過去のブログより~不適切な表現

放送の現場にいたものの実感をおそるおそる書いております。
今から10年前の書込み。
とりあえず、伏字はやめましたが、今後修正するかもしれません。
ご容赦ください。

2001-7-3 18:45
「番組の中で不適切な表現がございました。おわびいたします。」
先日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」の最後でとってつけたように言ったコメントがこれ。
え、不適切な表現?どこで?何言ったの?

不適切な表現だったため、まさかそれをくり返して言うわけにはいかない。
わかる人がわかればいい、とにかく番組としては謝りましたからね、というメッセージだ。

この場合は、石原知事の言った「私はめくら判を押すわけにはいかない」の部分。
ふだん何気なく使っていると、つい出てしまう言葉のひとつだ。
石原知事は、「三国人」とか「支那」とかやや差別的な言葉を確信的に使うが、今回の発言は単なるミスであろう。
「めくら」なんて言葉は今やほとんどの人が使わない。「つんぼ」も「おし」も「いざり」も、めったなことでは耳にしない言葉になってきた。
差別的な意味しか持ち合わせない言葉が葬りさられることは仕方がないが、では「めくら判」はどうなのだろう?
そう言えば、別番組で農水族議員の松岡某氏(諫早の水門は自民党が開けさせないと見栄を切って、今になってバカにされているオッサン)も同じように「めくら判」を使って、場をしらけさせていた。
どうやら、政治家がよく使いたがる言葉のようだ。
「めくらじま」という布地もある。これは言い換えようがないのでそのまま使うしかない。
「めくら滅法」というのは今でも何かの拍子に使いそう。
私なんか、鉄砲持たせりゃめくら滅法打つしか方法がないのだから。
「めくら蛇におじず」とか「群盲象をなでる」などもある。
いい得て妙なのだが、やはり使わない方がいいのだろう。

放送局の先輩から聞いた話。
ジャニス・イアンの「ラブ・イズ・ブラインド」という曲がある。邦題を「恋は盲目」と言っていた。
ところが、言葉狩りが始まりだし、放送局では言い換え集等をまとめはじめた。
で、某局はこの盲目はダメだといい始め、仕方なしに「ラブ・イズ・ブラインド」の原題で通すことになったという。
盲目がダメで、ブラインドが何故良いのか?
意味は同じではないか。英語ならよいのか。
「キチガイ」はだめで「クレイジー」はいい。考えたら、こんなクレイジーなことはない。
(クレイジーがダメになったら、クレイジー・キャッツが紹介できなくなるのでOKらしい。)
少し前のTBS「花まるマーケット」のゲスト、近鉄の中村ノリダーが「いやあ、これについてはキチガイですわ」なんて大きな声で答えていた。
生だから、どうしようもない。
ま、確かに趣味においてはキチガイなんでしょう、彼は。
(しかし、元放送マンとしては、場の雰囲気がわかるだけに、こちらも冷やっとしますね。)

キチガイを何故放送で言ってはいけないのか。先輩は私にこう言った。キチガイという言葉を聞いたキチガイが気を悪くするから。

ホントかね?

キチガイがキチガイという言葉にナーバスになりそうなのは感覚的にわかるような気がするが、だからと言ってキチガイが更にキチガイになるのだろうか。
昔、ニュースを読んでいる時、ニュース原稿に「虎キチが大いに盛り上がっていました」とあった。
虎キチ?キチガイってそのまま言って良いのか?
煩悶したあげく、「虎ファンが大いに盛り上がって」と読み替えた。
苦情の電話がかかってきて混乱にまきこまれるのはゴメンだと思ったからだ。
こんな苦情の対応していたら、予定していた仕事ができなくなる、君子危うきに近寄らずである。

つまり、言葉を言い換えるのは、君子危うきに近寄らずっであって、この際言論の自由も、報道の自由も関係ない。

事勿れ主義だ、言葉狩りだと、言論人がおっしゃる。
私も同意する。筒井康隆さんとてんかん協会の対立も私は断固筒井氏を支持する。

だが、放送局の一員としては、そんなことより苦情の来そうなことは絶対にしたくない。
自分の思想に殉じるのは勝手だが、放送局はそんな社員を絶対に守ってくれない。
そりゃ、最後に言いたくなるだろう。「番組の途中で不適切な表現がありました。おわびいたします。」
言っておくけど、私は悪くありませんからね。一応、番組として、社として謝りましたからね、私に文句は言わないで下さいね。私は、知りませんからね・・・・。
ついでに、このようにこの欄では書きましたが、これぐらいの言論は許して下さいね。m(_ _)m


私はいかにしてプロデューサーになったのか(第9回)

