私はいかにしてプロデューサーになったのか(第6回)

大みそかオールナイトライブ生放送のラフな企画書を何とか書き上げた私は、カバン一つもって羽田空港に向かいました。
着替えも何も持っていませんが、向こうへ行けば何とかなるでしょう。
(事務所にあったレコード会社からもらったノベルティのTシャツは、1枚だけカバンの中に入れましたが。)
■飛行機は鹿児島へ
羽田に着くと、鹿児島空港は風が強いので天候調べ中とアナウンス。
場合によれば宮崎空港に着陸するかもしれないのでご了承くださいとのこと。
大塩さんに、そうなったらどうします?と聞くと、
ま、その場合は宮崎に泊って、明日の朝バスかJRで鹿児島に向かいましょう、とのこと。
宮崎と鹿児島だったら、交通手段ぐらいあるでしょうということで搭乗手続き終了。
さすが、場数を踏んだ人の落ち着きは違います。
そして、何とか飛び上がった飛行機は、夕暮れの中、一路南九州に向かっていきました。
■かごしま林田ホテル
飛行機はその後何の問題もなく、鹿児島空港に到着。
鹿児島市は空港からそこそこ距離があるので、この間はタクシー、料金1万円はしたと思います。
O氏が宿泊しているホテルはかごしま林田ホテル、前にゴルフに来た時私も泊ったことがありました。
O氏は現在ライブの現場にいて、この後鹿児島公演の打ち上げがあるので、ホテルへの戻りは遅いようです。
その日は、大塩さんと天文館の居酒屋でさつまあげ等を食べながら、明日どういう風に話をするかで鹿児島の地酒を何本もあけました。
ま、何とかなるでしょう。
酒がまわるに従って、結局何故私が今鹿児島にいるのかも、もはやどうでもいいような気分になっていきました、まあ予測されたことではありましたが。
(今、調べると林田ホテルは岩崎グループに買収された後に壊され、現在更地のままだそうです。すごい一等地にあったのに放ったままなんて。)
■O氏との打合せ
O氏とは、結局次の日の朝食時に、ホテルのレストランでお会いしました。
白のTシャツに白い綿パン、少し小太りですが、愛想のいい人でした。
「FM大阪でオールナイトのライブ放送やるんですか、へえ~面白いですね~ええ、ぼくが企画したライブ、ありますよ、場所は神戸のワールド記念ホール(神戸ポートアイランドホール)です。出演バンドもほぼ決定で、まあまあ盛況になりそうですよ。」
神戸のワールド記念ホールか、まあまあ悪くないなと私は思い、O氏に聞いてみました。
「それで、ライブの中継はできるんでしょうか?」
「そうですね、ちょっと色々問題はあるんですが・・・」
O氏は、広げられたバイキングの朝食を次々に食べながら、少し言葉を濁して話を続けました。
(続く)

私はいかにしてプロデューサーになったのか(第5回)

アニマルハウスのチーフ大塩さんとやっと連絡がとれた私は、おおまかな状況を説明しました。
今ごろ、とんでもないことを言うなという感じで話を聞いてくれた彼。
じゃ、ちょっとどこかで会いましょう、具体的な話はその時に、それまで僕も色々しらべときますと言って電話を切られました。

■ハンズのO氏が何かやるみたい

次の日、大塩さんはFM大阪東京支社まで来てくれました。
開口一番、「今から鹿児島行きますけど、一緒に行きますか?」と言われたのにはちょっとビックリ。
「鹿児島?何かあるのですか?」
「ハンズのO氏が年末に何かやるみたいだと、あるアーチスト事務所の誰それが言ってたんですよ。そこのアーチストも出るみたいなので、脈あるかなと思って。一応ハンズに連絡入れたら、今日は鹿児島だって。」
「鹿児島ですか、今から飛行機のチケットとれますか?」
ちょっと見当違いの返事をする私に、
「もう2枚押さえました、夕方の5時です。O氏、シング・ライク・トーキングの九州ツアーに帯同していて、当分東京に戻れないらしいので、こちらから行くことにしました。滞在するホテルは聞いてますので、私たちもそこに泊りましょう。今夜は時間をとるのは無理ですが、明日の朝なら朝食時に打合せできるでしょう。内容はファックスで送っておきましたから、O氏もそれまでには理解できているはずです。」
■すごい、まるでプロみたい
プロデューサーの仕事というのはこういうことを言うのでしょう。
大塩さんは小さな手帳に小さな鉛筆でせっせとメモしながら、あっという間にこれだけの段取りを作っておられました。
決まってから動くのでは遅い、動きながら決める、決めたことで人を動かしていく、それが大事だと教わったようなものでした。
そりゃ、O氏もわざわざ鹿児島までやってくる人を無碍にもできないだろうということは容易に推察できます。
「じゃ、羽田に4時集合ということで、簡単な番組の企画書をそれまでに作って置いてください。あ、銀次のスケジュールはOKです。それとうちの新人の夏木晴美もアシスタントで良いから入れておいてくださいね。じゃあ、後ほど。」
そう言って、大塩さんは風のように去って行きました。
■企画はジグソーパズル
とにかく、これから急いで説明用の簡単な企画書を書かないといけません。
当時は、まだパソコンではなくワープロの時代。
しかも1台100万ぐらいしましたから、事務所にも1台しかありません。
幸い、昼間は支社の社員は営業のため外に出ているので、しばらくは私が占有できます。
さて、企画書を書くには、まず何が必要か。
とりあえず、材料を集めること、番組の放送枠はいつか、出演者は誰か、ライブはどこから中継するか、番組のスタッフはどうするか、そして予算はいくらか。
企画書を作るのは、ある意味ジグソーパズルを解くようなもの。
とにかく一つ一つをあてはめて言って、最終的に誰もが感心するようなものにすることです。
そのパーツ一つ一つを集めてくる力も、プロデューサーには必要なのです。
■足りないパーツ
とはいえ、今から私が作る企画書には肝心なパーツが一つ抜けています。
ライブはどこから中継するか、には何の中味もありません。
ライブと書いたパーツには何も書かれていません。
私は、とにかくこの部分に具体的な何かを書くのが仕事でした。
そのために私は今夜鹿児島に行く、ま、大塩さんがここまで考えてくれるのだ。
多分、何か具体的な案があるのだろうと、ひたすらワープロに字を打ち込んでいました。
■ライブ中継場所:大阪のライブ会場(未定)
私は、時計を見ながら、何とか簡単な企画書を作り、プリントアウトして3部コピー。
もちろん、場所は未定のまま、ここをハンズのO氏に埋めてもらううわけです。
とはいえ、私はO氏とは初対面。
鹿児島に一体何が待ち受けているのか、その時の私は何のイメージも持てなかったというのが本当のところだったですね。

