいという考え方はラジオ局側にない。
あいかわらず、マジョリティに向かって放送している。
今のAM局、誰が見ても老人層をごっそりつかむつもりで放送をしているように見える。
数字はほとんど40代から上から頂戴している。
ある程度の年代より上はこんな話が好きだろうとばかりに、ずぶずぶの会話が今日も繰り返されている。
団塊の世代を狙う、それがラジオなんて言い方もある。
団塊マジョリティへの放送、それが今のAM局。
FM局はちょっと中途半端になりかかっている。
J-WAVEは相変わらず、開局した頃の路線を何とか続けようとしている。
だが、ご承知のように、もはやかつての神通力はない。
若い人は、J-WAVEに盲目的な支持を送ったりはしない。
かっこいいと思うのは、一昔前の若者たち。
それに気づくべきなのがラジオ局なのだが、果たしてどこまでコンセンサスを得ているのだろうか。


ラジオの人たちは、決して少数派に向かって放送しているとは思っていない。
常に多数派に向かって、番組を作っている。
でも、それが効果的なラジオ番組の作り方なのか、私はとても疑問だ。
本当、考えてもみなよ、1%だよ、たった1%。
多数に向かって放送する愚を感じない?どうして少数派を捕まえようとしないの、どうして?
私が、人気番組を担当していた頃、聴取率は5%ぐらいあった。
そう、一時期の大阪のFM802が喧伝していたぐらいの数字。
確かに、作りながらその重みは感じていたけど、そんな数字はあぶくみたいなものだという実感はあった。
5%といっても、20人のうち1人が聞いている程度だ。
本当に聞いている人に出会える機会なんかなかなかない。
それでも、ラジオ局はそれを人気番組と言っていた。
それだけでも、ちょっと違うんじゃないと私は思っていた。


ラジオなんて、そんなに聞かれているわけではない。
でも、聞かれていないのにかかわらず、何故かその影響力は大きい。
何故だろ、そう思わないか、何故だろうって。
つまり、1%をとれればいいのだよ、ラジオは、そうすれば、何故か人はそれを人気番組だと思ってくれるのだ。
100人のうち1人に聞いてもらう番組、それを作ればいいのだ、何も集団のど真ん中に爆弾を投げ込む必要はないのだ。
あんたの好きな人たちに対して、あるいは仲間たちに対して、本当に心から喜べるような番組を流し続ければよいのだ、会社のエライさんが何を言おうと、うるさい社員プロデューサーが何を言おうと。
あんたが楽しければ、それを楽しむ人もいるのだ、それが上昇スパイラルを呼び、聴取率1%、2%の人気番組になるのだ、決して10%の番組になんかなるはずもない!


ねらえ、1%の人気番組、それは広告代理店を説得もしなければ、会社のエライさんを説得もしない。
いきおい、クライアントへの訴求力も弱くなるかもしれないが、リスナーはきっと支持するはず。
だってそれは、1%の人気番組なんだから。
1%じゃ、ご不満?
でも、聞いてくれているんだよ、毎回毎回、貴重な時間をラジオに割いてくれているんだよ、1%の人が、その重みがあんたにわかるか、基本、ラジオとはそういうものなんだよ、多数の上にあぐらをかくものじゃないのだ、違う?そう思わない?


あはは、こんなこと言っていると完全に馬鹿にされるかもしれないね、でもいいんだよ、最近ますますそう思うんだ、ラジオは1%のメディアだと、それでいいじゃない、何が不満?ねえ、私のどこがいけないの~?



ラジオマンの悲劇と喜劇

最近、そろそろ次のブログを書きませんかという声も減ってきたようだ。
面白いね、あまり反応がないと、こちらのモーチベーションも上がらずで、問題意識もあまり持たなくなってしまう。
このまま、普通なら消えてしまうのかなあ、それもちょっと癪。


がんばって、ブログを書いてみる、中味があるものができるかどうかは自信ない。
少し前だが、あるコミュニティFMを訪れた。
態々社長さんに応対していただき、色々ラジオについて語ったのだが、「すると、コンサルタントのようなお仕事をされておられるんですか?」と聞かれてしまった。
「い、いえ、私はコンサルタントじゃありません、プロデューサーという立場で、基本、放送現場の対応がメインです。」と答えたが、はたして真意は伝わったろうか。


コミュニティFM業界では、このコンサルタントという言葉がよく出てくる気がする。
私が育ったラジオ業界では、コンサルタントという言葉、ほとんど聞いたことがなかった。
コンサルなど必要がないというか、周波数さえ割り当てを受ければ、その日から儲かるというイメージが強かった。
多分、コミュニティFMも、認可されれば何とかなると思われていたような気がする。
それゆえ、会社を作る時に億単位の資本が集まったり、投資を行われたりした。
今なら、バカじゃなかろうかと思われる金の使い方を、その当時のコミュニティFMは当たり前のように行っていた。
このあたりのことは、私の別のブログ、「フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編」に色々紹介されているので、お時間のある方はご参考までに。