大晦日オールナイトライブの営業的な問題はクリアしました。


■大阪本社と東京支社の確執


営業的には、後は企画書どおりに放送してくれればいいということなのですが、制作現場はそうは行きません。
設計図(いい加減なものが多い)ができたので、後はこの設計図どおり製品を完成させる、それが放送局的には企画書完成→番組制作ということになるのです。
とんでもない設計図(企画書)を持ち込まれ、予算はこれだけ、何日までに作ってねと言われるわけです。
そりゃ、ものによっては、「そんなものできるか!」という反応が返ってくるのも仕方がありません。
東京支社と大阪本社の間では、そういう例が少なからずありました。
前にも書いた大阪本社が理屈で文句言ってくるなら、金の力で押しつけてしまえ、それが合理的ということだという東京支社の考え方につながって行ったと思われます。


■支社と本社の売上予算は同額


東京支社は、売上を上げるために存在するので、製品(番組)を生産するために存在するわけではない、そういう考え方は会社自体に内包していました。
東京支社には、年間の売上予算(ノルマ)が押しつけられていて、大阪本社と競争させられています。
FM大阪では、ほぼ半々の予算割合で、東京支社としても大阪の生産現場(制作部)が少々文句を言おうと、知ったことではないというのが実情でした。
ま、基本的には今も状況は変わっていないようですが。
そういうことで、私が今回営業からの情報(東芝がオールナイトライブの番組を探している)を得て、そのニーズにかなう企画を考えたということは東京支社としてもウェルカムのことなのです。
なぜなら、私がいることで、小なりとはいえ生産現場が生まれるわけで、一々本社の制作に問合せなくても、支社の内部だけで完結することができます。(もちろん、一部だけですが)


■プロデューサー、そこにニーズがあったから



今回の東芝の特番を決定させたことは私の東京支社での位置を確定させました。
これから、私のすることは、東京支社のために番組を生産すること。
それも大阪本社がとても作れないようなものを生み出していくことでした。
私がなぜプロデューサーとして、この後多くの番組やイベント、ミュージカルや映画の制作などに傾いていったのか、その原因の一つに、東京支社の地位向上というか、自己完結体制を持つことによって、売上予算達成を少しでも楽にできるというのがあったのだと思います。
その第一歩、それが300万ほどの売上額を計上した、今回の特番だったと言えましょう。


■スタッフ選定のスタート



さて、それはそれとして、私はいよいよ番組スタッフの選定に入りました。
スタジオの番組制作スタッフ(D、AD、MIX、アシスタント)の選定。
中継クル―(主に技術スタッフ、現場レポーター等)の選定。
出演者は伊藤銀次さんに夏木晴美、それに全体を仕切れるMC一人。
構成は、前にも書いた上柴とおる氏。
エトセトラ、エトセトラ。


それから、年末の放送まで、私の奮戦は続いて行くのでした。

(続く)

過去のブログより~夫婦のプロ

シリーズとして「過去のブログより~」というのを開始します。
書く時間がなかったり、書いたデータが何かの拍子で消えた時など、フィラーとして挿入しようかと。
2000年前後、会社のサイトに日記代わりに書いたものが中心です。
10年前ですが、今でも面白いなあと思うものが多いです、我が事ながら。
今回は夫婦のプロです。

ここは一応毎日誰かが書きつづけようと思っている欄だ。
手本は、前にも書いたが糸井重里さんのほぼ日。毎日何らかのコメントを書かれている糸井さんには本当に頭が下がる思い。
何を書いても許されるはずの日記でも、ほとんどの人は三日坊主とか、たまに書くだけというパターンだろう。
それを、多少は他人に面白く読んでもらえそうなことを毎日書くとなると、これはどれほど大変な作業か。
連載を持っているライターの人は、最初は色々書くことがあるのだが、だんだん書くことがなくなってくるという。
それが毎日だと、これは苦行だ。
新聞の連載マンガを書いている、例えばいしいひさいち氏等は毎回多少とも面白くしないといけないので、苦吟の毎日だろうと推察する。
でも、プロと言うのは、自分に書くことがなくなってからが勝負なのだそうだ。
書くことがある時に書けるのは、例えそれがどれだけ面白くともアマチュアでしかない。
書くことがなくなった時でも書ける人、それがプロのライターなのだという。
よくわかる。プロとは大体、どこの世界でもそういうものだ。
そこでふと思った、これは結婚生活にも言えるなあと。
独身の中年オヤジがわかったことを言うなとのお叱りを受けそうだが、結婚生活も、早い話、別にあえてお互いに何かをしてあげなくてはと言うことがなくなった時に、それでも一緒にいれるのが、プロの夫婦なのではないかと。
相手に何かをしてあげようと思っている時、何かをしてもらいたいと思っている時、そんな時の夫婦生活は誰にだってできる。
お互いの間に、そんな気持ちが何も生まれなくなった時、それでも一緒にいられた場合、その夫婦は初めてプロの夫婦になる。どうです、違いますか?
私の両親も、二人とも健在ですが、何かこの頃夫婦のプロのような気がしてきた。
貴方はいかがです?プロの夫婦に憧れますか?
2001-5-20



しかし、糸井重里さんはすごい、まだ「ほぼ日」でダーリンコラムを書き続けている。
それが仕事だということなのだろうが、そこに本当のプロ魂を見るのだ。
それだけインセンティブが存在するということなのでしょうね。
ネットに目をつけた糸井さんは本当にすごい。