私はいかにしてプロデューサーになったのか(第4回)

赤ら顔の、腹をユサユサさせて闊歩するFM大阪電通担当H君の「予算はある(200~300万?)、大阪本社の連中はノーアイデア、FM802にいいようにされて良いんですか!」という挑発に乗り、動き始めた私、まずある人に電話をかけてみることにしました。
■アニマルハウスの大塩さん
<今からバンドスタンドのようなイベントが企画できるのか。>
答はもちろんノーです。
今からバンドを集めたり、場所を確保したりすることなど不可能です。
とにかく、場所はどこでもいいから、既に企画されているオールナイトライブの中継権を押さえるしかありません。
その模様をラインを通じて中継しながら、FM大阪のスタジオからオールナイト放送をする。
スタジオのDJは、できればバリバリのミュージシャンに来てもらいたい。
ええと、誰がいいかな、そう、伊藤銀次さんだったら大丈夫かも。
何で銀次さんだったら大丈夫と思ったのかはよくわかりませんが、私は早速所属事務所「アニマルハウス」のチーフだった大塩さんに連絡をとったわけです。
彼なら、大晦日のオールナイトライブの情報も持っているかもしれないという期待もありました。

■伊藤銀次さん、イカ天の審査員に

伊藤銀次さん、かっては「ごまのはえ」、後に「ナイアガラ・トライアングル」のメンバー、「笑っていいとも」のオープニングテーマ「ウキウキWatching」の作者、そして私にとっては「伊藤銀次のコークサウンドシャッフル」(1980年代FM大阪の人気番組)を制作した仲間でもあります。
アニマルハウスのチーフマネージャー大塩さんとはその時に知り合い、その情報網とか人脈に心から敬意を表しておりました。
とにかく、東京に来て親切にしてくれる数少ない人だった大塩さんに連絡をとろう。
幸い、その年に始まったTBSの『三宅裕司のいかすバンド天国』の立会いのために、毎週土曜日日比谷のシャンテに来るので、私が土曜日に出社している時はよく寄ってくれていたのでした。(当時のFM大阪東京支社は東銀座にありました。)
そうです、伊藤銀次さんはイカ天の審査員だったのです。
彼の知名度がますます上がっていたころでした。
■連絡をただ待つ私、携帯電話のありがたみを今は痛感
今でこそ、連絡をとるとなると、携帯電話で本人を直接呼び出せますが、当時は携帯電話なんかもちろんありません。
事務所にとりあえず電話し、忙しい人なので事務所にいるわけもなく、とにかく連絡してくれとメッセージを残すしかありません。
私も、電話をしてほしいと頼んだ手前、事務所を出られない。
こちらとしては1分1秒もほしいわけですから、とにかくひたすら大塩君の電話を待つことになります。
もう、事務所に何か電話が入っていないか連絡ぐらい入れてよ~。
勝手なことを願いつつ、イライラとした気分で電話を待ちつづける私でした。
■ええ~何それ~
そして、ようやく電話がかかってきました。
アシスタントの女性が「電話ですよ~アニマルハウスの大塩さんからです。」と言われた時に私は思わず受話器に飛びついてしまいました。
「ねえねえ、大塩さん、これこれこういうことなんだよ~、で、さあ、中継できるライブ、何かない~?」
大塩さんは絶句して一言こういいました。
「ええ~、何それ~、そんなのあり~?」
確かに、何勝手なことをいきなり言うんだろうと思われたことでしょう。
ま、それだけ、私も意地になって、やってやろうじゃないかと心に決めていたのだと思います。
(続く)