さて、コミュニティFM業界に突然と跳梁跋扈しはじめたコンサルタント、何しろコミュニティFMを始めた人たちは、放送の現場は何とかイメージできても、実際どうやって会社を作り、どうやって運営していいのかわからない。
それゆえ、どうしてもコンサルタントにおんぶにだっこにならざるをえなかったのだろう。
結構なコンサル料とか放送機器の購入、設置、調整などでずいぶんな額を持って行かれたと聞く。
コミュニティFMに、そんなものオーバースペックだろうと思われるものでも、何故か本格的なプロ機器を欲しがるところが多く、結果的にそうなってしまったのだろう。
で、放送開始、なのに、さっぱり収入が入ってこない。
コンサルタントって何だったんだ、今ではそう思っておられるコミュニティFM関係者も多いと聞く。
ま、そういうことで、今やコミュニティFMのコンサルタント業はあまり商売にはならなくなったようだが。


コミュニティFMのコンサルタント、まじにやったら大変だろうと思う。
コミュニティFMに必要なノーハウ、それは営業部門だと私は思っている。
早い話、マーチャンダイジングとマーケティング。
どんな商品を作り、どんな客にそれを売るのか、そのダイナミズムを教えるコンサルタントがいない。
これが放送局のビジネスモデルです、などと説明される方はおられるが、もはやその発想は古いというか、コミュニティFMには適用できないのではないかと思うことが多かった。
大体、コミュニティFMを売るにあたって、広告代理店と相談して云々なんてのは、営業をやったことがないのかと私でさえ疑問に感じることだ。
広告代理店が相手にしてくれるわけがない、地元の看板を売ることをメーンにしているところならともかく。


確かに、コミュニティFMで、地元の広告代理店がバックについているところだと、まだ相手にしてくれるだろうが、多分、それを実際に扱うとなると何らかの工夫をしないと無理だと気づいておられるはずだ。
何らかの工夫、これ大事だ。
それが、コミュニティFMのマーチャンダイジング、マーケティングに通じるのだ。
ここでは、くだくだしく書かないが、従来のラジオ業界の常識だけで、コミュニティFMを経営しようというのは無謀に過ぎるというのが、私のこれまでの意見である。


さて、コミュニティFMのことを書くつもりではなかった。
タイトルのラジオマンの悲劇と喜劇が泣くというものである。
で、ここでまた、村上春樹氏のエッセイから引用をする。
話はそこから始めよう。

「たとえ十人のうちの一人か二人しか貴方の店を気に入らなかったとしても、その一人か二人があなたのやっていることを本当に気に入っていくれたなら、そして『もう一度この店に来よう』と思ってくれたなら、店というものは、それでけっこううまく成り立って行くものなのだ。」(ロールキャベツを遠く離れて)

何か客商売の基本を言われているようだ。
実際、バーを長く経営されていた村上さんだから、その結論には体験が裏打ちされているのだろう。
で、私、、ラジオ業界も同じだと思っている。
十人のうち一人、二人ではない、百人のうち一人や二人で十分だ、それがラジオなのだと。
聴取率、1%、2%の争いである、つまり百人いればそのうちの一人が聞いてくれれば、何となく維持できる、それがラジオなんだということを。
つまりは、多数等押さえる必要はない、少数をいかに顧客にするか、それがラジオの肝なのである。
なのに、現実にラジオがやっていることは何か。
常に多数にどうおもねるかばかりやっている、まるで100人のうち100人の人が聞いてくれるとでも思って、番組内容を決めている。
違うんだと思うよ、そんな多数を狙うより、少数派を狙う方が効率がいいんじゃない、そう思わない?


みんなが聞くようなものは、ラジオにはもはや必要じゃないかもしれない。
ま、安心して聞けるラジオというのはその通りだと思うけど、中味まで毒にも薬にもならないようだと果たして毎回聞いてくれる人がどれだけいるのかという話だよね。
ということで、しばらくそんな現場の悲劇と喜劇について書いていくつもり。
話が中途半端になった時は、どうぞご指摘あれ。



ヒット曲とは何か~あるラジオマンの一考察(6)

いつのまにか10月、それでも暑い日が続く今年の秋。
外を歩いていても、太陽の耐えがたき熱がシャツの中に侵入する。
あまりにも暴力的な季節ではあるまいか。


10月、ラジオ業界は改編の時期を迎え、私も何年ぶりかに新番組や新しい局との対応に右往左往している。
感謝すべきなのだろうが、身体がうまく反応しない年齢を意識せざるをえない。
ブログもうまくまとまらない、困ったことだ。


ヒット曲とは何か、正直、問題意識が高まらない、何を証明したかったのか。
で、また箇条書きモードに戻る。
単なる、メモだと思って頂ければ幸いだ。


村上春樹「やがて哀しき外国語」(講談社文庫)の一節にこういうのがある。

これはまったくのところ文化的焼畑農業である。みんなで寄ってたかってひとつの畑を焼き尽くすと次の畑に行く。あとにはしばらくは草も生えない。本来なら豊かで自然な創造的才能を持っているはずの創作者が、時間をかけてゆっくりと自分の創作システムの足元を掘り下げて行かなくてはならないはずの人間が、焼かれずに生き残るということだけを念頭に置いて、あるいはただ単に傍目によく映ることだけを考えて活動し生きて行かなくてはならない。これを文化的消耗と言わずしていったい何と言えばいいのか。

知的流行の現象を、独特の視点からそう書かれているのだろう。


音楽の世界も、また文化的焼畑農業レベルに衰退しているのではないかと私も思う。
とにかく、今の時代、何かが流行れば(当たれば)、それが焼き尽くされるまで暴力的に消費されるような気がしてならない。
ヒット曲という、本来業界がじっくりと育む、その成果の上に、また次のヒット曲を生んでいくというスパイラルが必要な世界に、ただ燃えればいい、あるいは煽ればいい、その時に暴力的な消費が生まれればそれでいいのだと言わんばかりの風潮がはびこっている、果たしてそれでいいのか、レコード業界人は。
ヒット曲=CDが売れた枚数、とにかく枚数がマーケットでどういう形でもいいから消費されれば、それがヒット曲なのだと主張する、でも、繰り返す、一体その曲の中味を知っている人がどれだけいるというのか。
燃やしてしまえば、後には何も残らない、次の芽がいつ生まれてくるかもわからない。
どうせ燃やすなら、建設的に燃やせ、初春の山焼きのように不純なるものを淘汰する作業として。
でも、文化的焼畑農業を繰り返していていいのか。
今の業界が勧めるものを、今の消費者は簡単には買わない。
CDなんか、その傾向はますます強まっている。
そりゃ、そうだろう、聞いたこともない曲、聞いたとしても何も感じなかった曲を、大ヒット曲と呼び、これを買いなさい、ただで聞いてはいけない、そんなことをすれば貴重な文化財産が毀損されるなんて理屈を滔々と主張する業界なのだから。


村上氏は、文化的焼畑農業に対して、コレクトかインコレクトかを判断することを提起されている。
そんな曲をヒット曲と呼ぶのはコレクトなのか、インコレクトなのか。
常に、ヒット曲に対してその判断をするべきなのだろう。
消費者は常にだまってその判断を行う。
その結果、ヒット曲とよばれるCDは売れない。
消費者は、何も言わない、ただ去って行くだけ。
それを止めるには、まず供給者側が、そのヒット曲をコレクトと判断するかしないかから始めるべきではないだろうか。
今の音楽状況はコレクトなのか、そのメッセージが供給者側から発せられない限り、CD冬の時代はしばらく続くような気がするのだ。


箇条書きと言いながら、長々と意見を書いてしまった。
元へ戻そう。
CDは、年を経るごとに売上は落ちている。
そのためのカウンターアクト、例えばアイドル系に見られるように一人のファンに100枚近く買わせる方法論ばかりが開発される。
ファンはCDを100枚欲しいわけではない。
そうすることが、自分が支持するアイドルのためになると思うから、必要でもない数のCDと自分の資産(現金)を交換するのだ。
確かにそうした行為によって、CDを媒介とした祭(アイドルを御神体とする)に全人格的に参加するのだろう。
だが、そこに商業主義が過当に目立つようになれば、その祭も色あせることになるだろう。


ヒット曲の原点とは何だったのか。
売れたCDの枚数では、なかったのではないか。
みんなが知り、ああ、いい曲だね、ぐらいの反応はし、何となく後世に歌い継がれていく、そんな曲が毎年何曲残るか、その積み重ねが文化的な資産として、豊かな未来を形作るのではなかったか。
文化的焼畑農業でよいのか、本当に。


何かまとまらない話になってしまった。(箇条書きでもなかったし)
さて、そういうことでヒット曲に対する違和感の話、これでひとまず終りとしたい。
次回から、また放送に関する話を書く。
V-Lowの世界でも、何か大きな動きが始まっているようだし、気になることもある。
ご意見など、またメールやコメントの形で、いただけると幸甚、よろしくどうぞ。